1 中華人民共和国、日本省

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1 中華人民共和国、日本省

「ホンマ、掛け値なし、マジ」年齢不詳の大陸人(シナリアン)は口角泡を飛ばしながら喚いている。「オマエ、ワタシがこれだけ言っても信じないアルか?」 「アホくさ。誰がお前ら(チャンコロ)の口約束なんぞ信じるかい。話がうますぎるわ、だいたいが」  取引相手はドジョウ髭に糸のような細い目をした、典型的シナリアンだ。龍の刺繍が入った派手なガウンを羽織り、両手を胸の前で平行に組んでいる。  胡散臭そうに眉をひそめているのは弱冠17歳の少年。名を二宮直哉(にのみやなおや)といい、着古したTシャツにチノパン、髪はセルフカット、身体の至るところに傷を負っている。背負っているザックには総スラム化した日本(現代社会)で生き抜くためのあらゆるアイテムが詰まっている。 「ワタシ信じたほうがよいアル。オマエ、がっぽり稼げる」 「ほな見せてもらお。ブツはどこにあんねん」 「ついてくるヨロシ。事務所、すぐそこアル」  大陸人はベレッタM950が在庫になっており、破格の値段で放出する準備があると啖呵を切っていた。無法状態に近いきょうび、護身用の小型拳銃は無限の需要がある。  黒ずんでクラックの入ったビル群を抜け、路地裏へと大陸人は足早に歩いていく。二宮は距離を空けて慎重にその後を追う。やがて大陸人は建っていることそのものが奇跡と呼べそうな掘っ立て小屋の前で立ち止まった。「ここアル。入るヨロシ」  ガタのきたすりガラスの引き戸をスライドさせ、中へ。内部には年代物のソファと安物のテーブルが中心に置いてあり、段ボールがところ狭しと積んであった。ソファには頭を剃った男と弁髪の男が対面で座っており、花札らしき賭け事を怒鳴り合いながらやっている。明らかに堅気の雰囲気ではなかった。大陸から渡ってきたマフィア、青幇(チンパン)である。  交渉相手のドジョウ髭が花札をやっている男たちに中国語で怒鳴り、二人も怒鳴り返し、いっせいに三人がうなずいた。「オマエ、支払いはなにでする」  二宮少年はザックを下ろし、小型の金庫を取り出した。暗証番号を合わせて開錠し、中身を取り出す。「これや」  それは正真正銘の百ドル紙幣であった。輪ゴムで留められる程度の厚みがあり、目測で百枚近くありそうだ。中国共産党地方支部の発行している信用通貨(紙切れ)ではない。青幇たちの顔色が変わった。ドジョウ髭がまくしたてる。「取引成立アル。ベレッタ1丁五百ドルで売るアル」 「ええで。ブツを見せろや」 「本物アル」 「ブツを見せろ言うとんのが聞こえんのか、ワレ」 「本物アル」ドジョウ髭は近くに積んであった段ボール箱をひょいと抱えた。「ベレッタM950、20丁で締めて1万ドルアル」  小型拳銃とはいえ、重量は300グラムはあるはずだ。弾丸や予備部品を含めれば20丁で10キロ近くになる。ドジョウ髭が怪力の持ち主でない限り、苦もなく抱えられるはずがない。  二宮は金庫にドル紙幣をしまい、適当に錠を回転させてロックした。 「なぜ(ドル)をしまうアルか? 取引は成立したアル」  花札の二人がいつの間にか、距離を詰めてきている。スキンヘッドの拳にはナックルダスターがはめ込まれており、弁髪は壁にかけてあった青竜刀を肩に担いでいた。 「へっ、なにがベレッタが在庫になっとるじゃ。聞いて呆れるわ」 「オマエ、選ぶアル。ドルを置いてくか、ここでワタシたちに(バラ)されるか」 「両方ともゴメンじゃ、アホたれ」  ドジョウ髭の股間を力の限り、蹴り上げた。ドジョウ髭がその場に崩れ落ち、股のあいだに手を挟んで呻き始めたと同時に、残りの二人が襲いかかってきた。二宮は身を翻して一目散に逃げ出した。振り下ろされた青竜刀は間一髪のところで外れた。  息が上がって走れなくなったところで振り返ると、雑踏の向こうにスキンヘッドが見え隠れしていた。完全に二宮をロストしたらしく、あてもなく右往左往している。  これで当分、こっちのシマには来れんやないか――。二宮少年はひとりごち、露店で売っている得体の知れない肉を買った。
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