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6:武神の孫娘との婚姻
アンリルが来襲した日の翌朝は、いつも後片付けから始まる。
なにせ剣を振り回しての、大立ち回りを演じた後なのだ。元々が廃墟に近い街とは言え、それ相応に荒れてしまう。
瓦礫も、不必要に増えてしまうのだ。
また税率が低いため、旧王都で暮らす低所得者層は少なくない。
幸か不幸か、ラクナスは領民のいない名ばかり領主ではなかった。
そして今朝も、バルージャと、自ら手伝いを買って出た酔狂なルビアンを伴って外へ出る。
なお、昨夜着ていた金のドレスでは掃除に不向き、と彼女は進んでメイド服を着ていた。豊かな深紅の髪も、飾り気なくひっつめられている。
本当に変わった少女である。
外へ出たところで、一同は一瞬動きを止めた。
昨晩と同じ体勢で、アンリルが倒れたままだったのだ。
ラクナスは思わずその後頭部を、足で軽く蹴ってみた。
「いてえっ」
「なんだ、生きているのか」
「人様の頭蹴っといて、なにが『なんだ』だよ、てめー!」
ごろりと仰向けになり、アンリルが吠える。
失敗ケーキのようだった顔面は、綺麗さっぱり元に戻っていた。魔術で癒したのか。
「黙れ、悪魔風情が。そもそも、何故帰っていないんだ。新月の夜を逃せば、次の新月まで、境界を越えられなくなるのではなかったか?」
「ぐえっ」
もう一度顔面を潰してやろうか、と視線で訴えつつ、彼の胸元を足踏みする。
一晩持ちこたえることで、ラクナスは今まで延命してきたはずだ。アンリルがここに居座ったところで、得るものなどないだろうに。
当然の問いに、アンリルは顔をしかめる。
「……うるてい。帰りたくても、てめーの女が張った加護のせいで、帰れなかったんだよ!」
そして涙目でがなった。誤解も混ざっているが、それよりも
「加護とは?」
「神サマの加護だよ! そんなものかけられたら、魔界に戻れるわけねーだろ! ちきしょー!」
とうとう、号泣されてしまった。これでは弱い者いじめになる、とラクナスは足を離す。
しかし、加護の外し方など彼にも分からないので、顎に手を当てルビアンを見る。
瓦礫を集めていたルビアンが、小走りに近づいてきた。
「悪魔を殴ったのは初めてなので、加護が付くとは知りませんでした。ごめんよ」
感情がすっぽり抜け落ちた、雑な謝罪である。ためにアンリルは鼻白んだ。
──つまりあの殴打を、人間に与えたことはあるわけか。
受けた人間が存命なのか、知りたいような知りたくないような。
申し訳なさを全く感じさせぬまま、ルビアンは腕を組んで唸った。
「でも、私も知らずに加護をかけたので、解き方も分からないですね。とどめなら、すぐに刺せますが」
さらりとそう言い、ルビアンは一抱えはあろうかという瓦礫を、片手で持ち上げた。
たしかにこの大きさなら、悪魔と言えども殺せそうである。
「君は力持ちなんだな」
驚くのも馬鹿らしくなったので、ラクナスは素直に感心した。
「祖父の血のお陰で、牛三頭ぐらいなら余裕で抱っこできます」
ルビアンもさらりと、とんでもないことを口にする。
「すっとぼけた顔で何自慢してんだよ! おっ、下ろせよ、それ! おめーは、色々こえーんだよ!」
彼女の発言と掲げる瓦礫に、命の危機を感じ取ったのか。
アンリルは俊敏に起き上がった。そして後ずさりをする。
傍観者でいたバルージャが、ハッとした表情を浮かべ、一つ手を打った。
「そうです、坊ちゃん。この者を、従僕になさってみては? 魔界に戻れないのでしたら、使用人としてお傍に置かれた方が、このまま野放しにするよりも安全かと」
「ふむ」
建設的な提案だ。アンリルが役に立つかはともかく、放置することは避けたい。領民に、どんな害が及ぶかも分からない。
また、警察への通報も避けたかった。ただでさえ、魔界軍の手先だった者として、白眼視されている身だ。未だに悪魔とのつながりがあったと知られれば、何をされるか分からない。
「そしてルビアン様にも、この者の監視役兼奥方様として、お屋敷に住んでいただいたら如何ですか?」
しかし続く提案は、あまりにも突拍子がなさ過ぎた。思わず、ラクナスはむせた。
「じっ、じいや、何を言い出すんだ!」
「あ、私なら構いませんよ」
が、当事者であるルビアンがあっさりと、賛成の言葉を上げた。
ジェネレーション・ギャップを感じつつ、ラクナスは恐々と彼女を見た。
「あー……ルビアン嬢? 奥方の意味をご存知か?」
「もちろん、妻ですよね。夜の営みは未経験ですが、精一杯頑張る所存です」
「正気か、君はっ?」
耳を倒したラクナスは裏返った声を上げるも、残念ながらルビアンの表情は理性的そのものだった。
「嫌だぞ! オレは従僕なんてやんねーぞ!」
次いで、反対の弁を叫ぶ、不良少年のような悪魔を見た。
たしかに一人で監視するには、骨が折れそうな反骨精神ぶりである。
それに自分は、こんな身の上だ。婚約者に捨てられた時点で結婚なんて諦めていたし、恋い慕う女性ももちろんいない。
また、提案を一蹴するには惜しい魅力が、ルビアン自身に備わっていた。
「……分かった。助力願おう、ルビアン嬢」
貴族の義務、とどこかで己に言い訳しつつ、ラクナスはそう言った。
「坊ちゃん、さすがの英断でございます!」
バルージャが歓声を上げる。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします、旦那様」
ルビアンも、にこりと笑った。
かくして自身の生存に疑問を持った翌朝、彼は所帯を持つこととなった。
ついでに、口も態度も悪い従僕をも、抱える羽目となったのだ。
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