桃也

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桃也

 桃也(とうや)と再会したのは、おれが練習生になって3ヶ月後の正月休みだった。日本にいる時間は最低限に留めて、早く帰って練習しようと思っていた。12月の30日から三が日まで、ただ親に言われて実家に顔を出すだけ。  元旦の昼、桃也からの唐突なメッセージを開いて、おれは正直驚いた。 〈あけおめ〉 〈今日本にいたりしないの?〉  あけおめと返すのも久しぶりと付け足すのも忘れて、おれは返事を打ち込んだ。 〈実家いるよ〉 〈そっちは?〉  数分後には、翌日に会うことになっていた。  日本の小学校の友達で、その時まで連絡をとり続けていたのは桃也だけだったと思う。親同士も顔見知りだったし、ロンドンに行く直前までは毎日のように遊ぶくらい仲良くしていた。でも、その頃のことは今ではよく思い出せない。  ロンドンで過ごした6年の間にも、細々と友情は続いていた。小学生のうちは子供らしく手紙のやりとりをして、だけど桃也は親に言われて書いてるんじゃないか、とおれは思っていた。中学生になってからたまにメッセージでやりとりするようになり、時々電話をするようになったのは14歳の頃だっただろうか。桃也が受験生になり、親に怒られるとかで、電話の習慣は途切れた。  家族と日本に帰る時にも、寄宿学校に行きだした後の夏休みや冬休みにも、日本にいるからといって桃也と再会することはなかった。6年の間、おれたちは思い出したように近況を報告しあったり、学校の文句をこぼしあったりするだけだった。  それでも、桃也の存在がおれにとっては特別だったと思う。親に書かされたと勘ぐった手紙だって捨てられずに取ってあったし、電話で韓国に行くと話した時に「頑張れよ」と言ってくれた声の調子だってずっと覚えていた。  おれの記憶の中の桃也は、真冬でも休み時間は外でサッカーをしたがるような子だった。その頃は女子からの人気はごく普通だったけど、中学2年で初めての彼女ができた。その時は電話で嬉しそうに教えてくれたけど、少しずつ自分からはそういう話題を出さなくなって、また電話をするようになってからおれが時々聞き出していた。だけど桃也はなかなかモテるらしかった。どんな見た目になったのかもよく知らずに待ち合わせ場所へ向かうと、すらっとした大人っぽい人がいて、おれは内心なるほどな、と思った。 「あー、桃也、だよね?」  歯切れ悪く話しかけたおれを見て、携帯から目を上げたばかりの桃也は一気に表情を明るくする。 「流那!久しぶり」  喋り方は昔のまんまだ、どこかぼうっとした頭の中でおれは考える。だけど短かった髪は顎を越えるくらいまで伸びて、小学生の頃ずっと競い合っていた身長もおれより高くなっていた。  身長はいくつになったかとか、どうでもいい話をしながら近くの喫茶店まで並んで歩く。肩が触れ合って、いや、おれの肩があいつの肩のちょっと下に当たって。おれが何も考えずに寒いと言ったら、桃也はダウンのポケットから手を出して、黙ってカイロをくれた。  昔からある喫茶店は、記憶の通りタバコ臭くて空調があんまり効いていなかった。おれと桃也は上着を着たままで向かい合って話した。 「高校どう?」  とりあえず、と思って聞く。桃也はでっかくなった肩をすくめる。 「微妙」  おれは記憶をたどってみる。 「校則ゆるいんだっけ?髪も長いよね」  数ヶ月前の桃也の話によると、制服は着崩しても怒られないらしかった。まあまあ頭がいい学校だから、と桃也は言っていた。そう、と頷いた後で、桃也は遠慮がちに聞いてくる。 「どう?」 「いいじゃん、芸能人みたい」 「芸能人って。どっちかと言ったらお前だろ」  桃也が笑う。韓国語もままならない練習生3ヶ月のおれは、これだけのことにも焦りを感じた。 「まあデビューできるかわかんないし」 「できなきゃだめだろ」  桃也がそう言って、おれは焦るというよりも嬉しく感じた。おれのダンスも歌も知らない桃也だからこんなことが言えるだけだとわかっていても、昔からの友達に言われると何かが違う。 