雑草恐怖譚

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 少し前、家の庭に雑草が目一杯に生い茂っていて、余りに邪魔で仕方がないということで、夏本番が来る前に処分してしまった方が何事にも得だろうと思って、草抜きをすることにした。  我が家の草抜きは少し特殊なところがあって、まずは科学の力を利用するのである。庭に生えている雑草の根元に、液体状の除草剤を撒いて、それから三日ほど待つのである。すると、現代科学は凄いもので、三日のうちに雑草が次々と死んでいく。どれだけ深緑でやたらと背の高い雑草も、麦色に変わって、根元付近から倒れ込んでしまうのだ。  ここまで出来たら残りの人間のやることは簡単で、無抵抗の雑草の亡骸を掻き集めて袋にまとめて火葬するのみである。無駄に集ってくる羽虫などのことだけ気をつけておけば、対して困ることもない。  ということで、私は庭中に除草剤を撒いた。当然、あんな元気な雑草たちをたったの七二時間で死滅させられることの出来る毒物なのだから、人間にとっても害があるのは当たり前のことである。だから、私は夏目前とはいえ既に気温が三〇度を超えている庭の中で、長袖長ズボンにマスク、両手にゴム手袋という重装備で除草剤を撒く羽目になった。  言わずもがなではあるがこの格好、暑くて仕方ががない。こんなことも、雑草さえ生えなければこんなことをしなくても済むのである。私は酷暑の苛つきを、全て雑草の所為にすることで、解決することにした。とりあえず、除草剤の入っている容器に掲載してある目安量の、二倍の量の毒物をばら撒くことにしたのである。環境保全など、私の知ったことではない。そもそも、人間の言う「環境」というのは、「人間の邪魔にならず、更には人間の役に立つ環境」ということを、暗に指して言っているのである。そうでなければ、人間が住む家を建てるための木材を手に入れるのに杉を大量に栽培し、杉花粉の影響で人間が体調を崩し始めたら森林丸ごと伐採します、という理論になる筈がないのである。  さて、そんなわけで、全人類を代表して私は害しかない雑草に毒物を撒き散らしたのである。そうして、予定通り、三日ほど待ったのである。  さて三日ほど経って、私は今度は半袖半ズボンの軽装備で庭の雑草の死骸集めをすることにしたのである。ちょうど昼頃であった。庭へ出てみると、庭一面に雑草が寝そべっているのである。寝そべっているとは表すが、実際には、永遠の眠りについている状態で、もう起き上がることはないのだ。色も緑から麦茶色に変色して、はっきり言って汚らしい。こういうものは、さっさと片付けてしまった方が良いものだ。  さて、そんなこんなで私は下を見ながら家の庭の雑草を片付けていたのだが、ふと前を見ると、一本の猫じゃらしを見つけたのだ。  その猫じゃらしは、周りの雑草たちが倒れてしまっている地獄の様な庭の中で、緑色の茎の先にあの猫じゃらしのIdentityと言っても過言ではない花の房々を実らせたまま、ただ一本、超然と突っ立っていたのだ。  その猫じゃらしの様は、私に恐怖を与えた。この家の庭に生えている全ての雑草たちは、この私ですら重装備をした状態で扱わなければいけなかった猛毒を含む除草剤を、少なくとも適量の二倍は浴びている筈なのである。それで尚、この猫じゃらしは、まるで何事もなかったかのように、力強く生き延びていたのである。それは例えば、何度も何度も観た筈の映画で、突然知らない一幕が始まったときの様な、未知への恐怖であった。  私は、意味も分からず怖くなって、それまでに集めていた雑草の死骸を詰めた袋すらもほっといて——何しろ、あんなに毒物を浴びて尚、生きている猫じゃらしがいたのである。いつ袋の中の雑草たちがゾンビの様に蘇るか、分かったものではない——大急ぎで自室に戻り、夜が明けるまで震えていたのである。  結局、何が恐ろしくって雑草たちから逃げたのかは自分でも分からなかったが、私の判断は合っていたようで、翌日、恐々と家の庭を覗いてみると、私が庭に捨て置いていた袋の中からは、集めておいた筈の雑草たちが、全て逃げ出していた。  それでも、あの猫じゃらしはただ一本、超然と立っていた。  今でも、それだけは力尽くで引っこ抜かずにいる。当然、私に勇気さえあれば軽い力でも根から抜けるのであろうが、抜いた後に何が起きるか、間違って禁忌を犯す羽目にならないかしら、などと勘繰って抜いていない。他人が聞いたら杞憂と嗤うかも知れないが、別に構わない。猫じゃらしがしぶとさで生き抜くならば、私は臆病ぶりで生き抜く。花の房々が猫じゃらしのIdentityならば、逃げ隠れするのが私のIdentityである。
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