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 結構飲んだからか、夜中に目が覚めてトイレに行った。イスルを起こしたら悪いと思ったけど、何も見えなかったからベッドサイドのライトを1つだけつけて。戻ってきて電気を消そうとスイッチに手を伸ばして、おれは動きを止める。  イスルが寝てるところは何度も見たことがあったけど、同じベッドで眠ったことはなかったはずだ。仰向けで眠るイスルの顔をただ観察する。マッチで火を点けたように、不思議な気持ちが胸の中に突然生まれる。右の耳たぶにあるほくろのことも、大笑いすると鼻にしわが寄ることも、集中する時に唇を噛むくせのことも、おれだけが知っているような気がした。  イスルが目を開ける。おれはなぜか焦りもせずに、眠りが浅いって言ってたなそういえば、と思い出す。 「…ごめん、トイレ行ってた」  おれが言って電気を消そうとすると、イスルが「ルー、お前さ」と話しかけてくる。 「なに?」 「俺と一緒に寝たかったの?」  イスルの目を見つめ返しても、その瞳が笑ってるかどうかさえ判断できない。何かがつっかえたみたいに言葉が出なくて、おれはただ「なんで?」と聞き返す。イスルが肘をついて体を起こし、やっと笑みを浮かべる。 「ただそんな気がして」  おれはまた電気に手を伸ばそうと思って、腕の筋肉がぴくりと動くのもたしかに感じた。それでもまだ決心ができずにいる。  このまま電気を消しても、「なに言ってんの」と返してまた寝ても、おれの心は元通りにはならないだろう。暗闇の中で目を閉じても、きっと朝まで眠れないだろう。 「そうかなあ」  はぐらかすような返事が、おれの本心だった。イスルがさらに上体を起こして、おれとイスルはもっと近づく。  この不思議な会話をなかったことにして眠るとしたら、何かこの場を仕切り直すものが必要だった。水と一緒に今感じていることも全部飲み込めたらいいと思って、おれは言う。 「水取ってくれる?」  イスルが枕元の水を取って、おれに渡す。 「ありがと」  飲み終わっておれが返そうとしたボトルを受け取らず、イスルはおれに触れる。おれの唇に残った水分を親指で拭う。おれはふいに思い出す。ライブのMC中、おれがなにも言わなくてもイスルがタオルを渡してくれる時のことを。ダンスの練習中、イスルと鏡越しに目が合って、おれがミスしたと気づく時のことを。  目を見ただけで全部わかるなんて、そんなことあるわけがない。今イスルの瞳の奥に見えるものがただの幻影なのか、おれは確かめてみたくなる。 「キスしてもいい?」  だけどイスルが言う。まるでおれの心を読んだように。ペットボトルがおれの手のひらの中で、ぐしゃりと音を立てた。おれは頷く。  熱い。  それが最初に感じたことだった。さっきまで眠っていたからか。やけどしそうな熱のせいで、おれとイスルはだんだん溶け合って、2人の間の境界線がわからなくなる。  だけど一瞬のことだった。おれたちは離れ、イスルがおれの目を見つめる。 「ごめん」  おれは何も言えなかった。おれたちはベッドの左側と右側で、きちんと距離を置いて再び目をつぶる。  どうしてこうなっちゃったんだろうと思うよりも、当然だという気がするのが不思議だった。  きっとただの気まぐれだけど、おれは考える。イスルに初めて会った日から、おれが心の奥底で望んでいたのはこれだったんじゃないかと。  自分でかけた最初のアラームで目が覚めた時、イスルはもういないという気がした。寝返りをうって見ると本当にベッドにはおれしかいなくて、内心ほっとする。まだ時間には余裕があるけど、起きたメンバーはもう撮られてるんだろう。もう少し寝たいけど、二度寝したら起きられなくなる。