「頑張るよ。…バイトはどう?好きな人は?」  高校から始めたカフェバーのバイトで、好きな人ができたと聞いていた。その人は高3らしく、それ以外にも学校で告白してくれた子がいて迷っているというのが少し前の桃也の話だった。中学の頃から色恋沙汰が絶えないというのも、再会してみたら納得だった。もし友達じゃなければかっこいいと思ってただろうな、とおれは考えて思い直す。 友達とか関係なくかっこいい、と。  桃也はため息をつく。 「先輩は恋人できたって。俺は告白オッケーして、今1ヶ月」 「そうなんだ?好きなの?」   好きじゃない人と付き合うということが、おれには理解できなかった。桃也はちょっと顔をしかめて、「まあー…まだ途中かも」と答える。なんだよそれ、と思ってもおれは言わない。じゃあなんで付き合ってるんだよ、とも。  おれの方は練習生になってから忙しくて浮いた話はないと桃也には言ってあった。会わない間、ちょっと気になる人がいるとかそういう話は全部してあったけど、相手の性別は特定しないようにしていた。明確に話す勇気はなかったけど、嘘をつきたくもなかったから。もしかしたら桃也はわかってるのかも、コーヒーを飲みながらふとそう思った。  桃也は彼女と同じクラスらしくて、放課後は一緒に帰る。彼女は歩いて、桃也は自転車を押して。サッカー部に入っていた桃也は、数ヶ月で辞めたらしかった。中学生の時に描き始めた絵が楽しくて、今はそっちに集中している。イケメンで芸術的、モテるだろうねそりゃ、とおれは思う。  喫茶店では電話でするのとほとんど変わらない日常の話ばかりをして解散した。日本で桃也と同じ高校に通ってたらこんな感じだったのかな、と思った。日本に帰りたいなんて思ったことなかったのに、その日は初めてちょっとだけ寂しかった。  それから、おれと桃也は月に何度か電話をするようになった。それまでは毎月連絡すればいい方だったから、だいぶ頻度が上がったと言える。用があるわけじゃないとわかっていても、会社からの帰り道でも宿舎でも、桃也の電話には必ず応えるようにしていた。  4月になるとおれはデビューメンバーに選ばれた。練習生になって半年。自分で思っていたより早い展開で、おれは浮かれるというよりも驚きでいっぱいだった。 「そういえば俺別れたよ」  電話口でおれを祝ってくれた後で、桃也はどうでもよさそうにそう言った。 「クラス替えしたしこのまま付き合っててもなあと思って」 「クラス替えしたから別れるって?」  とんでもないやつだな、とおれは思う。 「違うけど、うちの高校2年から文理でクラス分かれるし。将来のこととか色々考えてるうちに、なんか何の意味があるんだろうって思い始めて」  おれは最初からそう思ってたのに。  大学はデザイン科に行きたい、桃也はそう教えてくれる。それから、バイトの先輩はこの春から美大に行ったんだと付け足す。 「まだ好きなの?」 「うーん」  桃也は眠そうな声で唸った。2歳年上といったらおれにとってのイスルで、確かに憧れの対象だった。  7月の夜中、いつものように桃也と電話していた。夜遅かったからか桃也の話はちょっとだけ脈絡がなくて、読んだ本の話から最近見た変な夢の話、あっちこっちに飛び回った。それでもというよりそれだから、桃也と話すのは心地よかった。同じ国にさえ住まなくなって長いのに、おれには心を許してくれているような気がした。 「練習どうだった?」 「ぼちぼちってとこ」  23時ごろにかかってきた電話には練習室に残っていたせいで出られなくて、折り返せたのは数時間後だった。テミンがもう寝ていたから、おれは蒸し暑いベランダに出ていた。 「そう。…こんな時間に話してくれなくてもいいのに。忙しいだろ」 「大丈夫だよ、別に」 「なんで相手してくれるの?」 「…友達じゃん」  おれは桃也の発言に不意を突かれて、当たり障りのないことを言うしかなかった。深い意味はないはずだと自分に言い聞かせる。 「そういうんじゃなくてさ」  一瞬の疑惑が、確信に変わる。今まで、電話しても直接話していてもこんな雰囲気になったことはなかったのに。