1・運命の輪 逆位置

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 平日、ランチタイムのピークを過ぎた郊外のファミリーレストランは、客もまばらで閑散としていた。  奥まったテーブル席で、環は先程の兵士と向かい合って座っている。元々の体格差も結構なものだが、彼に対する畏怖で小さく縮こまった環にとって、目の前にいる男はほとんどヒグマに等しかった。    「──そうか」  章二に危害を加えようとする、その動機と目的を吐け。  そう言われ、環は(つまび)らかに、章二との経緯(いきさつ)を語った。  初めは男に対する恐怖心で渋々語り始めたのに、いざ話し出すと止まらなくなった。  考えてみれば、章二との事を他人に詳しく話したのは初めてなのだ。人間関係の構築すら面倒くさがる環には、辛い時にいつでも話を聞いてくれるような親しい友人もいなかったし、そもそも交際当時は秘密の関係だった。  章二とどういう関係で、どんな終わり方をしたのか。章二がどれだけ屑なのか、いかに環が傷ついたのか。  誰かに、聞いて欲しかったのかもしれない。  最初は無表情で話を聞いていたその男も、別れのやり取りの辺りで眉間に深い皺を寄せ始めた。環に向けるひたすら冷たかった視線に、僅かな温度が宿る。  この表情は何だろう。同情、だろうか。  「…私の目的は、章二への復讐。地獄を見せてやりたいの」  三十分程の話を終えて環が黙ると、男は深い溜息を吐いた。  「──話はわかった。でもそれでどうしてコレなんだ」  「コレって?」  「コレだよ」  男が指差したのは、テーブルの中央にころんと転がる、ひとつの卵。  先程環が章二に向かって投げようとしていた物だ。  「生温(なまぬる)くないか」  「え?」  「それだけの目に合っといて、卵ひとつぶつけるだけで気が済むのか?そんな(ぬる)い地獄あるかよ」  「いや、だって」    男がぐっとテーブルに身を乗り出したので、環は(ひる)んで、うっと身を引いた。  「復讐するならもっと、あるだろ色々。物投げるにしたって石とか爆発物とか」  「いや、そんなの投げたら怪我するでしょ。危ないじゃん。警察に捕まっちゃうし、周りも巻き込んじゃうし」  「毒物盛るとか」  「毒物なんてどこで手に入れるの。それにそれも危ないじゃん。量間違えたりしてうっかり死なせちゃったらどうすんの。殺人犯になっちゃうじゃん。そんな事になったら親も悲しむし」  「奴に受けた仕打ちをメディアに暴露して俳優生命を断つとか」  「メディアって、週刊誌とか?やり方よくわかんないし、私まで注目浴びちゃうじゃん。ご家族にも迷惑かかるだろうし」  「本当に復讐する気あるのか、あんた」  男は呆れたように、深い溜息を吐く。  「あるもん」  むっとして環は口を曲げる。丁寧に敷かれた紙ナプキンの上に転がっている卵を指差した。  「章二は生卵が嫌いなんだよ。ぬるっとしてて気持ち悪いって言ってた。それにその卵は復讐用の特製だもん。炎天下のバルコニーに三日間放置して熟成させた…」  「あのな。たかが卵って言ったって、人に向かって故意にぶつけりゃ立派な暴行罪だ」  「えっ…」  男の言葉に、環は絶句した。  環にとって理想の復讐とは、つまり。  章二は不快な思いをし、自分の罪を省みる。環自身は罪に問われず、周りに被害が及ばない。そういう類のものだ。暴行罪などと不穏な罪状がつく行為は避けたい。  「例え相手に怪我ひとつなくてもな。ましてや相手は芸能人だ。確実にニュースになるだろうし、あんたはチンケな犯罪者として後ろ指さされる事になる」  「そ、そんな馬鹿な」  「大体あんた、さっきから保身と周囲の安全しか考えてないじゃないか。向いてないんだよ」  「いや、でも」  「悪いことは言わん。つまらん復讐なんてやめとけ」  「でも…」  言い募ろうとして、環はそのまま言葉を呑んだ。  向いてないのはわかってる。  なりふり構わず復讐の鬼と化す程の熱量もなければ、辺り一遍(いっぺん)死なば諸共という度胸もない。おまけに謀略を巡らす頭もない。  でも、それならば。この気持ちを、どうやって昇華すればいいのだろう?  
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