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ラヴァーボーイの夢
撮影が全部終わって宿舎に着いたのは、夕方くらい。明後日がおれの誕生日で、その翌日から5日間の連休だ。ツアー前の最終打ち合わせとか動線確認とか、2日間はそんな予定だけだった。
あんなことがあってからイスルのことを変に意識しなかったと言ったら、もちろん嘘になる。だけどキスしたからそうなったわけじゃなく、一緒にコラボステージをしてから、いや、もしかしたらもっと前からだった。最初からずっとそうだったのかもしれない。おれが気づかないふりをしてただけ。どっちにしろそんなことは知らなくていいし、知る方法もない。
おれもイスルも、ただ何もなかったように振る舞った。いつかは話すんだろうとわかってたけど、今じゃなくてもよかった。周りにメンバーがいるおかげで後回しにできて、助かったとも言えるかもしれない。
「ルイは何日日本にいるの?」
打ち合わせが終わって会社の廊下を歩きながら、フィンに聞かれた。
「3泊だったかな?4日目の夜の飛行機だったと思うから」
「そうなんだ。あ、じゃあイスルヒョンが喜ぶんじゃない?」
おれの胸がどきんと鳴る。
「え、なんでですか?」
「イスルヒョンはここにいるじゃん。俺もソンファもテミンも最終日まで帰ってこないから、一人になっちゃう」
家族がまだカナダに住んでいるイスル以外は、みんな実家に帰る予定だった。前を歩いていたイスルが振り向き、ふざけてフィンを睨んで、「なんで俺が寂しがると思ってるの」と言った。
「俺想像できるんだよね。1日、2日くらいは一人を満喫して、その後退屈だなーってなってるヒョンの姿が」とフィン。
「まあ、暇といえば暇かもね」
イスルが言った。そんなことを言っても友達と遊んだりするんだろうし、おれが帰ってきて嬉しく思うなんてこともない気がするけど。
明日誕生日だからと、その夜はテミンがご飯を奢りに連れ出してくれた。
「なあ、あのステージの動画まだ見てるって話したっけ?」
テミンが唐突に、おれとイスルが出たコラボステージの話をしてくる。
「んえ、そうなの!?」
びっくりして思わず変な声が出る。テミンが笑い出す。
「うん。お前の動画、よく見てる」
「え〜、もう2週間くらい経つんじゃない?あ、3週間?」
「いや、だってほんとにすごかったから」
普段おれにはツンケンしがちなテミンにそんなことを言われて、おれは半分冗談、半分本気で泣きそうになる。
「…僕はあんなふうには踊れない。どれだけ頑張ったんだろうなって思ったんだよ」
「うわ〜、ありがとテミナ。お前にそんなこと言われるなんて…」
「誕生日だからだよ」
適当言いやがって、と思いながらおれは、美味しそうに焼けた肉をテミンの皿に乗せてあげた。
ダンスの面で憧れたのがイスルなら、歌はテミンだった。イスルに紹介されて知り合って間もない頃、集団ボーカルレッスンでテミンの歌を聞く機会があった。秀や他の練習生からうまいと聞いてはいたけど、予想以上だった。こんな人がデビューしないわけにいかないな、と思ったのを今でも覚えている。
今でも、歌ではテミン、ダンスではイスルを超えることができない、という事実がときどき足枷みたいに感じられる。他のグループでならメインダンサーやメインボーカルになれる、と言われることもあるおれが、決して一番にはなれない中途半端なやつみたいだったから。
それでも、おれはダンスか歌のどっちかを選びたくはない。ダンスも歌もどっちも好きだし、どっちも好きなままでいたかった。
「ツアー楽しみだな」
「だね。それにロンドン久しぶりだもんね?」とテミン。
おれがグループ初のヨーロッパツアーで数年ぶりにロンドンに帰れることをみんな喜んでくれたし、寄宿学校時代特に仲良かった友達のディランとソフィーもライブに来てくれることになっていた。
「うん、変な感じ」
「カバーの準備どんな感じ?」
「あ〜、いいと思う、最初に思ったよりは。だけどあと何回か練習できると思うから」
毎公演ごとに1人か2人、簡単なカバーを披露するのがお決まりだった。ロンドンではおれがクイーンの”Good Old-Fashioned Lover Boy"を歌う。おれにとっても難しいし、バンドの人たちにも無理を言ってたくさんコーラスしてもらわなきゃいけないから、この曲をやるかはだいぶ迷ったけど、テミンに相談して背中を押してもらって決めた。