それでも、正月に会った時の桃也の姿がおれの記憶に焼き付いていた。胸がつかえて何にも言えなくなる。 「流那、教えて。気になるんだけど」 「何を?」 「俺のことどう思ってるか」  長い長い沈黙が訪れた。桃也はもう何も言ってくれなくて、あいつのそんなところが心底憎らしかった。でも嘘はつきたくない。自分の言葉がどんな風に聞こえるかはっきり理解した上で、おれは本当のことを言った。 「好きだよ」  ありがと、俺も。桃也はそう言った。お盆におれが日本に帰ったら会う約束をした以外、他に何の話をしたかは覚えていない。 「7月に電話した時さ」  お盆に桃也の家で。長いことくだらない話をした後に、あいつはようやく切り出した。 「変なこと言ったよな、ごめん」  電話から1ヶ月、桃也がおれのことをどう考えているのか、ものすごく悩まされた。友達だと思ってたのに、とがっかりする自分が一方では満更でもないのがまた癪だった。俺も好き、とさえ言ってくれなかったのに。 「うん…」  変なこと言った、という言葉から、もうすでにこいつにとっては過去の話なのかと思った。 「俺のさ、バイト先の先輩」  さっき見せてくれたスケッチブックが机の上で開きっぱなしになっているのを見つめながら、桃也は言う。 「男なんだ」  寂しかったんだ、とおれは思う。おれがもしかしたらそうかもしれないって、きっと前から思ってたんだ。先輩のことを乗り越えたかったんだ。 「流那はいつから男が好きだった?」  桃也がおれを見る。 「前からだよ」  桃也が立ち上がって、ベッドの上、おれの隣に座る。背の高い桃也がおれの肩にもたれかかる。おれは友達の桃也が好きで、それとは別に桃也の身体に触れたくて。それだけだったらよかったのに。恋みたいなただの夏の気の迷いが、おれを泣きたいような気持ちにさせた。 「俺としてみたい?」  桃也が目を上げて聞く。おれは少しだけ黙って、いいよ、と答えた。  おれたちは知らないうちに寝ていたみたいだった。アラームの音で起きると、ちょうど夏休みで実家に帰っていた(れい)からの電話だった。 「るう、いつ帰ってくんの?もうご飯できそうだって」 「あ〜…ごめん、時間見てなかった。もうすぐ帰る」 「オッケー。桃也くんちでしょ?桃也くんもご飯食べに来ないかって、お母さんが」 「わかった、聞いてみる」 「じゃまた後でね」  服を着てないままの桃也が体を起こして、おれをじっと見ていた。電話を切ると、「帰んないでよ」と言われる。 「…桃也もうちでご飯食べる?って」 「あーうん、ありがと」  眠い目をした桃也が抱きついてきて、おれたちはしばらくそのままの体勢でいた。 「なあ、そろそろ行かないとかも」  おれが言うと、桃也のこもった声が聞こえる。 「ちょっと待って…」  その声のぬるい温度を感じて、おれは思わず言う。 「ずるいよ、桃也」 「なにが?」  桃也は平気でそんなことを言う。部屋に来るかと言われた時からこんなことになるかもと思って一応準備してあったんだから、桃也だけのせいにするわけにもいかないと思う。それでも。  おれの家で一緒にご飯を食べるのは当然ちょっと気まずくて、それに親が共働きの桃也が子供の頃よくうちに来ていたことを思い出した。久しぶりに桃也と話したうちの両親と澪は、桃也がかっこよくなったと褒めちぎった。そんな会話をBGMみたいに聞きながら考えていた。  桃也はおれのことなんか好きじゃないし、別にそれでもいいけど、期待した自分がバカみたいで嫌だ。いや、夜中の電話で起こったことなんかを真に受けたんだから、本当にバカだったんだろうな。これから気をつけよう。  帰る直前に、桃也が靴を履き終わってこっちを向き、「ごめんな」と言った。桃也みたいに「なにが?」と聞くわけにもいかなかった。おれはただ「またね」と言った。  その年の年末が、デビュー前最後の帰国になった。今でもツアーや活動で日本に行くと、桃也にはたまに会う。 桃也のことは前みたいに友達としか思っていないけど、今も時々あんなことがあったなと思い出す。
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