頭痛

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頭痛

 飲みすぎた時のお決まりで、おれは今夜も転んだらしい。タクシーの中で手のひらにできた傷をぼうっと眺めていたら、携帯の画面が点灯し、イスルヒョン、の文字が表示される。 〈帰ってきた?〉  暗い車内の中では、その文字は少し眩しすぎた。おれは目を細めてしばらく考える。 〈もうすぐ〉 〈まだ起きてたんだ〉  それから、返事も待たずにもう一つのメッセージを送る。 〈おれの部屋に来て〉  こんなつもりじゃなかったのにな。車が揺れて、目に映る街灯がぼやけた。 〈早く帰ってこいよ〉  その文字を見て、なんだか腹の中がひっくり返るような思いだった。きっと〈酔ってるんだな〉とか、そんな興醒めするような返事が来るだけだと思った。5分後、おれは運賃を払って転がるようにタクシーから降りた。にわか雨が降ったあとの濡れた地面を歩きながら、もうロビーにいるイスルの姿が見える。   「楽しかった?」  イスルはこんな時間とは思えないこざっぱりした姿で言う。おれだけが汚れた見た目で酒の匂いをぷんぷんさせているのが急に恥ずかしくなり、ただ「うん」と呟いて、2人でエレベーターに乗り込んだ。  おれの足取りは、まだちょっとふらついていた。イスルがおれの手を引いて廊下を歩きながら、手の傷を見つける。 「転んだみたい」  おれの前を歩くイスルの顔は見えないのに、「バカだな」と言われた時、微笑んでいるのがわかった。 「あざもできてる」  イスルが呟き、おれは両腕にできたいくつかのあざに初めて気がつく。背中も頭も痛かった。どうして転んだりするんだよ。おれの部屋のベッドに座って、まだおれの手を取ったまま、イスルは呆れたように言う。わかんない。楽しかったからいいよ。  そのまま眠ってしまいたいくらい疲れていたのに、イスルに励まされて歯を磨いて水をたっぷり飲んで、汚れた服もちゃんと着替えた。  買ったばかりのシャツなのに、とぼやきながら服を脱ぐ。イスルは「もう怪我はないよな?」と聞く。おれはシャツを脱いだ格好のままで後ろを向いてイスルに背中を見せる。 「どう?」 「大丈夫そうだけど」  それなのに、どうしてこんなに痛いんだろう。 「酔ってるんだろ?」  おれが振り返ってただ何も言わずに見つめた時、イスルはそう言った。何も言わずともわかってくれたらいいと願っていたことまでお見通しだったのかもしれない。それともおれがそんなに物欲しそうな目をしていたのか。イスルはそれ以上何も言わず、おれにきれいなシャツを差し出した。  おれとイスルは、ほとんど触れるだけのキスを何度かした。それだけだった。何のためにおれの部屋に来てくれたんだろう。 「お前が寝るまでいるよ」とイスルは言う。 「ここで寝たらいいのに」  おれは枕元の灯りをいじりながらそう呟き、イスルは黙っていた。    ベッドの端に座ったイスルは、横たわったおれの髪を撫でていた。 「なあ、ルー」  不安げな声が夢と現実の境目でおれを呼び戻した。 「うん?」 「俺がお前のことをどれくらい気にかけてるか、お前はたぶん知らないよな?」  不思議なことに、イスルの言葉を聞いて、現実に引き戻されるというより、より深く夢の中に引っ張られていくような気がした。 「どういう意味?」 「お前にもわかってほしいけど、俺がうまくやれないみたい」  イスルはおれの質問を無視して続ける。 「申し訳ないと思ってるよ。お前が思うよりずっとお前のことを気にしてる。だけど」  イスルはそこで言葉を切って、その後は何も言わなかった。おれの霧がかかったような頭では、イスルの言ったことは理解できそうもなかった。 「朝になったら忘れてるよな?そう思ったから話したんだよ」  イスルは聞き取れなくてもおかしくないほどの小さな声で言った。 「…朝までいてくれたら忘れてあげる」  半分眠っているせいなのか、おれの口からはそんな言葉が飛び出し、イスルは黙っておれの隣に横たわる。  目が覚めたときイスルはいなくて、おれの体は床で寝たみたいに痛いままだった。寝坊したと思ったのに、携帯を見たらまだ3時間しか経ってない。ひどい気分で、また眠りに落ちるまで天井を眺める。  寝る前の会話はちゃんと覚えていた。でも思い出すほど忘れるような気がして、幻だったんじゃないかとも思える。何よりも、イスルがあんなことを言うわけないという気がした。  次に目が覚めたときはさらに3時間後で、気分はかなりよくなっていた。朝の9時、少し前にイスルからメッセージが届いていたのを確認する。 