最終話 生きていくには必要ないけど、生きていくならお前とがいい。

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******  大学受験は無事に合格し、入学式の一週間前に引っ越しをした。  元々は地元の大学を受験し、家から通うつもりだった。俺の突然の進路変更に、親は何も言わなかった。彼らは『子供の意見にノーと言わないこと』が『受け入れること』だと思っている節がある。まぁ、それで助かるので、いいんだけど。  (りゅう)耀(よう)は六年生になる。俺が受験生として過ごした一年間に、よく家事をしてくれて助けられた。そんな折、彼らに「そろそろ弟絶ちしなよ」と言われてしまった。 「椿くんはもっと自分のしたいことをしなよ」 「足枷にしないでくれる? おれ達は、椿くんが思ってるより、大丈夫だよ」  そんな言葉に、胸が溢れる。  勿論、双子を足枷だなんて思ったことがない。だけど、その言葉は俺の為に紡がれた言葉だった。俺を慮った優しさだった。 「足枷なんて思ったことがない。……けど、ありがとう」  知らない内に感受性が育っていた俺は、目頭が熱くなるのを感じながらもそれをグッと堪えて、二人の頭を左右の手で撫でくり回した。  俺は、諦めることが得意だった。  それはでも、これと言った悲しみが必ずしも伴うものではなくて。だから、自分が我慢していることにすら気が付かないことも多々あった。  俺のみで完結していた世界を広げてみると、自分がこのままでは駄目だと言うことがよくわかった。それから、これまで『興味ない』と切り捨てて来た、沢山の大切なもの達の大きさを知った。  家を出てみたい、と思うようになるまでに月日はかからなかった。バイト先で広がった人脈が面白い。関わってみると、クラスメイトもいいやつが殆どで、毎日が輝いているようだった。  視野が開けた今、新たに、自分一人で暮らして、自分だけのことを真剣に考える時間が欲しい。自分の本当にやりたいことに耳を傾ける必要があるのは、俺の方だと思った。  人生の再スタートのような気持ちだ。  下宿先になるアパートも自分で決めた。  上り坂の真ん中にある、築年数自体は古めのアパート。線路が近くて、電車が通っている音がするのが良いなと思った。静かな時間を好みながら、あんまり静か過ぎるのを不安にも感じていた。思えば、ただ静寂な図書室の空気よりも本を捲る音がした方が好きだし、ただ静かな弓道場よりも、キリキリと弦が音を立て、矢が的を射る音がある方が好きだ。  俺はずっと、一人で生きてきたような顔をして、双子が一人にはしてくれなかったし、夏樹だって傍に居てくれた。  なんだかんだ、結局、誰かの存在を感じる音がするのが好きだったのだ。  転機として、文化祭の主演メンバーとして組み込まれたその日から、人との交流が途切れなかった。文化祭の打ち上げを近くの飲食店でした後、二次会と称して作成メンバーがウチへ上がって来るのを、双子達は驚きの眼で集団と俺を見比べていた。 「兄ちゃん、友達増えたんだぜ」  なんて、夏樹が面白がって耳打ちしていたのを、聞こえないふりをして涼しい顔をしていたら、瑠依が俺の耳が真っ赤だと指摘して笑う。 「夏樹くんのシナリオが良かったのも本当だけど、それを見事に演じきった、綾野くんと柊くんも、凄かった!」  アルコールなんて入っていないはずのドリンクを飲みながら、学級委員の長谷さんは頻りにそんなことを言っては手に持ったコップを煽る。 「本当にそれ。二人とも、恋してる顔だったわ。まじで尊かったんだけど……!」  編集を担当した清水さんも、決まってうんうんと相槌を打った。 「何処も切りたく無かったので、なんとっ、これから無編集バージョンを皆様に御視聴頂こうと思いまーす!」  じゃん! と効果音を付けて、清水さんが鞄からDVD ディスクを取り出した。ちゃんとプリントアウトもされている。二年一組、無修正版! と言う文字は敢えてなのかミスなのかわからなかったが、メロディーに合うように切り取られていない映像には、確かに興味があった。  