最終話 生きていくには必要ないけど、生きていくならお前とがいい。

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 着信音が鳴った。  文化祭でPVを作成した時に使った、あの曲だ。  すっかり想い出に耽っていて、段ボールを開封する手が止まっていた俺は、慌てて我に返る。スマホを探すと、窓際に置いたカラーボックスの上で震えていた。  画面を見て、ふ、と頬が綻んだのを感じる。  通話ボタンを押すと、「もしもし」と直ぐに声がする。 「片付け、終わった?」 「あとちょっと。そっちは?」 「こっちはもう終わったぜ!」 「じゃ、手伝いに来いよ」 「物を頼むにしては、ゴーインな言い方デスねぇ」  通話はたったそれだけで切れる。俺は、彼が来るまでの時間に少しでも片付けが進むように荷物を片付けていかなきゃいけなかったけど、思い付きで別の段ボールを開封した。マグカップとかそう言う、壊れたら困るものが入っている。その中で、より厳重に緩衝材に包まれた、DVDを取り出した。  片付けもそこそこに、レコーダーにセットする。それから台所へ行き、ケトルをセットする。  お湯が沸いた頃、玄関の開く音がした。 「鍵開いてんじゃん。ぶよーじん過ぎねぇ?」  丁度、逆光になって、その派手な色の髪がキラキラと光る。夕陽によく映える髪色だな、と思った。 「男の一人暮らしだし、よくね?」 「ダメダメ。鍵はちゃんとしろよ。強盗だったらやべーだろ?」  言いながらキチンと鍵をかけて、彼はこちらへやって来る。瑠衣とは違う大学だけど、二人の大学の中間地点でアパートを借りた。 「おかえり、瑠依」  にこりと微笑んでやると、「違う違う」と瑠依は苦笑する。 「お邪魔します、だから。オレ。『ただいま』じゃないから」  残念ながら、同棲ではない。でも、近所だ。少しでも長く一緒に居たい想いと、同棲はきっちりと責任を取れるようになってから、と言う想いがせめぎ合った結果の、打開策だった。  瑠依はそこへと案内しなくても、二人掛けのソファーへと腰掛けた。俺も、ソファーの前のローテーブルへとコーヒーを持って行くと、瑠依の隣に座った。開いていない段ボールは二つ。片付け途中のものが一つ。一度に片付けなくても、これから始まる長い生活の中で、少しずつ片付けていったら良いやと思った。 「今さ、レコーダーに懐かしいもの入れてるんだけど、一緒に観よう」 「片付けは?」 「急がない」 「なんだよそれ、」と苦笑する瑠依に構わず、再生ボタンを押す。 『えっ、これ、カメラもう回ってるの?』    画面の向こうから、明るい声が聞こえる。笑顔の瑠依が、利き手じゃない方でこちらを指差す。  右手は、撮影日の前日の金曜日、実家の工場の機械で巻き込まれたらしい。裂傷していて、何針か縫ったんだとか。その日は腫れも酷く、とても学校に行けなかったのだとか。  代役を立てるか、別日に撮ろうか。そう提案したらしい長谷さんの言葉に、瑠依は首を頷かせなかったと言う。全部、その時の俺は何も知らなくて、重ねる打ち上げや雑談の中で、色んな人から少しずつその時の事実を耳にした。 『はー。しっかし、マジで二人、付き合ってるみたいに見えるな』  山岡の声。   『綾野、長谷さんからメールでデータを受け取って、金曜の夜に絵コンテみたんだって。そんで、このシナリオなら、オレが絶対に主役するって言い張ったらしいよ』―――そう、俺にこっそりと教えてくれたのは、夏樹。  瑠依は絵コンテを見るなり、直ぐに長谷さんに電話をかけたそうだ。学校行けなくてごめん、から始まった電話は、「右手は使えないけど、明日は絶対に行く」と言う主旨の内容だったらしい。 『二人って、本当に付き合ってたの?』―――長谷さんは期待に目を輝かせながら、こっそりと俺に訊いて来た。  この時、まだ瑠依は真宮と付き合っていた。  俺達はずっと言葉を交わさないままだったのに、すんなりと撮影に入った。視線を交わして直ぐに、お互いがもうお互いを怒っていないことに気が付いた。……それから、消えずに燻っている、確かな炎を。  瑠依を求めた指先は、彼に確かに触れた。演技なんてしなくて良かった。ずっと、想い描いていた通りに、俺達は指を絡めて道を歩き、アイスを半分こにしたり、ハグをした。ドッドッド、と通常より早い鼓動が、どちらのものかわからなかった。俺達は、これと言った言葉を交わさないままに、『恋人』を演じきった。  すれ違い、別れのシーンだって、演じる必要なんて無かった。俺達はすれ違ったばかりで、演技とは言え浴びせられる目線やされる行動は、全て、『俺達がもし付き合ったなら訪れる可能性の高い未来』の様子だった。  瑠依は、例えばそう言った好奇の目に、差別に、苦しまないだろうか。俺は、彼をしっかりと支えられるだろうか。 ――――……瑠依はまだ、俺を好きで居てくれているのだろうか……。  泣きそうで堪えている俺の顔がアップで映る。去っていく瑠依の背中を見つめているシーンだ。 