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不満げに眉を顰めているあたしに気がついた母は、スマホからこちらに視線を戻して笑った。
「この、桐政良さんの息子の一葉くんが、たぶん梨紅の言うヒーローくんなんじゃないかなって思うんだけど」
懐かしいわぁと、母は別の動画も見始めてしまうから、慌ててあたしは聞く。
「で、今どこにいるのっ?」
あたしの質問に、母は顎に手を置いて、悩むように目を閉じる。
「うーん……海外に飛んだりしてるし、その間に奥さんとは別れた……ような話も聞いたことあるし、一葉くんがその後どうなったかまでは分からないのよねぇ。たしか、歳は梨紅の一個上だったはずだけど」
「え、そうなの?」
「うん、そんなふうに話した記憶があるのよね。まぁ、でもあたしの記憶も当てにはならないわよ。それより! 夏休みは咲子さんのお手伝いしに行って欲しいから、東京なんてダメだからね」
ピンっとおでこを指で突かれて、あたしは仰け反った首をすぐに戻した。
「咲子さん⁉︎ わ! そーだった! 忘れてた!」
「梨紅がぜひ手伝いますとかなんとか調子のいい事言ったんじゃない。ちゃんと約束守ってよね、咲子さんから連絡きてたわよ、梨紅ちゃんのカフェエプロン姿見るの楽しみにしてるって」
「え、なにそれ。あのカフェ、制服とかあったっけ?」
「なんかね、バイトの子も雇ったみたいよ。だからいっその事制服作っちゃおうって、咲子さんかなり気合い入れてたわよ」
「……おお」
なんだか、夏休みが忙しくなるのが目に見えてきたかも。
「あ、咲子さん、桐さんと仲良いはずよ。もしかしたら、一葉くん情報知ってるかも?」
「本当⁉︎」
「とりあえず、その荷物は片付けなさーい。夕飯にしましょ」
ようやく傾いてきた太陽は、まだまだ地面を焼き付けてくる。ミンミン、ジージーと忙しなく鳴く蝉の中に、カナカナと、ひぐらしの声が聞こえた。荷物を自分の部屋に置いて、窓を開ける。ふわっと生ぬるい風がカーテンを揺らした。夕方とはいえ、まだまだ気温は高そうだ。
永遠に叶うはずがないと諦めかけていた夢が、もしかしたらすぐそこで待っているのかもしれない。まだ明るい夕焼けと夜の狭間。見上げた空に、一際輝く一番星を見つけた。
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