始まりは、憂い

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始まりは、憂い

 天徳四年(960年)、清涼殿で催された「天徳内裏歌合」は、管弦の宴と共に開かれ、後世に残る大きな歌会だった。  左方は赤、右方は青の衣装を身につけ、二手に分かれる。  提示された題目にそって、左右交互に歌を披露し、判定人が優劣を判定、勝敗をつける。  優れた歌を残せば出世にも影響するため、参加者である上流貴族たちは、歌会の話題、特に最終二十番の歌合わせについて、好んで噂しあった。 「左の藤原勢は、多くの有力歌人を引き込んだらしいぞ」 「さすがは勢いづいている藤原氏よな。事前にそれだけの歌人を集めるとは。」 「いやいや、一人で五人分の働きをする平兼盛(たいらのかねもり)殿がいるから、右の勝利もあり得る」   「第二十番の勝負が目玉だな」 「なんと云っても最終対決。大トリだ」 「題目は『忍ぶ恋』だと。なんと難しい」 「当代きっての歌人、壬生忠見(みぶのただみ)殿と平兼盛(たいらのかねもり)殿の対決だ。どのような歌が詠まれるか楽しみじゃ」 「兼盛殿は従五位下上、忠見殿は摂津題目か」 「どちらもぱっとせんな。双方、出世には意欲的であろう」 「兼盛殿は先ごろ、離縁したそうな」 「奥方は再婚なさって娘が誕生したが、どうやらその娘、兼盛殿の娘らしいぞ。親権は認められなかったようだがな」 「なんと、兼盛殿、気の毒な」 「忠見殿は貧しさのため、歌会のまともな衣装が用意できぬと」 「こちらも哀れよ」  落ち着かないのは貴族たちだけではなかった。 「どうしたものかなぁ」  主催者である村上天皇は思い悩んだ。  筆を取り、親しくしている女官に不安を吐露した。 「ことのはをくらぶ山のおぼつかな 深き心のいづれ優れる」  暗部山の道が暗いように、和歌の道は私には暗くてよく分からない。  歌に詠まれた奥深さがどれ程優れているのか、私に見極められるだろうか。 「吹く風によるべ定めぬ白波は いづれの方に心寄せまし」  その時の気分や雰囲気次第で評価の変わる私は、どちらを贔屓にしたら良いのだろうか。  歌の判定人は他にいるとは言え、優れた歌を解さないと人々の口の端に上るのは、心外だ。  また、どちらかを贔屓にするということは、歌の優劣のみならず、歌人の役職引き上げなど政治的な意味合いもある。  どちらの歌人を引き立てても、軋轢は起こるだろう。  華やかに、大規模に、そして、貴人の憂いや人々の思惑も交えて、天徳内裏歌合が始まろうとしていた。
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