春の渡翼

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 底の見えない崖下からは強い風が絶えず吹き上がっている。シシトの山で暮らす猛禽(もうきん)たちはこういった気流を使って天高く昇るのだと、ガジは父親から聞いていた。 「ここからなら、きっと飛べるよね」  少年を背中から下ろしたガジは、ふと荷物を探ると薄紙に包まれた飴を一粒取り出した。 「これ、後で食べて。甘くておいしいよ」  少年が手を伸ばそうとしないので、ガジは空色の服の帯に無理やり飴をねじこんだ。少年は少し迷った顔をした後で、ガジの前に握った左手を伸ばしてきた。  開かれた手の中には、薄い銀色の鈴が一つ乗っていた。 「✕✕✕✕」 「え、……くれるの?」  少年がガジの手に鈴を乗せる。リィン、と澄んだ音が辺りに響いた。  感謝の言葉をかける間もなく白い翼を広げた少年が崖を飛び降りる。その体は上昇する風に乗り、空にまぎれてあっという間に見えなくなった。  ガジはしばらく、少年の去った方角を見上げていた。  まるで幻のような出来事だった。アリィに話せばきっと夢でも見たのだと言われてしまうだろう。  それでも握った手を開けば、少年のくれた銀の鈴が残っている。それは優しい音を立ててガジの手のひらを転がった。  ガジは鈴を両手で握ると、少年が無事に天の国に帰れるようにと祈った。
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