捕虜交換

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捕虜交換

 果たして、アカイア帝国守備隊とゴート氏族の間で交渉が行われることとなった。今回に先立つ襲撃でゴート氏族は守備隊の兵士を数名捕縛しており、それと少年アンガスを交換するよう計らっていた。イベルニア人の伝統では捕虜は即座に奴隷にされるはずだったが、アカイア帝国との戦いで生き残りをかけている彼らの氏族は、幸い扱いには慎重であったようだった。 「……と、いうわけだ。交渉は無事進みそうだ。良かったな、少年。……アンガス」  そんな風に、牢内のアンガスにエーレンディアは声をかける。危険もあってアンガスを自由にはできず、牢には入ってもらっている現状だが、敵方の貴人である以上、衣食住には気を使っている。牢は石造りで、外部に面しては手が届かない高さに小さな窓が開いている。内側に面して嵌まっている格子は木製だが、太く堅牢な木材が使われており、ちょっとしたことでは壊れそうにない。 「……あなたが、分かりません」  暗い声を出したのは、牢内のアンガスだ。 「まあ、そうかもしれんが。イベルニア人としては。だが、これも異文化交流だ、そう思ってくれ」  そんな風に曖昧にはぐらかそうとするエーレンディア。しかし、アンガスはなおも言い募る。 「私は襲撃で、あなたの兵士を殺しました。それも、片手に余る数。それなのに、それよりも少ない兵士と引き換えに、私の命を助けようとする。なぜですか?」  そう言って、牢の中からアンガスは、エーレンディアの目を睨め付ける、その青い、獣のような目で。 「……そうだな」  エーレンディアは考え込む。確かに、アンガスの言葉は理に適っている。彼の助命を図るなら、帝国の将兵として然るべき理由がなければならない。 「我々の目的は、アカイア帝国辺境の安定化だ。イベルニア人を滅ぼすことではない。我々の定義では、君たちもアカイア帝国の住人なのだ」 「それは、あなたがたの」 「そうだ、あくまで我々の定義だ。だが君たちとは未だ、相互理解が得られていない。であれば、その問題を解決することこそ、我々の使命であるはずだ。違うかな?」  エーレンディアの言葉に、アンガスはしばし黙り込む。 「私を解放すれば、私はいずれまた、帝国の敵として立ちはだかります。殺しておいた方がよかったと思われるかもしれません」 「そうなれば、私の過誤ということになるだろうな。だが、そうなるまでに、君にも選択肢がある。考えてみてほしい。君と、君の氏族と、イベルニア全体にとって、何が一番良いのかを」  言いながら、その言葉がもしかしたらアンガスには届かない、自己欺瞞のようなものであることをエーレンディアは意識する。だが、同時にエーレンディアは考えざるを得ない、イベルニアの戦士としての自負が、アンガスを悲惨な運命に追いやりかねないことに。虜囚となる恥辱に関する言い伝えや、罪人を崖下に突き落とす神明裁判は、エーレンディアから見れば迷信と言わざるを得ない。 「……それに」  そう思わず呟いて、それからエーレンディアは笑う。 「何ですか?」 「君は、恋もしたことがないのではないか? イベルニア人は恋多き民と聞く。死ぬ前に人生の歓びを得てみたいと、そう考えるものだろう」 「…………! やめて、ください。怒りますよ」 「敵の怒りを受けたところで、痛くも痒くもないな」  そんなことを言って少年を揶揄(からか)いながら、エーレンディアにはある思いがあった。イベルニア人が恋多き民であるのは、その寿命の短さゆえだ。彼らは生まれてから十五年ほどで長じ、瞬く間に年を取り、長くても七十年ほどで寿命を迎える。  アカイア帝国の主たるアカイア人は、まるで違っている。およそ五十年をかけて身体が育ち、その後はゆっくり時間をかけて老化していく。その速度は人によって様々で、寿命はおよそ三百年から五百年、長いものになると千年は生きる。そして、死ぬ時には枯れ木が倒れるように急激に老化して死を迎える。  だから、アンガスが年老いて死ぬのも、エーレンディアよりは早いだろう。この少年がその短い寿命を幸せに全うし、自分とは再び戦場で相見えないことを、エーレンディアとしては願うしかない。  その答えが出たのは、それから十年後のことだった。
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