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お庭は広くて森みたいだ。ここからは隣の家がまったく見えない。ぼくが名前を知らない野鳥がたくさん集まって来ている。庭には小川まで流れている。ここが同じ町の中だということがちょっと信じられない。
ぼくたちはせせらぎの上の飛び石をわたり、暗いモミの木の木立を行き過ぎ、やがてまた明るい場所に出た。そこには一本、大きな木が立っている。
「これ、桂の木。わたしが一番好きな木なの」
ハナちゃんは、そう言って木の幹にそっと手をあてた。桂の葉は丸いハートのような形をしている。すっかり黄色く色づいて、もう何日かで散りはじめるんじゃないだろうか。
「ねえあなた、三千世界って知ってる?」
「サンゼンセカイ?」
いきなりの言葉。ぼくは首をかしげる。
「さあ、よくわからないけど…… サンゼンってつまり三千、数字だよね?」
「もちろん」
「じゃあ、あれかな。三千個の世界ってこと?」
「ん、ちょっと違うな。そうじゃなくってさ」
ハナちゃんはクスッと笑う。
「三千っていうのは、まあ、例えみたいなものよ。とにかくたくさんの世界ってこと。まず、わたしたちのいるこの世界があるでしょ? これがまずひとつ。で、こういう世界が千個集まって、またひとつの世界をつくっている。それから、そういう大きな世界を千個集めて、またさらにひとつ世界ができる。それが三千世界。仏教が描く宇宙観。あなた曼荼羅って見たことない?」
「ん、あるような、ないような」
ぼくは小さくため息をつく。ぼくらはいったい、何の話をしているのだろう…?
「でもそれってなんか、気が遠くなるような話だね。で、それが何? その三千世界がどうなの?」
「ん、べつにどうもしない。ちょっと聞いてみただけ。知ってるかなと思って」
ハナちゃんは小声で言った。何かちょっとがっかりした様子で。
「ねえ知ってる? わたしたち、渡り鳥なのよ」
「はい?」
「いくつもの世界を、どんどん渡っていく。世界から世界へ。終わりから終わりへ」
ハナちゃんは顔をあげ、桂の木の梢を見上げた。ぼくも同じ方を見上げる。梢の上で、秋の日がちらちらと揺れている。
「それって何? 何かの本の言葉なの?」
「違う違う。もう、キミってば。人の言葉はいちいち問い詰めないで、そのままだまって聞き流せばいいのよ。いちいち最初からキミに説明してたら日が暮れてしまう」
「だけどハナちゃん、また何かムズカシイこと言い出すからさ」
「別に難しくない。思ったことをちょっと言ってみただけ。でもま、もういいから。三千世界とか、そういうのは全部忘れて。もっと別の話をしましょ」
「いいけど……」
続けてハナちゃんは、各地に伝わる死の国の話をした。
たぶん、どこかの本の中から仕入れてきた話だと思うけど。でも、すごく詳しい。エジプトだのシュメールだの、マヤだの、インカだの。ぼくのよく知らない国の名前がいくつも出てくる。
そこで語られる死の国は、火の大地がどこまでも続く場所、とか。
いっさい光のささない地底の国とか。
大勢の悪魔がいて、そこに落ちてきた人をとことんまでいじめ抜く国。
氷に閉ざされた常闇の国……
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