〈大丈夫か?〉  それだけ。 〈もう平気〉  おれはすぐに返信してカーテンを開けに行き、またベッドに横たわる。 〈ヒョン、なんで起きてるの?眠くないの?〉 〈お前こそ〉 〈飲みすぎてよく眠れなかった〉 〈二日酔いの薬、いる?〉 〈いや大丈夫、ありがと〉  気分の悪さは治まって頭痛が残ってるだけだったから、おれはそう返した。それから一人で寝るのにはちょっと大きいダブルベッドに大の字になって、もう少し元気が出るまでぼうっとしていよう、と考える。  イスルが朝まで一緒にいてくれるとは思わなかったけど、あんな短時間の間に帰らなくてもいいのに。おれが酔っ払ってすぐ寝ちゃって、それを見て帰ったんだろうけど。だけど昨日の夜みたいに世話してくれたり、誕生日に歌ってくれたり、今の連絡だって、なんだかんだというか当たり前に、イスルヒョンはやさしい。そういう意味では、夜中に言われたことだってすんなり受け入れられる。  だけど引っかかるのは、「お前のことを気にかけてる」という曖昧な言葉だ。それってつまり、好きってこと?だけど好きにもいろいろある。ソフィーの質問がまた思い出された。おれとイスルの関係を表そうとしたら何になるんだろう、と暇つぶしにしては難題すぎることを考え出す。もちろんグループのメンバー、それに先輩後輩。同い年じゃないけど、まあ友達だ。それだけじゃ説明できない部分を、例えば友達以上恋人未満、そんな言葉で表現したくはなかった。友達が恋人関係より下だなんて、そもそも思えない。おれにとって友情と恋愛感情は上下関係じゃなく、ただ別物ってだけ。その2つを全く混ざらないようにしておくのが難しいことだってあるかもしれないけど。  結局、おれとイスルの関係をそっくりそのまま一言で表すなんてことはできそうになかった。イスルが夜中に言ったことだって、理解したいとは思うけど理解しない方がいいのかもしれないとも思う。とにかく、まだうっすらと残った頭痛がまた悪くなる前に、こんな考え事はやめなきゃいけない。  だけど、考えないと思ったことを考えちゃうのが人の脳みそだ。そもそもなんで朝までおれの部屋で寝ないんだ、という疑問がおれの頭の中に生まれる。人と寝るのが嫌なら、一言そう言ってくれればいいのに。「俺、人と寝るの無理だから」って。おれだって人と寝るのが好きってわけじゃない。ただ、さっきまでくっついてたのにいきなりさよなら、だとちょっと寂しいし冷たいような気がするから。だけどやっぱり、すぐにいなくならずにおれが寝るまでいてくれるのは優しさなのかもな、とも思う。  おれたちがこんなことになってるなんてファンは全く知らないわけだけど、それでもおれとイスルはデビューした頃から仲が良いと人気のコンビだ。韓国語やダンスで助けてもらった感謝や憧れを10代の頃のおれは隠しもせず、それが微笑ましいとよく言われた。だけど今でも忘れられないのが、1年くらい前のコンテンツでのテミンの言葉だ。メンバー間の友情について他メンバーが語る、みたいな外部メディアの企画で、おれとイスルがいくつかめかのペアになった。おれはもう練習生の頃みたいに憧れ全開でもなければ韓国語で助けてもらう必要もほぼないのに、みんな昔の記憶を引きずってるのか「ルイはイスルヒョンのことが大好きだ」みたいなコメントばっかりだった。そんな中、テミンが言った。 「でも、イスルヒョンはルイがいなきゃだめじゃん」  その発言に、おれ含む全員が怪訝な顔をしたと思う。所詮撮影中の一幕だし、それ以来深く考えることはなかったのに、今もはっきり記憶に残っている。おれは本気でイスルが「そんなことない」と否定するかと思ったけど、イスルはただ笑って「なんで」と返した。テミンは理由も挙げずに「僕はそうだと思う」と主張していた。いつもならテミンの発言に加担して冗談の1つや2つ言っただろうに、本当にそうかな、なんでテミンはそう思うんだろう、と考えるのに忙しくておれは何も言えなかった。 「俺はお前がいなきゃだめなの?ルイはどう思う?」  撮影後に聞かれたことだってちゃんと覚えてるけど、何と答えたかは思い出せない。「大丈夫そうだけど」とか、そんなところだ。  また考え事があっちこっちに派生して、おれは無理やり現在に意識を戻す。ほとんど誰にも説明も相談もできないこんなことを考えてもしょうがないのに。言葉では表せないことが多すぎるんだから。携帯に手を伸ばし、イスル以外のメンバーも起き出したのを確認する。今日はオフで、昼くらいからみんなで出かけようかと話していた。
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