永遠の夏

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永遠の夏

 ロンドンでのオフの日は、おれの好きなエリアのショーディッチにみんなで行って、屋台のご飯を食べて、雑貨店やマーケットで買い物して、有名なレコード屋に行った。歩いてる途中とか入ったカフェの店員さんとかに声をかけられて、「ロンドンにお帰りなさい」っておれに言ってくれた人もいて、ちょっと嬉しかった。  テムズ川沿いのサウスバンクに移動して、外に座ってビールのパイント1杯。ヨーロッパの太陽は熱い。来年また帰って来られるといいな、と考えた。  ヨーロッパの後はアメリカで、7月半ばまでツアーは続いた。暑い夏なんか嫌いだというのに、この夏が永遠に続けばいいと思っていた。  初めはそんなこと意識してなかったけど、イスルとの今の関係がずっと続かないのは明らかだ。何があってもお互いを慕う気持ちは変わらないということに自信があったし、そのうえで2人だらだらと時間を過ごすのは、長い白昼夢を見ているようで不思議と心地よかった。いつかは元通りになるし、きっとその方がいいんだろうな、だけど今はこのまま、と微睡(まどろ)みながら考えていた。起きるのがめんどくさいのと同じ感覚だと思う。今日や明日、「もう終わりにしよう」とイスルに言われたって、悲しくも寂しくもない。「いきなりだね」と言って笑うだけだろう。  もちろん、イスルとのことだけじゃない。7月16日にテミンが誕生日を迎え、その夜のツアー最終公演でサプライズがあったり、公演の合間にいろんな都市を散策したり、自分のパフォーマンスも公演を重ねるごとによくなってきたことが実感できたり。緊張や疲労の感覚よりは、楽しさが後に残るツアーだった。   「荷解きした?」  おれの部屋で、座って本を読んでいるイスルに話しかける。 「…え?」 「片付け終わった?」 「半分くらい?」  ツアー中、飛行機で読む用に持っていった本を帰りの飛行機でイスルと交換して、部屋に返しに来た時面白かったと言っていたから同じ作家の本を貸して、今に至る。1ヶ月半に及ぶツアーの荷解きは、当然途中。と言っても宿舎に着いたのが夜だったからご飯休憩、シャワー休憩まで挟んで、2度目の再開でおれもやっと終わりそうだった。持っていった物と買った物に加え、イスルは親御さんたちがシカゴ公演に来てくれた時にいろいろもらって、さらに荷物が多そうだ。 「もう1時半だよ」 「嘘だ…」  イスルは呟きながらページをめくる。パトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』、原文バージョン。 「あと1ページ読んだら帰る」  ビーズのクッションに沈みこんでるイスルは、いつもより小さく見えて、どこか猫みたいでかわいい。別に急がなくてもいいのに、おれがやっと空になった最後のスーツケースを閉めるのをちらりと見て、イスルもページに指を挟んで本を閉じる。 「片付けするんですか?」  おれはカーペットに膝をついて、イスルに話しかける。イスルは本の背表紙に視線を落としたまま、「まあ」と曖昧に答える。 「寝ないと明後日から起きられないんじゃないの?」 「大丈夫。起きられないのはお前の方じゃん」 「確かにそうだけど…」  イスルが立ち上がろうとするのがわかって、おれは思わずその腕に触れる。それから、ダンスの邪魔になるのが嫌で長髪にしたことがなかったイスルの、だいぶ伸びた髪にも。イスルが目を上げて、おれとやっと目が合う。 「ヒョン、9月まで髪伸ばすの?」  おれたちは9月に新曲を出す予定で、そのための撮影、レコーディング、練習が明後日から詰まっていた。  イスルはおれの質問に答えもせずに、顔を近づけておれの唇にキスする。1回。2回。ひんやりした舌が猫みたいにおれの唇をなめて、おれは唇を開く。おれが入れ込みすぎる前にイスルは離れていって、やっと答える。 「飽きたら切るよ」  ダメージを減らすために黒髪に戻したイスルの髪は、やわらかくて触り心地がよかった。おれが触って少し乱れたところを手ぐしで整えて、イスルは立ち上がる。  ドアを開けたイスルは、思い出したように振り返る。左手に持ったおれの『見知らぬ乗客』の読みかけのページには、指を挟んだまま。 「ありがと、これ」 「うん、おやすみ」  時差ボケで昼まで二度寝したおれを、ソンファが「一緒に会社行こう」と呼びにきた。 「なんで?何かあったっけ」  ソンファの大きい瞳が細くなって、じっとおれを睨んだ。 「振り付け!」と一言だけ言われて、おれは思い出す。新曲の振り付けにおれ・ソンファ・イスルのダンスラインが参加することになって、今日の午後集まって相談する予定だった。 「ごめん、忘れてた!あと何分で用意したらいい?」  ソンファが「もう、ルイヒョン」と言って笑った。 「大丈夫、30分で出れば。イスルヒョンは1時くらいに着くって言ってたんで」 「ごめん、急ぐね」  最低限の準備だけして、ソンファと2人で宿舎を出る。いつものことだけど、会社の外にいた人たちに写真を撮られて、今日は疲れた顔してるだろうなあ、と思う。  練習室に着いたら、イスルが一人座っておれの貸した本を読んでいた。その隣に3杯のコーヒーが置いてある。イスルは「氷溶けてるかも、ごめん」とだけ言っておれとソンファに1杯ずつ渡してくれる。ソンファはアイスアメリカーノ、おれのはアイス抹茶ラテ。 「3人だけだと気が楽だな」  ストレッチしながらイスルが言った。 「そう?俺あんまり振り付けしたことないから、うーん、緊張するってわけじゃないんだけど、なんかね」  ソンファが言った。 「大丈夫だよ、今日は俺らだけじゃん。思いついたことなんでも言ってみて」  元々は会社からイスルに声がかかり、イスルが以前からいつか振り付けに参加したいと話していたソンファを誘い、おれにも声をかけてくれた。おれもダンススクール時代にやったことがあるからわかるけど、下手に複数人でやるより一人でやる方が揉めたりしないしスムーズなのに。おれもグループの振り付けをしてみたいとは思っていたけど、うまくできる自信がなくて、ソンファみたいにその願望を口にすることさえなかった。それもイスルにはわかっていたのかもしれないと、おれは思う。  もう10代じゃないしお互いのこともよくわかってるし、当たり前といえば当たり前かもしれないけど、意見の出し合いはすごくスムーズだった。イスルが3人のアイデアをまとめ、最後に何パターンか考えた分の振り付けを動画に撮って、会社に送る。どれくらいが実際に採用されるかはわからないけど、これだけでも楽しかった。  おれはダンススクールに通っていた頃だって、意見をはっきり言う子供じゃなかったと思い出す。大抵同じチームにもっと我の強い子がいて、衝突したくなかった。だけど同じラッパーの先輩フィンの背中を見て自分でリリックを書くようになったソンファや、レコーディングのたびに納得のいかないところを自分から申し出るテミンのように、もっと思ってることを表現しなきゃいけないんだと思う。初めは作詞に興味があっても韓国語ネイティブじゃないからと言い出せなかったけど、ある時勇気を出して相談してからは自分の書いた歌詞がよく使ってもらえるようになった。それも今では当たり前のように感じるけど、2年前の自分がその時の自分なりに頑張ってプロデューサーさんを呼び止めたから。もう一度そのことを思い出して、忘れないようにしようと心に留めておく。
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