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それが、何だって?
『結婚を前提とした真剣交際』?
『及川さんの猛アプローチで交際を開始』?
『昨年の夏』?
ほんの二週間前に将来の展望を確かめ合ったばかりではないか。結婚式の引出物はカタログじゃ味気ないだの子供は三人は欲しいだの。環の自宅から電車で二時間以上かかる、相模原市のラブホテルの一室で、ベッドの上で、お互い素っ裸で。
待て待て待て、と大いに焦り、環は床に放り出していたスマホを手に取る。
【ニュース観たんだけど】
【結婚て】
【誤報だよね?】
【私と将来を考えてるって言ってたよね?】
まともな文章を打つ余裕もなく、思いつくままに短文を連投する。
気持ちが逸り、胃の辺りから重い不快感が迫り上がってくる。
大丈夫。
芸能人のスキャンダルなんて、八割は捏造だし。話題作りの一環かもしれないし。
そう思いながらも、頭の中では先程のアナウンサーの声が何度もリピート再生されている。
『結婚を前提とした真剣交際を、双方認めています』
ねばっこい汗を滲ませながら待っても、送信済みのメッセージはなかなか既読にならなかった。
返事が来たのは、日付が変わった後だ。
何もやる気が起きず、夕飯後からずっとベッドの中でスマホを握り締めていた環は、通知音に跳ね起きる。
メッセージアプリを開くと、こんばんは!と陽気なスタンプが目に飛び込んできた。
【報道の通りだよ!】
【今まで僕の演技の練習に付き合ってくれてありがとう!】
【本物の彼氏だって勘違いさせちゃうほど巧かったかな?】
環は愕然として画面を見つめた。シュポン、と間の抜けた通知音が鳴って、困ったなぁ、と照れ顔をした白熊のスタンプが表示される。
【彼女が誤解するといけないから、もう練習は終わりにしようと思うんだ】
【それじゃ、これからも応援よろしくね!】
バイバーイ⭐︎と笑顔で手を振る白熊。章二がよく使う、無料でダウンロード出来るスタンプだ。
身動きが取れなかった。瞬きすら出来なかった。
しばらくしてはっと我に返り、章二に電話を掛けた。
嘘でしょう。冗談でしょう。
頭の中はその二つの単語がぐるぐる回るだけだ。
けれど電話口からは延々と鳴り続けるコール音が聞こえるばかりで、いつまで経っても応答はない。
復縁を乞うメッセージをいくつも送った。文章を打つ間に段々腹が立ってきて、途中からは思い付く限りの罵詈雑言をひたすら送り続けた。
眠れないまま翌日を迎えても、既読はつかなかった。
カーテンの隙間から朝陽が漏れ入る頃、スマホの充電が切れた。環はそれを、力一杯枕に向かって投げ付けた。
ふざけんな。
そんな開き直り方、あるか。
太陽みたいなトップモデルと比べたら、環なんて二億光年先を漂う塵のようなスペースデブリに等しいだろう。全人類を集めたって、二人を比べて環を選ぶ人なんていない。そんなのわかってる。でも。
ちゃんと謝ってくれたら良かった。
少しでも申し訳なさそうにしてくれたら良かった。
何も言わずに去ってくれた方が、まだ良かった。
こんなふうに、徹底的に馬鹿にされてた事を思い知りたくなかった。
一晩中泣いた環の顔は、ぱんぱんに浮腫んで瞼も開かないくらい腫れていて、鏡を見た環は、あぁ、いっそこの顔で章二の枕元に化けて出てやりたい。
そう思うくらい、ぐちゃぐちゃだった。
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