3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
始まりは、憂い
天徳四年(960年)、清涼殿で催された「天徳内裏歌合」は、管弦の宴と共に開かれ、後世に残る大きな歌会だった。
左方は赤、右方は青の衣装を身につけ、二手に分かれる。
提示された題目にそって、左右交互に歌を披露し、判定人が優劣を判定、勝敗をつける。
優れた歌を残せば出世にも影響するため、参加者である上流貴族たちは、歌会の話題、特に最終二十番の歌合わせについて、好んで噂しあった。
「左の藤原勢は、多くの有力歌人を引き込んだらしいぞ」
「さすがは勢いづいている藤原氏よな。事前にそれだけの歌人を集めるとは。」
「いやいや、一人で五人分の働きをする平兼盛殿がいるから、右の勝利もあり得る」
「第二十番の勝負が目玉だな」
「なんと云っても最終対決。大トリだ」
「題目は『忍ぶ恋』だと。なんと難しい」
「当代きっての歌人、壬生忠見殿と平兼盛殿の対決だ。どのような歌が詠まれるか楽しみじゃ」
「兼盛殿は従五位下上、忠見殿は摂津題目か」
「どちらもぱっとせんな。双方、出世には意欲的であろう」
「兼盛殿は先ごろ、離縁したそうな」
「奥方は再婚なさって娘が誕生したが、どうやらその娘、兼盛殿の娘らしいぞ。親権は認められなかったようだがな」
「なんと、兼盛殿、気の毒な」
「忠見殿は貧しさのため、歌会のまともな衣装が用意できぬと」
「こちらも哀れよ」
落ち着かないのは貴族たちだけではなかった。
「どうしたものかなぁ」
主催者である村上天皇は思い悩んだ。
筆を取り、親しくしている女官に不安を吐露した。
「ことのはをくらぶ山のおぼつかな 深き心のいづれ優れる」
暗部山の道が暗いように、和歌の道は私には暗くてよく分からない。
歌に詠まれた奥深さがどれ程優れているのか、私に見極められるだろうか。
「吹く風によるべ定めぬ白波は いづれの方に心寄せまし」
その時の気分や雰囲気次第で評価の変わる私は、どちらを贔屓にしたら良いのだろうか。
歌の判定人は他にいるとは言え、優れた歌を解さないと人々の口の端に上るのは、心外だ。
また、どちらかを贔屓にするということは、歌の優劣のみならず、歌人の役職引き上げなど政治的な意味合いもある。
どちらの歌人を引き立てても、軋轢は起こるだろう。
華やかに、大規模に、そして、貴人の憂いや人々の思惑も交えて、天徳内裏歌合が始まろうとしていた。
最初のコメントを投稿しよう!