家のレコーダーにセットして、早速、皆でテレビを取り囲む。そのタイミングで、気を遣った琉と耀がお盆に乗せて全員分の飲み物を出して来たのは、誇らしく感じた。 『えっ、これ、カメラもう回ってるの?』  笑いながらカメラを指差したのは瑠依だ。指差したのは左手。右手には、指まですっぽりと包帯が巻かれている。 『回ってるけど。綾野、右手平気なん?』  カメラマンを担当した森田の声が聞こえる。 『くっそ痛ぇよ。でも、へーき! つーか、頼むから右手は映さないでくれよー? なんか、格好つかねぇじゃん?』 『てかお前、弓道どうすんの?』 『あー…………ね?』 『コラ、男子! バッテリーの無駄遣いすんな!』  鬼の監督と言う異名が付いた、長谷さんのドスの効いた声が聞こえると、次の瞬間には場面が変わった。  瑠依が教室で寝ている生徒の頭を撫でるシーン。顔を上げたのは、俺だった。俺達は見つめ合って、顔を近づけていく。助監督を務めた山岡がカーテンを引っ張り、はためきを演出して俺達はカーテンに隠れた。影が重なり合う。実際には重なっているわけではないが、カーテンの向こうから夏樹がライトを当てて、影が濃くしっかり見えるような環境を作った。キスをしているように見えるように。これは、何度か試行錯誤した。  恋人繋ぎをして歩いてみたり、アイスを半分こにして食べたり。仲睦まじい恋人らしい場面が細切れで流れる。「もう少し二人とも、肩寄せて! 密着して! そう、それでいこう! その距離感よ!」監督・長谷さんの熱い声が時折聞こえて、視聴している皆がどっと笑った。現場に居ない時の長谷さんは、リーダーシップはあるが不必要な時に目立つ生徒ではないので、今は恥ずかしそうに笑っている。  俺は、画面の向こうの瑠依の顔に集中した。  本当に、俺達はまるで仲の良い同性カップルのようだった。瑠依が俺に向ける眼差しは優しく、自然な微笑みが零れていた。そして俺もまた、そんな風に柔らかく幸せな眼差しを瑠依に向けていた。  俺って、こんな顔で瑠依を見てたんだな……。 『瑠依、愛してる。俺もだぜ、椿……』 『コラ、音声は消えると思ってアフレコいれるな!』 『ツナ缶、好きだぜ? でも、俺の今の一番は、マグロ缶。……いや、どっちもツナやん!』 『オイ、山梨。聞いてたのかよ、オラァ。アフレコ入れるんなら、もっと内容に沿ったやつにせんかい!』 『長谷、アフレコ入れるなって言ってたじゃん~。結局、甘い感じのやつならしてもいいわけかよ? つーか、口、悪っ!』  どっと笑い声。テレビの向こうからと、部屋の中からも。 『はー。しっかし、マジで二人、付き合ってるみたいに見えるな』  その後の小さな呟きも、はっきりと拾われていた。声から多分、助監督の山岡。『本当に、それ』と同意する声は編集の清水さん。  この時の俺は、震えそうになるのを堪えて瑠依の傍に居た。心臓の音の煩さを、マイクが拾わなくとも、瑠依には気が付かれてしまうのではないかと思った。  すれ違って行くシーンは、辛かった。俺達の仲を目撃したクラスメイトが言い触らしてしまったような描写が入る。俺達は絶望する。瑠依が女子と仲良くしているような場面。嫉妬する俺。反対に、俺が女子と二人で話しているところを目撃して、立ち尽くす瑠依のシーン。 “一緒に居ない方が、アイツの幸せに繋がるのでは?”  編集されたPVだと、この場面で、鉛筆で塗り潰されたような黒いもやの中に白抜きの文字が入る。  噂やからかいを気にしないようにしようと努める俺は、普段は人に囲まれていた瑠依が孤立していく様子を見てしまい、なんとか立て直そうとしていた心が折れてしまうのだった。 “俺と居ない方が、アイツは幸せになれるんじゃないの……?”  そんな文字が、先程と同じように入ったと思う。それから、言い争うようなシーン。  瑠依の涙。 『…………目薬用意してたのに、アイツ、本当に泣きやがった…………』  呆然とした森田の声がした。ぎゅっと、胸が詰まった。この時に初めて、瑠依の涙が本物だったと知った。
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