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8:恥知らずな二人
貴族というのは因果なもので、出生から死亡まで、何かにつけて新聞に掲載されるのだ。
それ故に、誰と誰がいつ結婚したのかも、いちいち細かに記される。
こんな記事を読んで、誰が喜ぶのかと考えているラクナスですら、その慣習の標的であった。
そして二人の結婚の記事を読み、クレムリン夫妻は怯えながらもサマルカンド邸を訪れたのだ。
理由はもちろん
「結婚なさったのであれば、それ相応の支度金を頂かないと」
「左様ですわ。この子のために、私たちがどれだけの時間と愛情を、絶えることなく注いで来たとお思いでございましょうか?」
金の無心であった。時間と愛情を注いだ、と言う割に祝福の言葉は一切発さず、開口一番の無心であった。
ここまで来ると、いっそ爽快ですらある。笑う気にはなれないが。
また二人の眼も、「元公爵家ならば、相当な額をぶんどれるぞ」とぎらついている。
露骨の見本図のようなその態度に、ラクナスは閉口していた。何故かクルミ入りのボウルを膝に乗せたルビアンも、無表情となる。
しかし、そこは老成のラクナス。一つ咳ばらいをし、やんわりと異議を唱える。
「おかしな話だな。公衆の面前で、ルビアン嬢との絶縁を宣言されたのは貴公では?」
「あ……」
「因果関係すらない、と仰られたと記憶しているが」
「あれは……つい、焦ってしまいまして、その……」
クレムリン氏は、キツネの君の言葉に、丸々と肥えた頬を引きつらせる。
だが、「疫病神が恐ろしくて、保身のために絶縁しました」とは本人の手前、口にしなかった。
それぐらいの理性は、さすがに持ち合わせているらしい。
「そんなの、あなたの呪いが恐ろしいからに決まっているじゃないですか! だからどうすることも出来ず、逃げるしかなかったんです!」
が、夫人は夫よりも理性的でないらしい。
年甲斐もなく口を尖らせ、痩せこけた己の体を抱きしめ、本人を前にして呪われる、とうそぶいた。
これにはクレムリン氏も青ざめる。
「や、やめないか、お前!」
「何故でしょう? この方の呪いが恐ろしかった、とあなたもおっしゃっていたじゃない!」
夫人はヒステリックになおも叫び、ますます墓穴を掘り下げた。
──なるほど。息子の奔放さは母親譲りであったか。
一方のラクナスは、最近ではめっきり得意になった、現実逃避にいそしんでいた。
真面目に応対するだけ無駄、と思えて仕方がなかったのだ。
「ラクナス様が、誰かを呪うなんてありえません」
今まで黙りこくっていたルビアンが突然、地を這うような低い声でぽつりと言った。
その覇気は、問答無用でアンリルを倒したあの夜を想起させる。ラクナスは背筋に、冷たいものが伝うのを感じた。
一方の、彼女の二面性を知らないらしいクレムリン氏は、しかめ面を浮かべる。
「ルビアン、お前は黙っていなさい」
「黙っているわけないでしょう、私の結婚話なんですよ」
ぴしゃりと言って、彼女は立ち上がった。何故か二つのクルミを握りしめて。
「あの夜、あなたに見放された私を、ラクナス様だけが助けてくださったんです。その時恋に落ちたんです。家柄なんて関係なく、一目惚れだったんです。それなのに、順風満帆な娘の結婚生活に難癖をつける親が、どこにいるんですか?」
相当な脚色が施された熱弁であるが、大筋で嘘はない。ラクナスは黙して彼女の言葉を聞いていた。
義理とはいえ、父を「あなた」と呼んで憚らないところに、彼女の深い憤りを感じたからだ。
気色ばんだルビアンにたじろぎつつも、クレムリン氏は薄い頭髪を撫でて反論する。
「難癖など付けちゃいないだろう? 私たちはただ、お前を慈しんで来たからこそ──」
