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酩酊、ダンス
昨日のおれは、午後からの仕事の前に荷造りをするつもりだったことも忘れて昼にアラームをセットしたみたいだった。酔っていたくせにおれより早く起きたテミンは、おれを呆れた目で見つめる。
「終わるの?ルイ」
「家出るまであと2時間だから、30分で準備して1時間半やって、うん…終わるかも…」
「手伝ってあげる」
「やった、大好きテミナ、コーヒー奢るよ、今週中ずっと」
「どういたしまして」
ありがたい協力あってなんとか荷造りを終わらせて、コンテンツの撮影に向かった。数時間後には解放されて、がらんとしたリビングでみんなで夜ご飯を食べる。昨日が最後の夜みたいだったから、今日で本当に最後だということの実感が湧かなかった。
次の日は朝早くにトラックが来て、一日中引っ越し作業と荷解きをして過ごした。広い新しいリビングにご飯を食べに集まると、イスルがおれに話しかける。
「ルイ、コラボステージの返事来たよ。一緒にやってみようって」
「ほんと?もうわかったんですか?」
「ああ、昨日マネージャーに話して確認してもらった。練習の日程は後で送るけど、来週から始まって何回かしかないから。正直大変だと思うけど」
まるで自分から立候補したみたいにうれしかった。今は心配よりわくわくする気持ちが勝って、おれは「ヒョンがいるなら心強いよ」と言う。
イスルは他にもいろいろ言いたいことがありそうな顔をして、ただおれの肩をぽんぽんと叩いて、「頑張ろう」と言った。
個人練習を始めてすぐに、不安が楽しみを上回るようになった。まあまあ踊れてはいたけど、他のメンバー、特にイスルと比べて見劣りがしないレベルに持っていけるかどうか、それが心配だった。おれがエクリプスの中では二番手のダンサーで、その自負もあるつもりだった。だけどおれは一番じゃない。今までにないほど、その事実がおれの前に立ちはだかっていた。
一番怖いのは、イスルをがっかりさせること。おれのことなんか誘わなきゃよかったと思われることだ。雑念を完全に振り払えないまま、おれは5人での最初の練習に臨んだ。
メンバーはイスル、おれ。イスルと同い年で、イスルと同じくらいダンスの実力に定評があるミンジェ。現代舞踏の経験があるロウン。それからおれと同い年の友達スヒョン。スヒョンはメインダンサーといってもあんまりダンスを売りにしてないグループのメンバーで、おれと同じく緊張してるみたいだった。
このコラボユニットの中でも、イスルがリーダーを務めることになっていた。
イスルは練習生の頃からおれのことを気にかけてくれて、韓国語の面でもダンスの面でも助けてくれた。おれの直すべきところを的確に教えてくれたし、ある時こう言ってくれたこともある。
お前は感情に左右されやすいしある程度はコントロールしなきゃいけない部分でもあるけど、それがお前の強みでもあるんだよ。ルー、お前を見てたら踊るのが好きだってわかる。お前のダンスを見てる人が楽しい理由はそれだと思う、と。
イスルはいつでもおれの気持ちをわかってくれているような気がしていた。今日ぶつかることになってしまったのは、おれがイスルに理解してほしいと願うばかりだったから、そう思う。
「なんでおれにできるって言ったりしたんですか」
周りを見て合わせるのに気を取られすぎて、気持ちが焦って一人で踊った時ほどもうまくやれなかった。休憩中に何度もイスルに注意されて、自分が悪いのはわかってるのにそんな言葉が飛び出した。
「できるからだろ。わかってるよ」
イスルは驚いたように目を丸くして、そう言った。
おれが頑張りきれてないのはわかるけど、正直スヒョンよりはできてることもわかる。イスルがおれにはいつもより厳しく、スヒョンには優しくしてることも。
「ちょっと休ませて」
身体の疲れをとるよりも、頭を冷やしたかった。でもイスルは首を横に振って、「もう一回やろう。あと少しだろ」と言った。普段はこんなこと言ったりしないのに。
「なんでいつもみたいにしてくれないの?」
まずいと気づくより早く、言葉が唇から滑り出していった。おれは床に落ちた言葉を一つ一つ眺めるように足元を見つめた。イスルが何か言うより早くそれを拾わなきゃと思って、まだ目を上げないまま口を開く。
「ヒョン…」
「いつもとは違うんだよ。俺はお前だけに甘い顔するなんてできない。できるってわかってるんだから、ただやってくれなきゃ」
イスルの言うことが正しいのに。少し休めばちゃんとできるはずなのに。イスルの期待を裏切りたくなかった。選ぶんじゃなかったという後悔の色がイスルの瞳に映っていないか、何か間違えるたびに怯えながら鏡を覗くのはいやだった。
「おれ、今はただ、」
もう時間がなかった。おれの言葉を遮って、トイレに行っていたミンジェが帰ってきたのを確認したイスルが「休憩終わり!最後にもう1回やろう」と言う。イスルは何も言わずおれの肩をぽんと叩いて、場所についた。最後に合わせた時も、おれはぱっとしなかった。
