9:タージ伯爵

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9:タージ伯爵

 雨続きの後の、ようやくの晴れ間であった。  この日ラクナスはルビアンを伴い、旧王都にある野外劇場の跡地へ足を運んでいた。  なお従僕として、本来であれば彼らに付き従うべきアンリルは不在である。荒れ放題の庭の草むしりという、重大任務が課せられているためだ。 「劇場……の跡地、なんですよね? 今も何かの催しがあるんですか?」  小首をかしげるルビアンへ、ラクナスは一つ頷く。 「ああ。演劇よりも、随分とむさ苦しいものだがね」 「よく分かりませんが、それはそれで、なんだか楽しそうですね」  概ね万事において大らかなルビアンは、そう結論付けてにっと笑う。  そこは現在、とある屋外クラブの開催場所となっていた。  ここで行われている剣術クラブこそ、ラクナスが唯一出入りを許されているクラブであり、また友人のティルウス・タージ伯爵が主催者であった。  武門と名高いタージ家当主は、長身のラクナスよりも更に、縦にも横にも大きい偉丈夫だった。 「久しぶりだな、ラクナス!」  おまけに声も大きい。ラクナスはキツネ耳をつい、両手で庇う。ルビアンもそれに倣っていた。  ティルウスの発した彼の名に、クラブに出入りして日が浅い連中はギョッと、目を剥いていた。中には剣を取りこぼしている者もいる。  しかし古参は慣れたものなので、慌てることもなく、静かに視線を外すに留まっている。  ここでは、剣の腕が第一なのだ。 「息災か、ティルウス? 先の舞踏会では、申し訳なかった」 「いや。澄ました連中の慌てる顔が見られて、俺も愉快だったよ。ところで、そちらの方が?」  豪快に笑ったティルウスが、ラクナスの傍らに立つルビアンを窺う。  彼女はと言うと、筋肉男の集団にも一切たじろがず、むしろどこか楽しげに周囲を見渡していた。  ラクナスはルビアンの名を呼び、その背中に軽く手を添える。 「ああ、妻のルビアン嬢だ。手紙で伝えた通り、君の信奉しているメイトリス神の孫娘だそう──ティルウス?」  ラクナスは言葉の途中で、眉を潜めて友人を呼んだ。  無理もない。友人が突然、何の脈絡もなく地にひれ伏したのだ。頭でも沸いたのか、と一抹の不安がよぎる。  クラブの参加者もざわざわと動揺する中、ルビアンに向かってひれ伏したまま、ティルウスが馬鹿でかい声を上げた。 「孫娘様ぁぁぁぁっ! お会いしとうございましたぁぁぁぁぁっ!」 「は、はぁ……」  なんと。物怖じしないルビアンが、両耳を押さえて怯んでいる。  しかしラクナスも友人の挙動に引いていたため、そのことに感心する余裕などなかった。 ──熱心な信奉者だと知っていたが、武神の身内まで信仰対象だったとは。  喜ぶかもしれない、と軽い気持ちで会わせる人材ではなかったようだ。  困り果てたクラブの空気を一変することが、その時起きた。  レンガが剥がれ、むき出しとなっている地面に突如、火柱が上がったのだ。 「火事だ!」  悲鳴に近い声で誰かが叫び、一同に緊迫した空気が走る。  しかし火柱は一瞬で消え失せ、代わりに一筋の文章が、地面に焦げ付いていた。 「待つんだ、ルビアン嬢」  ラクナスの制止も聞かず、火柱の跡を覗き込んだルビアンが、ああ、と納得したような声を上げた。 「これ、祖父からの神託ですね」 「神託……?」 「はい、武と炎の神なので、神託を下ろす時には火柱が上がるんですよ」  思わず、ラクナスは自身の顔を手で覆う。 「なんとはた迷惑な……」 「ですよね。祖父も困惑してます」 「武神本人にも、コントロールできないのか」  天界の謎システムにこそ困惑しつつ、ラクナスも神託を見た。  ティルウスや、その他参加者もおっかなびっくり、へっぴり腰で地面を覗き込む。 『ちょっと怖いかも』  予想外に可愛らしい丸文字が、そんな砕けた文章をつづっていた。  武神を怯えさせたものが何なのか、当事者以外はすぐに分かった。    ために一同の視線は、ティルウスへ注がれた。どこか、白けたような呆れたような視線である。  だが当事者だけは、一切心当たりがないらしい。  わなわなと巨体を震わせ、その神託を凝視している。 「武と炎の神ともあろう御方を恐怖させるとは……一体何があったのだ?」  絞り出された声に、ルビアンとクラブの参加者は目が点になった。  こういう時にたしなめるのは、旧知の仲の務めと言えよう。  ティルウスの屈強な肩を叩き、ラクナスはゆっくり諭す。 「君だ。君の熱狂ぶりが原因だ」 「なんだってぇっ!」  大音声の悲鳴に、ラクナスは再度耳を塞いだ。
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