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引っ越し前々夜
イスルが帰ってくると、みんな荷造りを中断してリビングに集まった。
「終わらないんだけど〜」とソンファがぼやく。
「明日手伝ってあげるから」
ビールの缶を配りながらフィンが言う。飲んだら翌朝は起きられないフィンは、ほとんど荷造りを終えて余裕みたいだった。
おれは正直終わりが見えないけど、今はそんなこと忘れなきゃいけない。
「よし、乾杯!」
フィンの声に続いて缶を合わせる。
ご飯を食べて飲みながら、話題は自然と練習生の頃からの生活を振り返るようなものになった。昼間のライブ配信で同じようなことを話していたとはいえ、だ。
「イスルヒョンと一緒の部屋に住んでなかったのがもう何年前のことか…」
2杯目ですでにソファの上で溶けたような姿勢になりながら、フィンが言う。
「5年とかかな。長かったな、本当に」とイスル。
イスルはフィンの1つ上だけど、練習生時代には同じ高校に通っていて学年とクラスも同じ、部屋もずっと一緒だった。クールに振る舞っても本当は寂しがってるのは、おれたちみんなわかっていた。
「お前もだよ、ソンファ。お前が入ってきてすぐデビューメンバーになったから、ほとんど話したこともないのに同じ部屋に住むことになったの、覚えてる?ほんとは不安だったよ、どんなやつが来るかなって」
フィンは手を伸ばし、隣に座っていたソンファの髪をぐしゃぐしゃにする。
「こんなかわいいやつで幸せだよ、ヒョンは〜」
「やめてよ」と言いながら、ソンファが吹き出す。
いつもはしっかりしたリーダーの滅多に見ない姿を見て、今日だけは面白いというよりちょっと感慨深かった。はっきりした性格のソンファがおれたち4人にとっては可愛いマンネだというのもあの頃から変わらなくて、おれは場違いにもじーんとする。
「僕はお前とこんなにうまくいったことにびっくりしてるよ、ルイ」
テミンがおれの方を向き、静かに言う。
「確かに。仲良くなるとも思ってなかったし、一緒にデビューするとも、同じ部屋に住むとも…」
「ほんとに不思議だよ」
テミンの返事はそれだけだった。規則正しい生活が好きで、どちらかと言うとかわいい見た目に反して芯が強い努力家のテミンと、遅刻が多くて夜更かしが好きで、感情的で感覚的なおれはまさに正反対だった。それなのに黙っていても平気なほど心地のいい仲になれたことは、不思議以外の言葉じゃ表せない。
「大好きだよテミナ」
なんだか胸がいっぱいになって、おれは急いで言う。いつもはこんなこと言わないけど。
酒が進むにつれて、ライブ配信で話さなかったようなことに話題が及ぶ。恋愛解禁のこととか、来月の休暇に何をするとか。
「俺たち本当に偉かったよな?何もやらかさずいい子ちゃんだった」
イスルが言う。
「なんか忙しくてそんな暇なかったよね、普通に」とソンファ。
この2人は特にビジュアルが良くて、人気メンバーでもあった。学生時代からモテたんだろうなと想像もつく。
「解禁って言っても変わんないよな。だってまさか、じゃあ今日から恋愛するぞって思ってる人はいないでしょ」とフィン。
「さあ。もしいたら手挙げてみて?」
いい調子になってきたおれがふざけると、4人が一斉に笑う。
「あ、でも俺がリーダーとしてだめだって言ってるわけじゃないから。…もちろんいろんな影響を考えなきゃいけないだろうけど、お前たち一人一人の幸せも大事だから」とフィン。
「おー、感動」
おれとイスルがほぼ同時に茶化して、ソンファとテミンが笑った。気持ちいいな、とおれは思う。酒のおかげでもあり、4人のおかげでもあった。
「みんな最後にいた好きな人って誰なんですか」とソンファが言い出した。
全員がうーん、と考え込んで、また笑い出す。
「だって覚えてないよ、ほんとに」
テミンが笑いながら言った。それからまじめな顔になって、「いや、高校の時かな?ちゃんと好きな人っていったら…」と話す。おれはこっちで高校に通わなかったから、そんなこともなかった。ちょっとだけ羨ましく思う。
「フィニヒョンは知ってるからいいとして、」
ソンファが言う。フィンは練習生の時付き合ってた彼女とデビュー前に別れたし、ソンファも同じだった。
「ルイヒョンは?例の日本の?」
「うん、そうじゃない?」
練習生の頃、好きな人というよりはなんやかんやあった相手が日本にいた。みんなには詳しいことは話さなかったけど、相手が男だってことは伝えてあった。韓国に来る前は、自分がゲイだってことを練習生の友達に話せる日が来るかなんてわからなかったけど、メンバーに選ばれてから、この4人には早い段階で言ってもいいと思った。
