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4月6日
歳をとるほど時間が経つのが早くなると言うけど、おれがアイドルじゃなかったとしても時間の感じ方は同じだったのかな、とたまに考える。ダンスの練習をして、歌のレッスンを受けて、レコーディングをして、インタビューに答えて、SNSを更新して、そんなことを毎日繰り返しているうちに3年は飛ぶように過ぎ去って、おれたち5人のグループEclipseはデビュー3周年を迎えた。
「それから、気になってると思うけどね」
デビュー日・4月6日の夕方、社長に呼び出されて集まった会議室。今年のスケジュールやこれからの展望について話した後で、おれたちの総括プロデューサーでもあるホン社長は切り出す。
「3年経ったってことは、当初話した通り、恋愛禁止は終わりだね。根も葉もない話を除いては大して噂が出ることもなく、真面目に過ごしてくれたと思う」
「君たちのことは信頼してもいいと思う。ファンや世間がアイドルである君たちに期待することはよくわかってるよね。その期待に応えられるように今まで通り努力してくれたら、こちらからは何も言うことはない」
「ただ、部屋が分かれて一人のスペースが増えるように、君たちのことを信頼してるからこそ少し自由になってもらいたい。恋愛関連のことで何かあったらすぐに報告してもらわなきゃならないし、世間に噂が立つ前にこちらが対応を考えなきゃならない。もちろん、アイドルのイメージを壊すようなこともしてもらうわけにはいかない」
「今までと同じじゃないかと思うかもしれないけど、その通りなんだ。ただ、今まで『これはできないだろう』と思っていたけどやりたかったことがあれば、まず相談して欲しい。恋愛に限らずね」
「でも個人的には、今君たちは勢いがついてきてると思うし、5年目までにまた人気が上がっていって、この世代のトップとしての地位を確立できると思うんだ。そのためには今までよりさらにうまくコミュニケーションをとって協力していけるよう、一人一人が意識して欲しい」
よくわからないようなわかりきった話だった。つまり、3年経ったからといって突然何かが変わるわけじゃないということ。
デビューした頃から変わったことなんていくらでもある。ツアーの会場は年々大きくなり、単独やペアで仕事をする機会も増えた。ステージに上がる前の緊張も少しはマシになり、歌もダンスも自分のスタイルが段々と見えてきた。もちろん恋愛経験は増えなかったけど、おれは子供の頃から一人の時間が好きだったし、恋愛禁止がすごく辛いというわけじゃなかった。だけどメンバーといつも一緒にいる生活を続けるうちに、人といることに慣れたのかもしれない。2人と3人の寝室に分かれて住んでいた宿舎を出て、明後日から一人部屋のある新しい宿舎に住み始めるのが嬉しい一方でちょっと寂しいのは、それが理由なんじゃないかと思う。
「荷造り終わった?ヒョン」
社長に解放されて会社の廊下を歩きながら、マンネのソンファが話しかけてくる。おれより1つ下のソンファは2月にハタチになったばかりで、夜更かししがちなのはおれと一緒だった。
「全然。明日やればいいと思って」
「さすがルイヒョン」
ソンファは安堵の表情を浮かべる。
「俺もまだ全然」
隣で最年長のイスルが言う。思った通りだ。逆にしっかりしているのは、リーダーのフィンとおれの同い年のルームメイトのテミンだった。前を歩く2人は案の定、「ありえない」「僕はもう終わりそうなのに」と言い合っている。
「早くまとめたらなんか寂しくない?だからギリギリにやろうと思って」とイスル。
テミンが振り返ってにやりと笑う。
「イスルヒョンって寂しがりですよね。意外と」
「どこがだよ」
イスルがそう返し、その耳がちょっぴり赤くなっていたから、恥ずかしがっているのがよくわかった。
一人でいるのが好きなのに寂しがりなのは、おれもイスルと同じだと思う。もしかしたら、小学4年で父親の駐在のためにそれまで住んでいた東京を離れ、家族でロンドンに引っ越したことが関係しているのかもしれない。もしくは、その数年後に両親は日本に帰り、姉はイングランド北部の大学に通い始めて、おれが一人でロンドンの寄宿学校に通っていた数年間のせいだろうか。それとも、ロンドンでできた友だちからも遠く離れた韓国で、言葉も通じないまま始めた練習生生活か。
たぶん、全部関係してるんだと思う。ロンドンへの引っ越しが決まった時だって、オーディションに受かって渡韓したのだって、周りの練習生がやめていくのだって、いつも突然だった。寂しいと思う暇もなく、後に喪失感だけが残った。