イスルと一緒に帰りたくなかった。練習室を出てみんなで廊下を歩きながら、おれは隣から話しかけてくるスヒョンに、電話がかかってきたみたいだと言って先に行ってもらった。前を歩いていたイスルが振り返り、ほとんど無表情でおれを見つめた。
自分のしてることが恥ずかしくて、おれはイスルの視線から逃げる。わがままだってわかってるけど、今は話したくない。謝るのも先延ばしだ。
もうすぐ22時という時間だった。うるさい音や人混みの中に、自分の考えを全部沈めて溺れさせてしまいたい。それには完璧な時間だ。おれは梨泰院に向かう。一般人はあんまり行かないお気に入りのクラブがあって、時々音楽を聴いて踊るためだけにそこに行っていた。同い年のアイドル友達のユノやスヒョンと行くことが多かったけど、今日ばかりは一人じゃ寂しいなんて思わない。
静かなタクシーの車内では、おれの頭の中のノイズだけが鳴っていた。イスルがおれを信じてくれたとわかった時の気持ち、がっかりさせたくないと張り詰めた思い、甘えすぎたという後悔、イスルの呆れたような表情。きっと明日には元通りだ。おれは心の中で呟く。どうしてもっと頑張れなかったんだろう。
「ルイ」
フロアに着いてすぐに、聞き慣れた声が背後からおれを呼ぶ。ユノだ。ラッキーだ、と思った自分がやっぱり一人じゃ嫌だと思っていたことに気づく。
「ユノ?何してるんだよ!」
「これからスヒョンが来るんだけど。…あれ、今日は特別パフォーマンスの練習だって言ってたよ。ルイも出るんだよね?」
「もう終わったよ。おれは直接来たから」
「そっか。じゃあスヒョンももうすぐ来るかな」
おれたちは、飲み物を買ってスヒョンを待った。
望み通りの夜にはならなかった。さっさと酔って何も考えずに楽しみたかったのに、なかなか酔えないことにいらだって、そのせいで飲みすぎた分の酒にあとで思いっきりやられた。
ユノとスヒョンとはぐれてふらふらしていたところに、電話があった。イスルじゃなきゃいいと思ったし、イスルならいいなとも思ったけど、かけてきたのはフィンだった。
「ルイ?」
フィンの声は遠く聞こえ、きっとそれはおれのせいなんだろうなと思う。声を枯らすほど張り上げなくてもすむように、おれはロッカーの方に歩いていく。
「フィニヒョン?」
「どこにいるんだ?イスルヒョンが…今ミンジェ先輩とご飯行ってるらしいけど、電話してきたよ。練習後にルイがいなくなったんだけど帰ってきてないかって」
それを聞いて、かすかにうれしいと思ってしまったのはなぜだろう。おれは後ろめたくなって、無意識のうちに肩をちぢめて、「うん。ごめん。ちょっと出かけてるだけ」と答える。
「大丈夫なのか?」
「うん。ユノもスヒョンもいるしもうすぐ帰るよ」
少し沈黙があって、黙っていなくなったことを怒られるんだと思ったけど、フィンは心配そうに言った。
「イスルヒョンと揉めたって?」
「いや、違う…おれが悪かったんです。イスルヒョンが帰ったらそう言っといて」
音は聞こえないのに、フィンがため息をついたような気がした。
「だったら自分で言わなきゃ。お前が無事だってことは伝えとく。あとは電話するか話すかして、今日寝る前にちゃんと解決するんだよ」
「無理だよ」
自分でも呆れるくらいに正直だった。フィンはまた音のしないため息をついて、「イスルヒョンは怒ってない。心配してるだけだから。ちゃんと自分で話せよ」と言う。おれは「うん」と答える。
「大丈夫だよ、ルイ。ちゃんと帰ってこいよ」
「当たり前ですよ」
おれは言って、返事を待たずに電話を切ってしまった。そのうち帰ろうという気にはなったけど、イスルと話せるとは思えない。くらくら回る頭で、おれはフロアに戻る。
ユノとスヒョンとはすぐに再会できた。おれは新しい飲み物を買い、「もうちょっとで帰る!」と2人に伝えてまた踊りはじめた。
数曲後におれの好きなディスクロージャーの曲が流れた。練習で疲れた身体が勝手に動き出すのがどうしようもなく気持ちいい。これだ、と思った。こんな気持ちにまたなれるなら、どんなに苦しくても平気だ。飲み物に混ざって流れ込んでくる冷たい氷と、目まぐるしく色を変えるライト、全身を揺らす音楽。全部が混ざったものの遠く彼方に、イスルの言葉が聞こえるような気がした。
踊るのが好きだって、お前を見てたらわかるよ。
おれは踊ってる。踊れる。踊りたい。
ダンスに不安や緊張を感じるなんて感覚もすっかり忘れて、きっと思っていたよりずっと長い時間をフロアで過ごした。ユノが帰ると言い出したから、やっと帰る決心がついた。先に来たタクシーに乗り込む間際、スヒョンがおれを抱きしめて言った。
「頑張ろうな。きっとうまくいくよ」
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