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新曲の振り付けは思ったより早く決まった。おれとイスルとソンファのアイデアがちょっとずつ採用されて、サビはコレオグラファーさんの案が多かった。振り入れして、練習して、数週間後に3日間のMV撮影に入る。
「おはようございます」
挨拶をしながら、ちょうどあくびが出た。わざとじゃないのに。8月10日、撮影2日目。コーヒー片手に現場入りして、午前中は全体撮影。午後は個人撮影とユニット撮影で、ちょくちょく待ち時間もある。着替えとメイクが終わったら控え室で他の暇なメンバーと喋ったり、モニタリングして過ごした。ソンファやイスルは待ち時間に寝ちゃうけど、おれは絶対無理だと思う。ただでさえ寝不足なのに、昼寝した後すぐにカメラに映れる顔ができるわけがない。
今回の新曲から、スタイリストが変わって日本人の流花さんになった。流花さんはおれたちと年が結構近くて、元々ファンでもあったらしい。名前が似てますね、と話した初対面の時以来そんなに話したことはなかったけど、気さくそうな人だった。
「おれたちの中で誰が好きだったんですか?」
ユニット撮影のために衣装部屋で衣装を調整してもらいながら、おれは気になっていたことを聞いてみる。流花さんはニコッと笑って「言えないでしょ〜、それは」と答える。
「でもね、私の弟が流那くんのこと好きだよ」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。ダンスも始めたけど流那くんの影響だよ」
「うそ」
思わず声に出てしまい、おれは「あ、すみません」と謝る。流花さんはまだニコニコしている。
「おれなんですか?イスルヒョンじゃなくて?」
大したことじゃないみたいなのに、なぜか嬉しくて、心がむずむずした。
「流那くんのスタイルがあるじゃん。それが好きって」
「嬉しいです。弟さんいくつなんですか?」
「高1だよ〜。まだ完全に子供だよね。この仕事の初日にも早速、流那くんと直接話してみてどうだった〜ってラインが来てて。ダンス部にも入って、今は頑張ってるみたい。それで今度学校で…」
流花さんはこうやって放っておいたらいくらでも話し続けそうな人だった。聞きながら、なんとなく考えていた。流花さんの好きなメンバーはイスルな気がする、と。これといった理由があるわけじゃない。強いていうなら、おれに対してはこんな風に流れるように喋るのに、イスルに対しては少し緊張して口数が少ない感じがするところ。まあ、結局みんなイスルヒョンが好きなんだ、とおれは結論づける。
「お疲れ様です」
噂をすれば。ドアを開け、イスルが入ってくる。
「あ、こんにちは。流那くんもうちょっとだから、座って待っててくれるかな?」
おれが思った通り、流花さんは明らかに動揺して、少しどもりながら言う。イスルは部屋の隅にある椅子に腰かけて、何を言うでもなく着せ替え人形のような姿のおれを眺めだした。
「ヒョン、流花さんの弟はおれのファンなんだってよ」
なぜか沈黙を気まずく感じたおれは、そう切り出す。イスルは「そうなんだ?良かったじゃん」と言う。
「俺がファンでも、好きなのはルイだったかも」
イスルが付け足し、おれは今まで一度も言われたことがない言葉に驚いてしまう。流花さんはただ笑って、「へ〜」とリアクションするだけだ。
「…なんでですか?」
好奇心に負けて聞いたら、イスルはそっぽを向いてハンガーにかけられた衣装の裾に触れながら、「なんとなく」と言った。
なんだよ、理由くらい教えてくれてもいいのに。そう思った自分に気づく。おれのどこが好きか、それくらい…。とは言っても、この場合の「好き」はどんな「好き」なんだろうか。おれが酔って帰った夜に「お前のこと気にかけてる」と言われたこともそうだけど、イスルはこういう曖昧な表現を好むらしい。でもおれだって、人のことは言えないんだろう。表現どころか、心の中まで曖昧な色をしているんだから。