おれはゆっくりとベッドから出て、簡単に身支度だけして、リビングを通って物音がするキッチンに向かう。  思った通りすでに撮影が行われているキッチンに顔を出すと、そこにいたメンバーはイスルただ一人だった。早起きのテミンがいるかもしれないと思ったのに。もしかしたらイスルは散歩でもしてるのかもしれないと。カメラがこっちを向いておれを捉えて、おれは腹を括る。 「おはよう」  イスルが振り返る。 「もう起きたんだ?」  珍しい、とか言うわけでもなく、イスルはすぐに前に向き直る。 「うん…ご飯作ってるの?」  歯を磨いて顔も洗ってきたとはいえ、まだ眠かった。目をこすりながらイスルの斜め後ろあたりに立って、ぼうっと作業を見る。キッチンは宿舎のよりも狭い。気まずいな、と思いながらも、おれはイスルの背後にくっつくような格好で立っていた。    寝ぼけた頭の中に疑問が浮かんでくる。 「あれ、朝ごはんの罰ゲームってヒョンになったんだっけ」 「うん?罰ゲームじゃないよ」  イスルは目を上げずに野菜を切りながら答える。 「そうだよね…じゃあなんで?」  あまりにも眠くて、おれは話しながらイスルの肩に頭ごともたれかかる。イスルの体温が伝わってきて、それがもっとおれを眠くさせて。次第に、昨日のことをまた思い出す。ぼんやりとしか見えないカメラが、おれの心の内側まで映し出すような気がする。 「ただ目が覚めたから」  イスルが答える。本当だとわかっていたけど、あまりにもカメラを意識していない会話を少しでも面白くしなきゃと思って、おれは「カッコつけないでください」とイスルの背中でうめく。 「何言ってんの」  邪魔だとも言わずにイスルが笑う。  早く目が覚めてもおれなら全員分の朝ごはんなんて作らない、ただラッキーだと思ってもう少し寝るだけなのに。昨日までなら、イスルに後ろから抱きついて「ありがとう」と言っていたかもしれない。その代わりにおれは体を起こし、少しだけ横に移動して、「何か手伝うよ」と申し出る。  イスルがおれをちらりと見る。 「いいよ。お前は座って喋ってて。一人じゃ退屈するから」  2人がやっと並んで立てるくらいのキッチンの隅っこに丸椅子が置いてあって、そのせいでキッチンがもっと狭くなっていた。おれは腰かけて、「何喋ったらいい?」と聞く。こんな寝起きで、面白い話なんてできる気がしない。きっとこの映像はカットされるだろう。だけどおれがイスルにくっついてた部分は間違いなく…。   「よく寝られた?」  イスルが話題を振ってくれて、おれは安心する。 「普通。おれよく寝てた?」 「ぐっすり寝てたよ」  イスルは続ける。 「俺、昨日のアラーム切り忘れてて、早い時間に鳴らしちゃったんだ。お前、それでも起きないの。すごいよな」 「聞こえなかった。だからいっつも寝坊するんですよ」  あ、またこっちを見る。イスルが笑う。昨日のことなんて夢だったのかもしれないという気がした瞬間にイスルの視線が降りてきて、ほんの1秒、いや、0.3秒くらいだけおれの唇に留まる。俺と一緒に寝たかったの?昨日の言葉がまたおれを困らせる。 「でも今日は他のみんなより早いじゃん」  イスルはあからさまに目を逸らし、つまらないことを言う。今度はおれがイスルの横顔を見つめて、本当にこの唇はおれに触れたのか、そんなバカなことを考えていた。 「うん…眠くて面白い話できない」 「いつもは面白いってこと?」 「面白いよ、おれは」 「たまにはね」  何も考えず中身のないやり取りができることにほっとしていた。カメラがいなくなり、おれ達が宿舎に帰ったら、いつか昨日のことについて話さなきゃいけないんだろう。カメラがある限りそんな瞬間は来ない、ということに今だけは安心できる。
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