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一話 柊くんは意外と世話焼き
愛だとか恋だとか、くだらないと思う。
そんなものに現を抜かしているくらいなら、勉強をしろ、勉強。それか本を読め。未来を見据えないか。堅実に生きていく為の方法を模索しろよ。バカなのか?
結婚? 赤の他人と一緒に暮らしていける気がしない。
子供でも出来たらどうする。お金はかかるし、自分が自由に過ごす時間も減るわけだ。子育てのストレスから、生涯愛し続けるとか誓ったはずの嫁からは、イライラをぶつけるサンドバッグ扱いされるわけだろ?
御免被る。
俺には必要の無い未来だ。
バタン、と敢えて音を立てて、読みかけの本を閉じた。
「あっ……!」
慌てたのは女の方。男の方はチラリとこちらに視線を寄越し、口許を歪めて笑った。――――アイツは、絶対俺に気が付いてたな。
「……此処、図書室なんだけど?」
放課後の図書室は神聖さを増すと思う。
開け放たれた窓からは柔らかい風が入り込みカーテンを揺らす。日の高くなった放課後、まだ明るい陽射しが差し込み、舞う埃さえもキラキラと輝かせる。
グラウンドで部活動をしている音が遥か遠くで聴こえるようなところも好きだ。図書室は静寂で、時折、誰かが本を捲る音がするのが好きだ。切り離されているのに、静止ではない。異世界のようで、現実世界。そんな空気感が好きだった。
なのに、今日は最悪だ。
「柊くん、オレ達のキス、見てたの? えっちー」
この図書室に相応しくない、浮わついた声がする。雑音だ。その、明るい髪の色だって、溶け込まない。この空間に於いて、その存在は異物だった。
「見えたんだよ。お前らこそ変態なのか? 普通そういうことするんなら、人目を気にするだろ? なんで校内でするわけ?」
「彼女が本返すっていうからさぁ。付き合うじゃん? そしたら、キスしたくなるじゃん? そしたら、するっしょ?」
俺はこういう人間が世界で一番嫌いだ。
頭痛すらしないのは、最初から理解出来る生物だと思っていないからだ。
彼女、と言われた女は恥ずかしそうに身を縮ませているものの、どういうわけかにやけそうになるのを必死に堪えているような表情をしていた。キスを他人に見られて喜んでいるなんて、やはりどちらもとんだ変態と見える。
反省なんてしていないのは、バックハグをしながら俺と会話を続けているところからも見てとれる。
「本の返却ならとっとと済ませろ。早く持って来いよ」
図書室には、幸いと言うべきか災難と言うべきか、図書委員の俺と、彼らしかいなかった。中間テストが終わり、部活動が再開したせいだろう。つい先週までは、自習机に空きが無くて引き返す生徒を度々見たが、テストが終わった途端、手のひらを返したように、人気が無くなる。俺の図書室が返ってくるようなものだ。
「本はもう返したぜ?」
「は? おい、まさか適当に戻したんじゃないだろうな?」
「え? そのまさかだけど、なんかダメだった?」
これには流石に眉間を抑えた。誰もがご存知の事だろうが、本を借りる際には当番の図書委員へ貸出処理をして貰う必要があるし、返す時も返却処理をして貰う必要がある。それから、本棚へ返すのは図書委員の役目だ。貸し出された本はちゃんと『住所』が決まっている。適当に仕舞い込まれては困るのだ。
「……本のタイトルは?」
男が依然として抱き締めている、その腕の中の女へ視線をやる。女は今度こそ気まずそうに視線を逸らした。流石に口許もにやけていない。それにしても、こんなチャラい男が選んだにしては、大人しそうな女だった。髪も染めていない。
「……あ、えっと……、忘れた……」
「は? 忘れた? そんなことある? 借りたくせに、ちゃんと読んだのか?」
「………っ」
女が息を飲んだのが分かった。俯いたので、その表情は見えない。その上、男が庇うように、前へ出る。
「ちょっとー。柊くん、こわぁ~。やめてくれる? 彼女、怖がってんじゃん」
「はあ? 図書室で人目も憚らずイチャついて、借りた本も適当に返したりして俺の仕事増やしてさ。怒るのも当然だよね?」
只でさえ、神聖な図書室を汚され。俺の一人の時間を邪魔され。苛ついていた。その上、今からタイトルも分からない本を探し出して返却手続きをし、本来の場所へと
返さなければならない。
本当はもっと罵倒してやりたいところを、グッと堪えた。これ以上、無駄に時間を費やすのが嫌だった。
「どこら辺にしまったのか覚えてる?」
ふるふると首を振る女の代わりに、男が「あっちの方とかー、そっちの方の、通路側の棚ー」と様々な方向へ指を指した。
「…………一冊じゃないのか………」
頭痛がする。
「そーなのよ。でもさ、ちゃんとジャンルは確認したんだぜ? 偉くね?」
指摘するも罵倒するも、言葉と体力の無駄遣いだと悟る。代わりに、「もう分かった」と口から出る。
「貸出履歴から探すからいい。学年と組と名前。それなら、分かるよな?」
自分の皮肉に自分で笑ったら、意外にも男が片眉を跳ね上げた。睨まれるが、涼しい顔で無視を決め込む。俺の視線はずっと、男に庇われた女の方へと向いていた。
「学年、組、名前。……何? それも分からないのか?」
溜息混じりに言ってやると、「つーかさぁ」と再び男の声がする。
「同じクラスじゃん? 何? そっちこそ、クラスメイトの事もわかんねぇの?」
「お前らの事なんか、興味ねぇからな」
ああ。つられて雑な言葉遣いをしてしまった。まぁ、いいか。
男は暫く俺を睨んでいたが、やはり涼しい顔でそれを真正面から見つめ返してやった。
「…………二年一組、真宮加奈」
やはり、答えたのは男だった。どうやら真宮加奈には口が付いていないらしい。はて、そうすると、一体この男は真宮加奈の何処へ口付けをしたのやら。
「二年一組の真宮ね。調べとくから。早く帰って」
「うっ、」
そんなまさかと思ったが、男の腕から嗚咽のような声が聞こえた。なんだよ、真宮加奈って小学低学年だったのか。とんだ飛び級だなぁ、おい。
「おい、お前、サイテーだな」
男はやはり見当違いにも俺を睨む。
「どこが。てゆうか、彼女が泣いてるのは八割方お前のせいだよ。何処でも発情する馬鹿野郎共はとっとと失せろよ」
男は彼女を腕から解放し、俺の目の前まで進み出た。なんだ、殴りかかってくる気か? と流石に身構えたが、男が殴ったのは俺の顔ではなくて、俺の手元のカウンターだった。大きな音に、不覚にも身体が小さく跳ねた。
「…………」
男はそうして、何も言わずに彼女の肩を抱いて図書室を後にした。
これが、少なくとも俺が初めて、クラスメイトの『綾野瑠依]』を認知した瞬間であった。
そう、出逢いはこれ以上無く、最悪だったんだ。
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