公演でのカバーはふつうほぼ即興みたいなもので、こんな大掛かりな計画や練習は例外だった。やっぱりロンドン公演はおれにとって凱旋みたいなものだから、どうしても気合が入ってると思う。日本に住んでいた時間の方が長いし、国籍も日本国籍だけだとはいえ、10代の半分以上を過ごしたロンドンはやっぱりおれの第二の故郷だった。日本にもイギリスにも繋がりを感じることは、歌もダンスも好きだってことと似てるかもしれない。明日21歳になる今、やっとおれはたった一つを選ばなくてもいい、両方ともがおれの一部だってことを受け入れられそうだった。
テミンと宿舎に帰って寝る支度をしたあと、いつもの習慣でカバーするクイーンの曲をまた聴いて、歌詞を眺めた。今夜はどこにいるの?一緒にいない時は、いつも俺のことを考えて。途端にいくつか離れた部屋にいるイスルがおれの脳内に姿を現して、悪夢にうなされたような気分。ため息をついて、おれは寝ることにする。
次の日は誕生日恒例のライブ配信をしたり、宿舎で軽く祝ってもらったりして、その次の日の朝に日本に帰った。日本では、もうかなり暑かったこともあってあんまり出歩かずにのんびり過ごしていた。穏やかな3日間の中で唯一おれを困らせたのが、イスルがおれの頭から離れてくれなかったことだ。
元々、休暇で離れても数日経つ頃には恋しくなってくるのは、イスルだけじゃなかった。だけど、あんなことがあった後のおれの脳はイスルに支配されている。今日は何してるのかな、とか、帰って2人きりになったらどうなるんだろう、とか。何をしていても頭の奥にイスルの影がちらついて、一番我慢できなかったのが夢にまで出てきたことだった。
詳しい内容は、目が覚めた瞬間に忘れてしまった。だけど、イスルがいておれがいて、他にも人が出てきたのに知らないうちに2人になっていて。他にも、キスした時のことを思い出してなかなか寝つけなかったり。それだけならいいけど、つい2人だけの夜のことを想像して、なおさら眠れなくなった。夢か想像かもわからない世界の中で、おれは物欲しそうに燃えるイスルの瞳を、じっと目をつぶって見た。2人だけだな、と呟くイスルの声を、静かな寝室の中で聞いた。
ここまで来たら、2人きりになることに不安と期待が混ざったような気持ちを抱いていることを認めないわけにいかなかった。だけど、それと同じかそれ以上に、ただ会いたかった。これはいつの休暇の時も感じるのと同じ気持ちで、もし何かが違っていたとしたって、おれには理解できるものじゃなかった。
「ね〜、恋愛解禁なんだよね?」
誕生日祝いね、と予約してくれた個室の居酒屋で、澪が何気なく聞いてきた。
おれの4つ上の澪は、大学を卒業してまたロンドンに戻り働いている。もうすぐイギリスに住んで10年になり、永住権にも応募できるらしい。去年の日本ツアーで親には会ったけど澪は休みのタイミングが合わず、今回はおれが帰るのに合わせて日本に来ていた。
「うん、でも何も変わんないよ」
「そう?なんかさ、弟がアイドルだったらもっといろいろ聞けるのかな〜と思ってたんだけど」
「おれらが真面目すぎるのかも」
「あと、流那はあんなイケメンばっかりに囲まれて大変じゃないかなって」
メンバーはそんな目で見てないよ、と言いそうになって、あまりにも事実と違いすぎるから黙り込む。
「同性だったらたぶん、友達と恋愛対象の区別ははっきりしてなきゃいけないと思うよ。…そうじゃないとどう思われるかわかんないし。だから実際友達のこといいなと思っても、友達は友達って思わなきゃって気持ちが邪魔することがあるんじゃない?」
まるでアイドルになんの関係もなく、ただのおれ自身の話だった。
「そっか、大変だね。他のみんなは何もないの?イスルくんとか」
もちろん本気で狙ってるわけじゃないけど、前から澪のお気に入りはイスルだった。
「知らないけど。…あのさ、おれ、イスルヒョンと」
おれは言いかけ、黙る。
「何?」
「なんでもない」
「え、なになに」
澪が目を見開く。たぶん話の流れからして、多少の予想はつくんだろうな、という気がした。
「なんでもないってば」
いつか話すと約束させられて、おれと澪は店を出た。
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