貸し借りなし

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貸し借りなし

「……まずは、非礼をお許しください」  青年となったアンガスは、エーレンディアにそう告げる。今度はエーレンディアの母語、アカイア語だった。  果たしてエーレンディアの身柄は勇士アンガスに下賜され、エーレンディアは別室に導かれた。二人きりになれたものの、それ以外では特に待遇が変わったわけではなく、未だにエーレンディアの両腕には縄がかけられている。 「……全ては、君の差し金か」  エーレンディアは吐き捨てる。思い返してみると、彼らイベルニア人の戦い方は、十年前とは全く違っていた。賢く、周到で、狡猾ですらあった。 「満足か? 君に辱めを与えた敵将に、同じ辱めを与えることができて」  エーレンディアはアンガスを詰る。 「お許しください。我らには、独立が必要なのです」  それから、アンガスは話し始める。 「あなたに言われた言葉を、ずっと考えていました。帝国はイベルニアを滅ぼそうとしているのではない、我らにとって一番良い道は何なのかと。ですが、我らは帝国と同じではない。文化も、文明も。より下等な民として扱われる以外の道はない、指を咥えて状況を眺めているだけでは」 「……だから」  アンガスの言葉に、ぽつりと、掠れた声でエーレンディアは答えを返す。 「だから君が、今度は私を(はしため)にするというのか? 君の氏族の文化に従って」  その言葉に、アンガスは無言でエーレンディアに近づく。エーレンディアは、思わず身じろぎする。 「……え?」  アンガスが取ったのは、予想外の行動だった。  彼は、エーレンディアの足下に跪いたのだ。 「あなたに謝らなければならないと、ずっと思っていました。私はあなたを侮辱した。(はしため)とされる、などと。無知と無理解から。それなのにあなたは」  それから、アンガスは顔を上げると、エーレンディアを見る。 「あなたは、私を救ってくださいました。私の名誉が傷つかないように、背景まで考えた上で。だから今度は私が、同じようにする番です」  アンガスは立ち上がると、エーレンディアにかけられた縄を解き、それから手を握る。 「お逃げください。帝国に帰って、それから……。願わくば彼らに、我々をもっと理解し、我々に自治権を……一つの国家として認めるよう、働きかけて欲しい。ですが、これは私の勝手なお願いです。あなたには、あなたの考えで行動していただきたい」  そう語る端正な顔立ちと、真剣な眼差しに、エーレンディアは逆に、拍子抜けしたように感じる。あるいは、安心して急に気が抜けたのかもしれない。 「あ、あははは……。それで一芝居打った結果の、血筋に迎えたい、云々、か」 「あ、違います。それは」 「どういう意味だ?」  ここで初めて、アンガスは笑みを浮かべる。美しい微笑と言って良かった。 「あれは本気です。一字一句違わず。ですが今ではない。もしあなたが、一人の自由な人間として。ご自分の意志で私を選んでくださるのならば。是非私の妻として迎え入れたいと、そう思っています」  その、美しい満面の笑み。 「くっ……。あのな。何というか。そのな」  何か言おうとしたエーレンディアだが、その後の言葉が続けられない。 (『殺さなかったことを後悔する』、か……)  アンガスを生かしておけば、いずれは帝国の脅威となることは、あの時から明らかだったのだ。それに今のこの処遇も、アカイア帝国の騎士としては屈辱と思うべきなのかもしれない。  また、彼の思惑通りになるか、そうすべきかも分からない。エーレンディアがアカイアとイベルニアの和平を担うことになるのか、改めてアンガスと戦場で雌雄を決することになるのか、それとも表舞台から退場することになるのか。これが戦争である以上、絶対的な決定権はエーレンディアの手にはない。  だが、自分が彼を殺したいと思ったとか、今後も思うなどとは、エーレンディアには考えられないのだ。 (こういう、運命だったのかもしれない)  エーレンディアは頭を抱える。  アカイア人は、その長い人生で、滅多に恋はしない。  それなのに、この胸騒ぎはなんなんだろう。 (了)
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