優しい観客と万雷の残響音

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「嫌なこと、怖いこと、みんなにもこれからいっぱいあると思う。  それを忘れようとすることはできる。自分を押し込めて飲み込んで、許すこともできるやろ。  でも本人の記憶が薄れても、こころはそれを覚えとる。  こころは形がないものやから、傷ついたら傷ついたまんま。  こころは痛みを忘れない。柱に刻んだ(あと)や年輪のように、傷はこころに刻まれとる。  だからみんな。  自分のこころも、人のこころも傷つけないで。  傷を消せるとしたら、遥かに上回る喜びしかない。でも今の日本じゃ傷を遥かに上回る喜びなんてそうそうない。  私はまだ達観できる域に到達しとらん。  幸せになりたい。みんなも幸せになりたいやろ。当然や。  けど、幸せを感じる神経は、放っておけば鈍くなる。不幸を感じる神経は、放っておくと過敏になる。これはどうしようもない。人はそもそも強くないんやから。  だからみんな。  幸せを与えられる人になろう。  そうすれば、人から少しずつ幸せをもらえる。  幸せはお裾分けできるんや。  不幸もお裾分けできるけど、そんなん迷惑やんか。  みんなで幸せをお裾分けできたら、丸く収まるようにこころはできとると私は思う。  何も難しくない。こころが望む幸せは、安らかなこころ。つまり安心や。  自分も人も傷つけないで。  いじめに代表される悪意や言葉は諸刃の剣。  みんなで幸せになるために、自分も人も傷つけないで。  それでも、どうしても傷ついたとき、どうしても孤独を感じたとき、誰にも頼れなくて苦しいとき、高校にアホな奴がおったなあって、何や熱弁しとったわって、思い出して笑ってほしい。  私はみんなに笑われるんなら本望や。  私を好きなだけ罵って、いくらでも悪口言ってや。  そしたら私はこの国のどこかでそれを受信して笑う。  みんなで笑お。いっぱい笑お。  私はお金もエロいことも渡せないけど、みんなのことを思うとる。  それに本当の笑いはお金かからんのよ。  こころが幸せであるために、こころを笑わせたってや。  最後まで聞いてくれてホンマにありがと。  今日で卒業する私たちは、この学校もみんなのことも大好きや。  嫌な思い出もある。楽しくなかった日々もある。嫌いな奴がいる人もおる。  でも大丈夫。何だってまだこれからや!  好きも嫌いもあって当然。怒りも不安も当然。人は弱くて当然。  そんなとき、自分にありがとうって言おう。  頑張ってるよって言おう。  キミの一番の理解者は、誰よりもキミ自身やで!  ああ、長くなってもうた。  私の説教はアカンね。  もうええわ。  ほな、さいなら!  卒業生答辞 (おい)(かわ)麻美」
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