たぶんそう思えたのには、5人のメンバーが決まってすぐにイスルがバイだってことを知ったのも関係している。世間話みたいになんてことなく打ち明けたイスルに拍子抜けして、大丈夫なんだと思えた。その後何ヶ月も経って、イスルが「ああいう話は予想の何倍も緊張する」と教えてくれたけど。
他の練習生にも両親にも会社にも話さず、このことを知ってるのは姉と寄宿学校時代の仲の良い友だち、メンバー、そしておれの最後の「好きな人」の桃也だけだった。
「イスルヒョンは?」とソンファ。
「俺も練習生の時」
イスルが酔いはじめのふわふわした声で答える。
「ヒョンたち、気づいてた?俺は好きな人は誰かって聞いたのに、誰ひとりとしてちゃんと答えてない」
ソンファがおれたちの顔を見回して訴える。ムキになってるのが面白くて、おれたち4人は揃って笑い出す。
「俺のは、この中にも知り合いがいる人だけど」
イスルが言い、テミンが「なに!」と珍しくでかい声を出す。
「いつか話すよ」
「もったいぶらないでくださいよ〜」
ソンファが駄々をこねる。そうだったんだ、とおれは思う。たぶん先に練習生になったテミンやフィンにしか関係のない話なんだろう。
何杯目だろう、かなり酔ったなという頃、ふと目が合ったイスルがテーブルの向こうからおれに手招きする。隣にいたテミンはトイレに行き、ソンファとフィンはソファで喋っていたから、おれは立ち上がってイスルの横に行く。
「なあ、ルー」
イスルだけが時々おれをこうやって呼ぶ。おれの日本名は流那で、英語名のルイがステージネーム、ルーはルイの略で、姉の澪とかロンドンの友達にたまに呼ばれていたニックネームだ。
「俺、今度コラボステージに出ることになってて」
イスルが口にした曲のタイトルは、ダンスで有名な先輩グループの特に難しい曲だった。
「うわ、いいじゃん」
自分でもライブ配信をしながら軽くその曲を踊ったりしたことがあったことを思い出しながら、おれは言う。イスルはなぜか浮かない表情で続ける。
「でもお前がいなきゃだめなんだよ」
その言葉はあまりにも唐突で、おれは会話の流れを忘れてしまい、恋愛映画のせりふみたいだと思う。
「あはは、何ですかそれ?」
「本当は5人組だろ、でもカバーのメンバーが4人しかいないの。あと1人、俺はお前がいたらいいと思った。そしたら、全部違うグループのメインダンサーだけを集めるステージだって言われたんだ。だけどお前がもしやれるって言うなら交渉してみるって…」
「…おれ?」
「そうだよ、やりたくない?」
おれは考え込む。メインダンサーは普通グループに1人か2人、一番ダンスの上手いメンバーだ。エクリプスに公式ポジションはないけど、5人の中では練習も仕切るダンスリーダーのイスルがどう考えても唯一のメインダンサーに当たる。つまりおれが出ることになれば、他のグループから1人ずつ出るところにうちから2人出る、それに加えておれだけがメインダンサーじゃない。
どうしてイスルがこんなことにおれを推そうとするのか不思議だったけど、悪い気はしない。それに練習の大変さやプレッシャーについて考えようとしても、おれ自身が好きな振り付けをやり切る喜びを想像してしまう。
「やってみたいとは思うけど。4人でも別にいいんじゃないの?」
「人数のことはそんなに関係ない。お前が配信であのダンスするの見てたし、この曲をやるって聞いた時、お前がいないのにやるなんて嫌だって思ったんだよ。…嫌だっていうか、もったいないって」
イスルは言い直して、グラスをテーブルに置く。俯いた視線が少しの間テーブルの上を泳ぎ、またおれの目に帰ってくる。
「もちろん大変だと思うから。やりたくなかったらいいよ。だけど、大変にはなるけど…できると思うよ。俺がわかってる」
そんな風に言われたら、断れるわけがない。だけどイヤイヤ承諾するわけでもない。イスルが信じてくれたことを、おれも信じてみたいと思った。
「うん、わかった」
おれが答えると、イスルは「やった」と笑う。それを見たら、おれがいなきゃ嫌だなんて言葉がもっとかわいく思えてきた。
トイレから戻ってきたテミンはだいぶ出来上がって、おれの隣に椅子を持ってきて座り、肩にもたれてくる。イスルとおれはそれを見て笑い、テミンも頭を起こして笑う。宿舎が変わるだけでおれたち5人はそのままだ、ということがおれを安心させてくれる。ロンドンでも東京でもソウルでもなく、5人でいる空間こそがおれの帰る場所だったらいい、とありふれたことを思って、おれは恥ずかしくなった。
1・2時間後にはテミンと競争するようにベッドに入り、少しだけ遅かったテミンがまた起き上がって電気を消しに行った。信じられないほど文句を言いながら。
「テミナ、アラームかけた?」
「知らないよ、何時?」
「もういい、おれがやる!」
「おやすみ〜」
すでに夢の中にいるみたいなふにゃふにゃのテミンの声が、布団の中から聞こえた。
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