4:新月の夜

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4:新月の夜

 ルビアンを客室へ案内し、ラクナスは自室に戻った。  動きやすい乗馬服へ着替え、腰に剣を吊るす。  この時ばかりは、誰の手も借りずに着替えるのが常だった。  使用人がたった二人ということもあったが。  それよりも、この後の出来事を憂う、幽鬼のような顔を親代わりの二人に見せたくなかったのだ。  男性にしては長い、肩まである髪も再度束ねなおす。 「……よし」  自室の鏡をにらみ、表情も整える。バルージャたちの不安が少しでも和らぐよう、出来るだけ凛々しい顔を作った。  次いで部屋を出、待機していたバルージャへ留守居を頼みつつ、玄関へ向かった。 「じいや、くれぐれもルビアン嬢を頼む」 「もちろんでございます。坊ちゃんも、どうかご武運を」 「ああ、ありがとう」  涙もろいシロマは、すでに目を潤ませていた。 「坊ちゃん、必ず生きて戻ってくださいましね?」 「当たり前だ。ばあやこそ、無理をせず早く寝るように」 「坊ちゃんが辛い目に遭っているのに、寝られるものですかっ」 「そうか……すまない」  悲しげなバルージャと、涙目のシロマに見送られ、ラクナスは外へ出た。  冷え切った夜風が、彼の真っ直ぐな金褐色の髪を翻弄した。  敷地を超えた途端、ラクナスの周囲に真っ青な炎が灯る。魔界の炎だ。  炎はぐるりと彼を取り囲み、結界を形作った。  そして青い鬼火の奥から、白髪の少年が姿を現した。 「よお。今夜も逃げずに来たんだな」  ぶっきらぼうな口調に似合いの、どこか粗野な笑みを少年は浮かべる。  しかし彼が人でないことは、側頭部から伸びる巻き角が雄弁に語っている。魔界の住人、悪魔だ。 「勝負から逃げればこの街の住人を殺す──そう言ったのは貴様じゃないか」 「ああ、そういやそーだったな」  癇に障る甲高い声で、悪魔ことアンリルは笑った。 「今夜こそ、てめーをぶちのめして魔界に連れ帰るからな。覚悟しとけよ」  年端もいかぬ少年にしか見えないが、彼こそラクナスを転化させた張本人だった。  自身の製作物を誇るアンリルは、人間界と魔界の間に境界が設けられた後も、ラクナスに執着していた。  そして、境界が弱まる新月の夜に、こうして人間界へ不法侵入するのだ。  毎月律義に不法侵入しては、ラクナスを「ぶちのめす」ために勝負を申し込んでいる。  享楽的な性質の者が多い悪魔において、面倒なことこの上ない粘着さである。  その執着心を、もっと別のことに費やして欲しい、とラクナスは切に願っている。 ──今夜で諦めてくれれば良いのだが。  溜息を押し殺したラクナスが、剣を抜き放つ。  同時に、アンリルは指を一つ鳴らした。  その音が契機となり、地面から紫の煙が滲み出す。その煙は集まり、人型を成した。  大戦で亡くなった人々の魂を、アンリルが呼び出し、操っているのだ。 「……相変わらずの下衆な魔術だ」  紺碧の目に憤怒の炎を燃やしたラクナスは、低く唸る。  そして、ぶよぶよと収縮を繰り返す亡者たちへ斬りかかる。  ただ呼び起こされ、操られるだけの亡者たちは弱い。  しかしその数は無尽蔵であり、また斬られる度に上がる断末魔の叫びが、ラクナスの心に爪痕を残す。  そうでなくとも、今夜は心がズタズタだった。  友人の誕生日を祝うための舞踏会で、悪意に晒され。  自分へ笑いかけてくれた少女まで、養父に見捨てられ。  亡者の叫びが耳を貫く度に、疑問がよぎる。 ──私は毎月こんな目に遭ってまで、人間界に残りたいのだろうか? いや、残るべきなのか?  洗脳が解けるまでの間、自分は魔界軍の騎士として、多くの人間を殺した。  その結果が、恨まれ、疎まれ続けている現状なのである。  もはや自分は目の前の悪魔と大差ない、ただ人間に擬態しただけの化物ではなかろうか。  そんな疑問に、がんじがらめになった心は体をも束縛する。  剣を振るう腕が、わずかに鈍った。  それを見逃さず、 「やっちまえ!」 アンリルが哄笑と共に号令をかける。 「ぐっ……」  ラクナス目掛け、亡者が殺到する。  彼らに四肢を掴まれ、とうとうラクナスは剣を放し、地に伏した。 ──私もここまで、なのか……まあ、魔界での暮らしもどうせ、ここと大差ないのだろう。どこへ行ったところで、ただ疎まれるだけの日々だ。  そんな諦念にも襲われる。  が、彼を押さえつける亡者たちが、業火に包まれ消え去った。断末魔の大合唱を残して。 「なっ……なんだよこれ!」  結界を打ち破って現れた赤い炎に、アンリルが絶句する。  ラクナスもよろよろと立ち上がりながら、炎が飛来した方向を見た。  そこには夜着姿のルビアンが、手をかざした体勢で立っていた。 「大丈夫ですか、子爵様?」  何故ここに。  どうやって結界を破ったのか。  この炎は一体何なのか。 「あ、ああ……」  訊きたいことばかりの頭は飽和状態にあり、ラクナスはただ頷くことしかできなかった。
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