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千尋の声は、いっそう大きくなったフロアのざわめきにかき消された。
光也は「ちょっと待っていて」と優しく言うと、口を開けて直立している課長と向き合った。先ほどの笑顔とは一転して、冷めた表情になっている。
「茂部課長、あなたのパワーハラスメントを現行確認しました」
一気に室温を下げそうな低く冷たい声に、課長は青ざめ、凍りつく。
「これまでの行為もすべて報告を受けています。あなたをしばらく停職処分とし、追って処遇を決定します」
そんな! と言う課長のやっとの声もまた、社員たちのどよめきにかき消された。
課長はへなへなと床にへたり込み、光也の後ろに控えていた秘書らしきグレーヘアの男に支えられてコスニから連れ出される。あっというまだった。
突然の異動を言い渡された二人のうちの一人の千尋はもちろん、男性社員たちは困惑と戸惑いで眉根を寄せて立ちつくす者ばかりだ。
だがそんな中、田中と鈴木の場違いな恍惚の声が聞こえた。
「氷の貴公子のご降臨よ! なんて鮮やか采配なのかしら」
「でも見た? 藤村君に向けられたあの麗しい笑みを!」
「もちろんよ。黄金比と謳われる美しいお顔に間近で見つめられて、助けていただけるなんて……藤村くんの四年間の苦労が報われたのね……う、ぐすっ……」
二人の声が恍惚の声から涙声に変わる。
千尋は二人に視線を向けながら、頭の中をはてなマークでいっぱいにした。
(専務が僕を助ける? 僕の苦労? ……なんの話?)
千尋は百七十㎝近い自分より、更に十五㎝は高い長身の光也に視線を戻す。
叶光也はKANOUホールディングス会長兼CEOの五番目の孫で、現社長の三男。すなわち社の後継者候補の一人だ。
大学卒業後より八年間、多数ある海外支社で活躍し、この五月末に帰国。即日で本社の専務に就任したアルファ性の典型ともいえる超エリートだ。
柔らかい容姿に反して常に無表情で冷静沈着。ときに厳しく社員の指導に当たることから、社内では早速「氷の貴公子」と呼ばれている。
対して千尋は社内に数人しかいないオメガ性の社員だ。
仕事ぶりは真面目で発情期休暇も取らないが、性別のために万年平社員であり、見た目も野暮ったいがゆえに冴えない奴だと周囲から評価されている。
そんな千尋がなぜ大企業のKANOUに就職できたのかといえば、生い立ちに起因する九十%の努力と十%の運の力だと本人は思っている。
十%の運とは、新卒採用の最終面接に進んだ際、オメガ性の男性を伴侶に持つ社長と対面するチャンスを与えられたことだ。
社長はオメガである千尋が必死に努力した過程に深い理解を示し、即採用を決定したという。
それを教えてくれたのは茂部課長だったが、教えてくれたというよりはその事実を不満あらわに千尋に投げつけ、同時に千尋を不当に扱い始めた────パワーハラスメントの始まりだった。
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