2/2
938人が本棚に入れています
本棚に追加
/117ページ
(命令してください専務。ネクタイを取ってそこにひれ伏せ、とか、眼鏡を床に落として、ひざまずいて拾え、とか!)  だが期待に満ちた眼差しに反し、春風のような穏やかさで微笑んだ光也は千尋の前髪に指を入れた。  優しく、くすぐるように。  ぞぞぞぞぞ。  見えない手が背筋を這う。 「顔を隠していては印象がよくない。秘書のセンスが社のイメージアップにも繋がることはわかりますね? 視力に問題がないなら眼鏡は外しましょう。表情が明るく見えるよう、髪も早急に整えて……そうですね、スーツも身に合った仕立てのよいものを着せたいですね。きっとかわいいですよ?」 「か、かわっ……!?」  再び、ぞぞぞぞぞ。  専務らしいことを言っていたのに、最後は私情を挟んだように聞こえた。  氷の貴公子たる男が終始顔をほころばせているのも不気味で、一気に鳥肌が復活する。 「というわけで、藤村君。こちらの成沢さんと一緒に身支度から始めましょう。成沢さん、お願いします」 「かしこまりました。さ、藤村さん、こちらへ」  ずっと光也の後ろに控えていたグレーヘアの男性秘書は阿吽の呼吸で千尋の肩をかかえ、専務室外へと連れ出す。  そのまま「さあ、こちらへ」と繰り返して社外に出て、運転手付きの車に千尋を押し込んだ。 ❋❋❋  成沢の人のよい笑顔に逆らえないまま、千尋が連れられた先は高級紳士用服飾店だった。 「華奢でおられますが、腕も脚も真っすぐですし、背のラインがお美しい。お仕立てのしがいがあります」  店主らしき男にうやうやしく接せられ、既製品ではあるが取り急ぎ、と言われて艶のあるブルーグレイのサマースーツを着せてもらった千尋は気後れするばかりだ。  その後は数枚のオーダー用紙にサインをし終えた成沢に、一等地の美容院へ連れて行かれた。  呆然とするばかりの千尋の髪に鋏が入り、あれよあれよという間にシースルーマッシュヘアにされている。 (うわ、短い、短すぎ。これじゃ顔を隠せない)  焦って成沢を探すと、彼はアシスタントの美容師に案内されてすぐ後ろまで来ていた。 「ああ、華奢な骨格に良くお似合いですね。はい、藤村さん、いいお顔くださーい」  成沢は持参していたタブレットの背面を千尋に向けると、待ったなしにシャッターアイコンを押す。  なぜ撮影を、と唖然とする千尋だが、成沢は画像と実物の千尋を交互に見て満足気にうなずくと、車を呼んで社へ戻る手筈を整えた。
/117ページ

最初のコメントを投稿しよう!