毎日忙しくても、おれとイスルはそのままだった。そりゃあツアー中とは違うけど、2人でいたらキスくらいはするし、たまに一緒に寝る。リビングの向こうにあって他の部屋とはちょっと離れているおれの部屋で。きっと、本当にイスルはおれとのことなんかどうだっていいんだろうと思う。眠れない、と連絡したらおれの部屋に来てくれるけど、自分からは連絡しない。一緒にいてくれる優しさだって、メンバーの一人に見せる優しさの延長線だという気がしてくる。おれだってそれ以外のことを望んでるわけじゃない、と思う。まあいいや、こんなことはどうでもいい、おれは決まって自分にそう言い聞かせる。そうすればいつの間にかそれが現実になっているはずだ。
おれの今日の出番は終わり、あとはイスルの個人撮影でおしまいだった。あとの3人がおれたちよりだいぶ早く終わって先に帰ったので、おれは残ってイスルの撮影をぼんやりと眺めている。マネージャーさんに「帰ろうか」と言われたけど、「イスルヒョンが終わってからでいいです」と伝えた。ただ帰る支度をするのも面倒で、このまま少し休みたかったから。
イスルは池みたいな水に入っての撮影だ。見学していて、自分がこれじゃなくてよかったと思う。カットがかかるたびに、イスルは寒そうにしている。やっと終わると、流花さんが他のスタッフさんたちと駆けつけ、タオルを巻いてあげていた。ただかわいそうだと思って見ていたのに、濡れた髪をかきあげるイスルを見て、変な感情が湧いてくる。良くないとわかっているのに、体が勝手に動き出す。
「お前、帰ってなかったの?」
セットを後にするイスルに駆け寄ると聞かれた。
「うん。おれはさっき終わったから」
イスルの肩に腕を回し、肌の冷たさに驚く。イスルは一つくしゃみをする。
「大丈夫?」
「大丈夫」
セットの影に差しかかった頃、イスルの手がおれの手のひらに滑り込んでくる。思わず後ろを見て誰もいないか確かめそうになり、おれは代わりにただイスルの手を握り返す。
着替え用の部屋にたどり着いた。イスルがタオルを置いて、2枚重ねのシャツの1枚目を脱ぎ、おれを見つめた。ここにいなくていいんだってこと、忘れてた。「あ、ごめん」と謝る割に、おれの足は動かない。ただ濡れたシャツがイスルの肌に張り付いてるのを、髪の毛が濡れてるのを見る。それから手を伸ばし、ちょっと色の引いた唇を指でなぞる。
「ヒョン、キスしていい?」
イスルは睨むようにおれを見上げる。
「早くして」
早く着替えたいからそう言ったのか、そういうことじゃないのか、おれにはわからなかったけど、質問するものでもない。何回かキスしてすぐに離れて、荷物を取りに行こうと思ったけど面倒で一緒に行けばいいやと思って、イスルが着替え終わるのを待った。
「ヒョン、なんであんなこと言ったの?」
「なに?」
「おれのファンになってたと思うって」
イスルはしばらく考えこみ、納得してなさそうに「ダンス、うまいから?」と言った。
またデビューしたばっかりの頃を思い出す。「ルイはイスルのファンだ」ってよく言われてた。ファンにもメンバーにも、公式コンテンツでも。あの時とは関係が違うから、今そんなことを言われたら、嫌ってわけじゃないけどちょっと悔しいと思う。もう純粋に憧れる先輩じゃない。助けてくれる年上の練習生でもない。イスルはイスル、おれの、ファン。
そんなわけないじゃん、と思って笑みがこぼれる。一緒にデビューしてなければ、今頃は他人になっていたと思う。練習生の時は慕ってたけど、離れ離れになったら次第に気持ちも離れていったんだろう。そういうものだ。おれが何年もイスルのことを思い出してちょっと恋しく思ったりするのは想像できても、その逆は想像できない。いつか誰かが「イスルはルイのファンだね」と口にすることがあるとも思えない。
だけど、どこから湧いてくるのかわからないこんな悔しさも、たぶん時間が経てば消えてなくなる。そう考えれば安心できた。
マネージャーさんの車で帰りながら、イスルがまたくしゃみをする。風邪引くんじゃないの、と思っても、おれはただ黙っている。
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