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 大学に入り、サークルに加入後しばらくした頃。私に人生はじめての彼女ができた。  彼女はサークル室でいつも「新商品のスイーツ買っちゃった」なんて言いながらむしゃむしゃと甘いものを食べていた。だから、よくよく観察する必要もなく甘いものが好きなのだと知っていた。  しかし、皆で食事に行くとなると、皆と同じものを注文することが多く、担々麺やら、激辛鍋も笑顔でヒーヒー言いながら食べていた。だから、私は食事については甘みを求めない人で、デザートとして甘いものを楽しむ人だと思っていた。  ある日のこと、彼女の家にはじめてお邪魔したとき、出てきた料理が全部甘くて驚いた。 「本当はね、辛いの苦手なんだ」  彼女はそう告白したとき、とても苦い顔をしていた。 「みんなと違うものを頼んで、場の雰囲気を壊すのが嫌で、頑張ってた」  舌がべたつきを感じるほどにしっかりと甘く味付けられた卵焼きを口に放り込んだとき、新しく発せられた苦い言葉が部屋を漂い始めた。  私はなんと言葉を返せばいいのか分からずに、ただ彼女の話にうんうんと頷きながら、出された手料理を食べていた。全体的に甘いけれど、しかしそれにたいして嫌悪感はなかった。高級料理店で出てくるような味ではないし、そこら辺の弁当屋の味ともまた違う。まさにこれこそが家庭の味、と言えるような、あたたかい味がした。 「嫌いに、なった?」  彼女は瞳を揺らしながら、私に問う。「なんで嫌いになるのさ」とモゴモゴと口を動かしながら問い返すと、彼女の身体のどこか、いや、全身なのかもしれない。様々な部分から力がすぅっと抜けていっているように見えた。緊張からの安堵がもたらす、身体反応。 「あたしね、料理が下手だって言って、振られたことがあって」  彼女は少し晴れやかな笑顔を浮かべながら、語りだした。 「なんで甘いんだよって。母さんの料理はもっとしょっぱかったとかさ、あたしが会ったことがないお母さんと比べられたりしてさ。それで、その人の好きな味の料理が作れないからって、下手だって言われて」 「なんか押し付けがましい奴だな」 「ふふ。そうかも。押し付けがましい奴だったのかも。でもさ、その時って、押し付けられてるっていうよりも、出来ない自分が恥ずかしいって思ってて」 「ああ」 「それでね、あたし、お母さんの料理が塩っ辛くて大っ嫌いでね。その反動なんだか、自分で作ろうとすると甘くなっちゃうの」  母親の料理が好きではない。そんな共通点を見つけて、私は少し、嬉しくなった。ニッと笑うと、彼女は不思議そうに私を見た。ごめんごめん、続けて。そう心の中で言いながら、続く言葉を待つ。 「その甘くなっちゃう料理を否定されてさ、あたしが大っ嫌いなしょっぱい料理が好きだから、みたいに言われたらさ、自分が器用じゃなくて恥ずかしいっていうだけじゃなくて、なんかさめちゃって」 「相性悪そうだし、諦めちゃおうって感じか。それで……振ったの?」 「ふふ。振ろうとしたらね、その前に振られた」 「おお」 「くそーって思ったよ」 「先越された、って」 「そうそう。でもさ、結局、ただ別れただけ、って思ったら、先越されたとかどうでもよくなったんだけど」  冷め始めたコーンスープは、やっぱり甘い。けれど塩味もちゃんとある。遠くでかくれんぼしていて、時々ひょこっと顔を出してくれるみたいに、ちゃんといる。ちゃんとしょっぱい。確かに、しょっぱい。 「嬉しかった。ありがとう」 「なにが?」 「甘いごはんで、あたしのこと、嫌いにならないでくれて」 「ねぇ」 「なに?」 「もし『嫌い』って言ってたら、どうなってた? 今度こそ、振られる前に振った?」  彼女はうーん、と唸った。そして、 「『嫌い』の辛さによっては、ね」  肩をすくめて、ニコリと笑った。
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