『……柊も、目薬いらなかった……』 『すげぇなコイツら、プロなのか……?』  度々、変なアフレコを入れては長谷さんに怒られる山梨と山岡の声が聞こえていたが、アフレコの他にもこういった二人の感想のやり取りが拾われていて、それがより一層、その時の時間を思い出させてくれた。  あの時の俺は、すっかり主演の一人だった。瑠依を守るには拙過ぎる自分の存在が、許せなくて、やりきれなかった。二人のささやかな幸せさえも認めて貰えない、環境が憎かった。…………瑠依に、立ち去って欲しく無かった。 「…………ここ、椿も目薬入れなかったんだって知って…………嬉しかった……」  瑠依は照れ臭そうに笑いながら、俺の指に指を絡めて来た。きゅ、と握り合う。 「…………誘ってる?」  俺は直ぐに瑠依の顔をこちらへ向けて、唇を重ねた。 「ん、」  浅い口付けは、回を重ねて深くなる。舌も指も絡み合ったまま、瑠依はソファーへと身を委ねた。俺はもう片方の手の指もしっかりと絡めて、深い深い、キスをする。 『カットオオォ! オッケエェェエー! お疲れ様でしたっ!』 『最高のものが出来そうだね!』 『やっばい、なんかおれもきゅんきゅんしちゃった~』  テレビの向こうで皆の笑い声が聞こえる。そんな、輪の中に俺も居て、皆と同じように笑えている。こんな風に誰かと楽しさを共有する喜びを、俺は知らなかった。  愛も。嫉妬も。ままならない感情も。自分の世界の狭さも。人は見かけによらないことも。他人と過ごす心地よさも、その全部が、瑠依と出逢えなければ知らなかったモノ達だった。 「瑠依、覚えてる?」 「……うん?」  瑠依の蕩けた目が俺を捉える。 「お前が真宮にフラれたって知って、俺がお前に告白した時の言葉」  真宮はどういう心境の変化があったのか、文化祭の熱がまだ冷め切らない、冬を目前にした時、瑠依を振った。……彼を、解放することを選んだ。 「…………忘れるわけ無いじゃん」  瑠依の右手がそっと俺の頬を撫でた。愛おしいと思ってくれていることが、その優しい手付きから伝わってくる。俺はその手のひらにキスをすると、瑠依がくすぐったそうに笑う。 「『お前が居なくても俺は生きていけるけど、生きていくならお前の傍でが良い』……なんて、プロポーズかよ」 「普通、結婚する気も無いのに付き合ったりするなんて不誠実だろ?」 「……お前の『普通』って、ハードル高いよな」 「あー……それ、夏樹にも言われたことある」  瑠依が少しだけ身を起こし、俺の唇を塞いだ。嘗ての拙かった瑠依からのキスとは違う。啄むような、誘うような、色を知っている甘いキスだ。  俺が教え込んだんだ、と思うと込み上げて来るものがある。俺達は互いに腕を回して、しっかりと身体を密着させた。 「ん、んんぅ、」  夏樹の名前を出すと未だに可愛らしい嫉妬をする俺の彼氏が、すっかり満たされるように、丁寧に深く、キスをした。絡み合った舌先はすっかり熱くなっていて、蜜のように溶けてしまうのではないかと思った。いつか、瑠依と俺はそうやって、一つになるのだろうか。  幸せが込み上げる。 「……瑠依が、『俺もう弓引けないかもしれないけど、いいの?』って返して来たのも、覚えてる?」 「…………うん。だってお前、弓引いてるオレに惚れたんだろ……?」 「瑠依に惚れてんのに。お前が何が出来るとか出来ないとか、関係無いのにさ。変なとこ気にしてて、笑った」 「うるっせ……」  また口付ける。何度唇を重ねたって、足りない。もっと欲しくなるから不思議だ。もう、何もかも俺だけのものなのに。何にも焦らなくてもいいのに。ただ、愛おしい気持ちが溢れて溢れて、止まらない。  本当に、もう。正真正銘、俺だけの綾野瑠依が、俺の腕の中に居た。  浅いキス、深いキスを繰り返す。テレビ画面はいつの間にか消えてしまっていた。 「ん、ふぅ……んん、……」  トントン、と胸を叩かれて、その唇を解放する。浅い呼吸を漏らす、濡れた瑠依の唇がゆっくりと動いた。 「…………もう、一人にしないから……」  瑠依は、蕩けた笑顔で、俺を見つめる。 「オレはお前を独りにしないから。もう、絶対に間違えないから。だから、オレの傍で笑ってて」  紡がれた言葉が嬉しくて、今度こそ、俺の胸の奥にあった確かな呪いを溶かした。  その雪解け水は、一筋だけ、俺の頬を流れる。 「…………それこそ、プロポーズかっつーの」  知らなかったんだ。  誰かを想うことがこんなに苦しくて狂おしくて、浅はかで身勝手で……。だけど、幸せで、優しい。こんなに満ち足りた『愛』を、俺は知らなかった。  本を読んだって知り得なかった感情を、彩りを、世界を、教えてくれたのは、瑠依だ。  俺の想い描く未来に、お前が居る。  そんな幸福を知り得た出逢いに、感謝した。   「愛してるよ、瑠依」 「……オレも。愛してるよ、椿」  暮れていく窓の外の世界とは裏腹に、俺達の未来は、明るく広がっていった。  
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