五月の線路

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 この三日間スマホの電源を切っていた。人間味を感じられない丸いアイコンが喋る言葉を遮断したかった。最後の数時間で私の目は何を映すのかが気になったというだけの、中二病的な感性にすぎない。数時間後には全て消えるというのに。  三日ぶりのスマホは通知音で五月蠅かった。ロック画面をやはり丸い顔が埋め尽くした。 『今日はなにされた?』 『仲良くやってる?』 『おばあさんが可愛がるその顔見てみ…』 『家近いんやしさ、そろそろ会ってみ…』  たった三日ぶりだというのに覚えてしまったアイコンたちが懐かしく思える。  『祖母と暮らす人形』という名前で動いている私のアカウントは文字通り、私を人形と例えている。写真の投稿はなく、その日の出来事をただ書いては晒しているだけ。最初はただの日記感覚で、自分の反抗的な感情を押し殺すための呪文のようなものだった。それがいつしか変わった性癖の人物に刺さってしまい拡散され、気づけばフォロワー数は五千人を越えていた。その数字は私に存在価値を与えた。実際の私のは美貌とはかけ離れているように思うが、この男女かさえもわからない人たちは脳内で私という人形を美化している。きっとこんな可愛い綺麗な子がって。だから私は自撮りを載せない。いつまでも夢を夢のままにするために『祖母と暮らす人形』という楽園は私の精神力が支えている。  自分の投稿を遡っていると、ドアが二回ノックされた。 「美知華、枕くらい置いたら?」  尻を床につけたままドアを開けると、枕とタオルケットを持ってトイレの妖怪を見下ろしていた。 「なんでそこなんって聞かないんですか?」 「こっちに来てもベッドはひとつしかないし、俺と毎日一緒に寝るのをもし嫌やと思ってるんやったら、美知華が居たい場所におったらええと思う。ただトイレは使わせてな」 「いや、一緒に寝るのが嫌とかじゃないんですけど…」 「なんか事情があるんやろ? やなかったらあんな顔して駅のホームにおらん」  こういうのを優しいと言うのだろうか。わからないけれど、こんなに程よく距離を保ってくれる人間は出会ったことがない。きっとこの人も特殊な何かを経験してるに違いない。偽物の優しさはすぐに透けてしまうものだから。ピエロの仮面が近づいてきたら怖いものでしょ。 「ありがとう、ございます…」 「あと、そんなに堅苦しい喋り方せんでもええよ」  手に持っていた物を置いてリビングへ戻っていった。タオルケットを頭から被り視界を覆った。人の匂いがする。生地を鼻に押し付けて深呼吸をした。人の匂いってこんな匂いだっけ。  気づけば一番最初の投稿まで遡っていた。 『祖母の手は柔らかい。でも心地よさなんか微塵もない。全裸になった私を不気味な笑みでいつまでも撫で続けた。お人形さん遊びといえば着せ替えだものね』  佳栄子さんの指の皺まで鮮明に脳内で再生された。
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