最初に出会ったのは、2歳年上のイスルだった。4年半前の10月、おれが16歳だった頃。韓国の大手芸能事務所のオーディションがロンドンで行われるという話は、通っていたダンススクールで聞いた。友達何人かに受ければと言われ、どうせおれがアジア人だからってだけじゃん、と思っていた。だけど音楽の授業で何度か歌を褒められたことがあって、歌うのも好きだった。ダンスの先生にも背中を押されたのがきっかけで、おれはほとんど冷やかしのような気持ちで親にも言わずにオーディションを受けた。
気づいたら韓国に来ていたような感じだった。空港まで迎えにきてくれた事務所の人に連れられて、宿舎に行く前に会社を見学した。廊下を歩いていたら、偶然出くわしたのがイスルだった。
事務所の人に言われて、おれたちはお互いに英語で挨拶した。イスルはカナダ育ちの韓国人で、事務所の人が元々おれに紹介しようと思っていたらしかった。渡韓までの短い期間に慌てて学んだだけのごく基礎的な韓国語スキルだけではもちろん心細くて、イスルに出会った瞬間にどれだけ安心したか。
最初の宿舎では、3人の練習生と寝室をシェアしていた。そのうちの1人が日本人で1つ下の秀だったから、少し気が楽だった。翌日からの練習でイスルと顔を合わせることはほとんどなくて、秀が教えてくれた。イスルは練習生の中でもトップのダンサーで、ラッパーのフィンとボーカルのテミンとの3人はデビューメンバーに選ばれ、3人だけで1つの宿舎に住んでいると。それでもイスルは何かと気にかけてくれて、おれと同い年のテミンと、留学したことがあって英語が得意なフィンにも紹介してくれた。
デビューメンバーは随時追加されたり変更されるというのは知っていたけど、自分が選ばれるとは思ってもいなかった。ある程度ダンスが得意な自覚があったおれから見てもイスルの実力は飛び抜けていたし、テミンの歌もフィンのラップも同じだった。それに加え、選ばれた3人にはどうしても周りとは違うオーラがあるような気がして、おれはそれを見て頑張らなきゃな、と思うばかりだった。
おれの入社から数ヶ月、高校卒業資格のための勉強と並行していた韓国語の勉強の成果も少しは見えてきた頃、ソンファが入社してきた。その2ヶ月後に、おれとソンファはデビューメンバーに選ばれた。
「高校の勉強は少し休んで」
ホン社長にそう言われたのを覚えている。
「今は韓国語を優先しよう。半年でだいぶ上手くなったから、このまま頑張れるね。それとルナ、君とソンファがイスルに続くダンスメンバーになるはずだし、歌もすごく可能性があると思う。これまで以上に自覚を持って頑張っていこう」
それからソンファとおれは3人の宿舎に引っ越し、おれとテミンはその時からずっと同じ寝室を使ってきた。
おれとは違って計画的なテミンは、1週間くらい前から服とか本とかを段ボールに詰めはじめた。おれも普段使わないものから片付けようと思ったけど、自分たちの今までのアルバムとか写真とか、そんなものを手に取るとつい思い出に浸ってしまって進まない、その繰り返しだった。
「テミナ、おれたち一緒に寝るのも明日までなんだね。信じられない」
宿舎に帰って渋々荷造りを始めたおれを、ベッドに座ったテミンが見る。
「一緒に寝てたわけじゃないじゃん」
「寂しくないの、お前は!」
おれがふざけると、テミンが笑う。
「これからも一緒の家なのに」
4年も同じ部屋で暮らしていたら、お互いの存在が当たり前になる。やっと自分だけの寝室が手に入るのはもちろん嬉しくて、だけどテミンがルームメイトじゃなくなるなんて不思議だった。
「ヒョン、段ボールもう1個ないですか!」
ソンファの声がリビングから聞こえてくる。
「あ〜、会社にあるんじゃないの?もう少し要ると思うよって言ったじゃん、俺」とフィン。
「めんどくさいんだもん、取りに行くの」
「なんでそんなに服があるのかな〜」
買い物好きなソンファと持ち物の少ないフィンの会話が親子みたいで、おれとテミンは思わず顔を見合わせて笑う。
イスルはジャンケンに負けて買い物に行っていた。みんなでご飯を食べるのだって最後じゃないのに、なぜかちょっと感傷的になって、明日の夜は仕事があるから今夜はみんなで飲もう、という話になっていた。
マンネ…末っ子。
ヒョン…男性が年上の男性を呼ぶときの言葉。兄さん。実の兄や「先輩」「〜さん」と呼ぶより親しい間柄の相手に対して。
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