1・運命の輪 逆位置

3/5
365人が本棚に入れています
本棚に追加
/79ページ
 その手に握ったものを、結局環は投げる事が出来なかった。  振り上げた腕を、背後から誰かに掴まれていたからだ。  掴まれた瞬間、どくん、と大きく心臓が跳ねた。    誰かから体に触れられる機会なんて、章二以外には無くて久しい。  だが今、環の腕は、章二の細く柔らかいそれとはまるで違う無骨で力強い男の手に、がっちりと捕らわれていた。  その手から、無言の意思が伝わってくる。  動くな。  圧倒的な威圧感。  時間を止められたかのように、頭も体も、一瞬で動作を停止した。    恐る恐る振り向くと、その手の主は、さっき章二の近くにいた兵士のような男だった。氷の矢をつがえたような鋭い目で、環を睨んでいる。  男は凍りつく環の指をもう片方の手でぐいっとこじ開け、手中の物を取り出した。  「──何だ、これ…」  どこか拍子抜けしたような声に、張り詰めていた空気がふと緩む。  「は…離してっ!」  我に返った環は逃がれようともがくが、腕は掴まれたまま振り払えなかった。それでも抗ってじたばた暴れる環の視界の端に、赤い色が引っ掛かる。  「あっ…」  行ってしまう。  章二が、行ってしまう。  揉み合っている内に、気付いたら章二は車に乗り込んでいた。  環は呆然と、遠ざかっていく赤いテスラを見送った。車輌が視界から完全に消えると全身から力が抜けて、へなへなとその場にへたり込む。  「行っちゃった…」  力無くその場に膝をついたが、男はそれでも尚、掴んだ手を離さない。伸びきったゴムのような腕だけが、だらんと宙に浮いているようだった。  「…もういいでしょ。離してよ」  環は地面を見つめたまま、男に向かって小さな声で訴える。  だが男は、淡々とした声で突っぱねた。  「そういう訳にはいかない」  ぐいっと環の腕を引き上げて、無理矢理に立たせる。  「御同行願おうか」  剣呑な目付きでぎろりと睨まれて、環の顔からはさぁっと血の気が引いていった。   
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!