「嘘は止めてください。慈しまれた記憶なんて、ありません」
「ルビアン! なんてことを言うの!」
夫人が金切声を上げる。ルビアンはそれを、刃のように鋭い視線で黙らせた。
令嬢にあるまじき殺気である。
「なんてことって、本当のことですよね」
これには夫妻も答えない。夫人は床をにらみ、歯噛みする。
黙りこくった彼らに業を煮やしたのか、
「もしこれ以上、恥をかなぐり捨ててお金を欲しがると言うなら」
彼女はクルミを握る右手を、前へ突き出した。
そして卵の殻でも割るかのように、クルミの殻を片手で粉砕する。ぱきり、と小気味の良い音が応接室に響く。
女性……いや、一般人離れしたその握力に、夫妻は呆然と石化した。
「……このクルミのように、あなたがたを握りつぶします」
固まる二人を、ルビアンは睥睨する。紅茶をぶっかけるよりも、よほど怖い脅し文句である。
これならば、シロマの助言通りぬるい紅茶を用意すべきだった、とラクナスは反省する。
形ばかりの妻とは言え、ルビアンに憎まれ役を負わせてしまったのだ。それは紳士として、恥ずべき事態である。
せめて、とラクナスも口を開く。
「妻が拒んでいる以上、資金援助は出来かねる。またこの外見通り、私に他の貴族との伝手があるとは思わないでいただきたい」
そう言った彼の脳裏に、不良悪魔の憎たらしい顔が浮かんだ。
「代わりに、悪魔で良ければ貸し出すが」
「けっ……結構です!」
舞踏会の比じゃない青ざめっぷりを、クレムリン氏は見せた。
威勢の良かった夫人も、がちがちと歯を鳴らして震えている。
二人はそのまま、つんのめるように応接間を出て行った。
ややあって、外に留まっていた馬車へ飛び込む物音と、そして馬車が全速力で駆ける音が聞こえた。
「そこまで怯えるとは」
想定以上の終幕に、ラクナスは半ば困惑していた。
ソファに座りなおしたルビアンが、落としたクルミの殻を拾いつつ、静かに首を振る。
「いや、怖いですよ。だって悪魔ですよ」
クルミを粉砕した彼女が言うのだ。本当の意味での、「殺し文句」だったらしい。
夫妻が開け放したままのドアを見つめ、ラクナスは顎を撫でた。
──その悪魔を一撃で沈めた女性に、『怖い』と言われるのも、納得しかねるものがあるが。
そこにあえて触れないのが、紳士であろう。
全開にされたその空間から、ひょこりと二つの顔がこちらを覗き込んだ。
シロマとアンリルである。どうやら、今の今まで盗み聞きしていたらしい。
「上手に追い返されたんですわね。ばあやも一安心です」
シロマはほくほく顔だ。しかし、カップになみなみと注がれたままの紅茶を見とめ、その柔和な顔が怪訝なものになる。
「あら? お紅茶はぶっかけに、なられなかったのですか? 残念です」
存外血の気の多い家政婦である。
「それより効果的な方法で、ルビアン嬢が追い返してくれたのでね」
「いやいや。むしろラクナス様の言葉の方が、効果的だったと思いますよ」
肩をすくめたラクナスへ、ルビアンが快活に笑う。一応、褒めてくれているのだろうか。
「しっかし、えげつないぐらい強欲なジジババだな。おめーに似てねーのな」
アンリルは、そんなルビアンを指差して囃し立てる。
自分を指し示す悪魔に、今度はルビアンが肩をすくめた。
「養父母で、血は繋がってないから」
「繋がってねーからって、油断すると痛い目見るぜ? ああいう欲望むき出しの連中は、マジでオレらのカモだからな」
そう言って舌なめずりする彼は、今までで一番悪魔らしい表情であった。
これを押し付けられるのはたしかに嫌だ、と改めてラクナスは考える。
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