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「専務、お戻りでしたか。おはようございます」
いたずらを隠す子供のように、皿を背の裏に隠す。だが光也は汗を拭きながらそばまで来て、長身の頭をひょいと動かしてそれらを見つけた。
「へえ。藤村君も料理をするんですね。おいしそう。これ、量が多いですが、もしかして私の分もありますか?」
にこっ、と期待の笑顔を向けられる。
「いえ、あの、専務は朝食を召し上がらないし、庶民の食べ物など……しかも途中から適当にしてしまったので」
「違うと言わないということは、私の朝食を用意してくれたということですね?」
焦る千尋に対し、光也はマイペースに結論づけた。
察しがいいのも結論が早いのも、できる男だからだろうか。でも、適当になってしまった食事など出したくない。こんなことならちゃんと作ればよかった。
「あ、あの、でも、これはやっぱり違うというか、とても専務には」
「ありがとう。シャワーを済ませたらすぐにいただきますね」
断ろうと思ったところで礼を言われ、千尋は顔を赤くして床に視線を落とした。もう否定するには遅い。
「ふふ。千尋、かわいい」
敬語抜きでつぶやいた光也は千尋の髪に指を入れ、とくように撫でた。
千尋が視線を上に戻すと、優しく目尻が下がった顔が近くにある。
(あ……)
少しの汗が額や首を濡らしているからだろうか、光也の香りが鼻をくすぐり、息苦しくなった。
でも、ここに来た日のような不快さはもう感じない。感じないのだが、無性に胸が痛くなり、苦しくなる。
どちらにせよ、やはり苦手だ。
「……また漏らしてる。駄目だよ」
「え?」
無意識にうなじに伸びかけていた手を光也に止められる。代わりにうなじには光也の唇が触れて、舌でぺろりと舐め上げられた。
「ぁっ……!」
どうしたことか、一瞬で力が抜けて、膝が崩れてしまう。
「千尋……!」
光也は千尋の手首を掴んでいる手に力を入れ、腰にも手を添えて、身体を支えてくれた。
そして、もうひと舐め、ふた舐め。暖かいぬめりがうなじを這う。
「んっ……やっ……」
「フェロモンが滲んでいるから、拭っておいたよ。俺は先にシャワーをしてくるから、朝食、待っていて」
唇と身体が離れた。触れられていた箇所がすべてじんじんと熱い。
(フェロモン? 出してるつもりないのに……専務の体も熱かった。走ってきたからで、僕のフェロモンに反応したわけじゃないよね……?)
光也に支えてもらってせっかく立てたのに、また力が抜けていく。
千尋はキッチン収納の扉にずるずると背を滑らせながら、床にしゃがみ込んだ。
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