継承

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継承

十  曹叡が崩御したあと、遺体は嘉福殿から九龍殿に移され、殯葬がおこなわれた。  そして高平陵という洛陽の東南にある陵に埋葬された。  明帝。これが死後曹叡の諡であった。  曹操の武帝、曹丕の文帝にくらべ、いかにも曹叡らしい、と秦朗は感じた。  美しい容姿に、万人を平等に接する笑顔。吃音があるが、その訥々と話すようすは臣に安心感をあたえた。  まさに、曹叡の時代の魏は明るく、後世の歴史からみても全盛期であった。  「三国志」明帝紀で著者の陳寿は、  『沈着剛毅で決断力と識見をもち、心意気をもって行動し、人民に対する君主としてまことにすぐれた気概を有していた』  としながらも、  『しかしこの時代、人々は疲弊しきり、天下は分裂、崩壊していたのに、まず先祖のすぐれた事業をととのえ、大業の基礎をかためようとせず、にわかに始皇帝や漢の武帝の轍をふんで、宮殿を造営した。将来への考慮という点に立てば、重大な失敗であったろう』  と辛辣な評をのこしている。  「三国志」は晋の時代に著された歴史書で、晋は魏の禅譲を受けて成立しているので、魏を正統としながらも、陳寿は蜀の出身で諸葛亮の信奉者であったため、諸葛亮がかなわなかった曹叡にひとこと批判を加えたかったのかもしれない。  ちなみに曹叡は死ぬ前に、宮殿の大造営を中止するようにいい遺した。  さて、秦朗は私人にもどったので、三年間曹叡の喪に服することにした。  徐庶に身の振り方を訊くと、  「私は明帝という後ろ盾がなくなりましたので、蜀の間諜組織から命を狙われるようになりました」  という。  「私の命は惜しくないのですが、家に母が存命です。ここでお願いがあるのですが、われら家族を秦朗どのにかくまっていただけまいか」  秦朗の邸宅は侯のごとくと「三国志」にあるように、曹叡の佞臣をつとめていたときの贈賄等で巨大である。  「わかりました。ご家族がお住まいになる家は、わが敷地内にご用意いたします。  ところで、おつとめ先にはいかが処置いたしましょう」  「はい。じつはすでに私は死んだと妻に届け出させ、葬儀は家族で密葬をすませたことにしました」  徐庶はここ数週間、秦朗とともに曹叡の看病にあたっていたので、宮中の仕事をつかさどる御史中丞の職は病を理由に辞職していたのだ。  「それはよろしゅうございましたな。私は罷免されたとはいえ、明帝のご遺言で過分の扶持を与えられておりますので、わが邸宅の敷地内でごゆるりとお過ごしください」  秦朗のあたたかいことばに徐庶は、  「かたじけない。おことばにあまえさせていただきます」  と頭を深くさげた。こうして徐庶は家族とも秦朗の秘密の賓客になった。          ※  新しい皇帝の曹芳を補佐するのは、曹爽と司馬懿の二人である。  そろって侍中の位と三千の兵を加えられ、朝政にあたることになった。  補弼の臣が二人いるので、宮中には曹爽と司馬懿が交代で詰め、宮殿の出入りに輿をつかってもよいとされた。  「正直いってやりにくい、というのが率直な感想です」  秦朗の邸宅を訪れた司馬懿は、肩をすくめてみせた。徐庶もその席に加わっている。  「しかし劉放と孫資をつかう、といわれた秦朗どのの策はみごとに当たりました」  「私と徐庶どのが新政権に残ることはできませんので、なんとかして大尉に新帝の補佐をしていただかなくてはなりませんでした。  それが明帝の強いご遺志でしたので……」  秦朗がこたえると、徐庶が司馬懿に訊く。  「それで、劉放と孫資はどのような扱いになったのですか?」  「両者ともに三百戸の加増です。経緯はどうあれ大将軍と私にとっては、氏神のような存在ですので……」  司馬懿はため息をついた。大将軍とは曹爽の新しい職名である。さらに武安候に封じられ、父の曹真の領邑を二千七百戸受け継いでいたが、このたびの国替えで一万七千戸を保有することになった。  「一万七千戸……」  「ふたりの忠候(夏侯惇と曹仁)よりはるかに多い」  秦朗と徐庶は、仰天した。夏侯惇と曹仁ですら生前三千戸程度の領邑であり、なにも功績のない曹爽がこのような大領を保有することは、破格である。  「しかも帯剣で昇殿でき、入朝しても小走りしなくてよいとなれば……献帝時代の武帝(曹操)に匹敵する待遇です」  司馬懿は曹操には好かれなかったが、その業績は誰よりも尊敬している。  「いけませんね。私の過去を棚に上げていうのもなんですが、あの大将軍がいきなり群臣の最高位にまつりあげられると……」  秦朗は皮肉を口にすると、徐庶も、  「陛下が幼く賢愚定かではないところに、愚が明らかな大将軍を後見とは……大尉も荷が重うござりましょうな」  と辛辣な評価である。  「今は大将軍も衆目の評判を気にして、気になる案件は何事も私に相談してくれます。  しかし……」  「しかし?」  秦朗は一抹の不安を感じ、司馬懿にたずねた。  「はい。大将軍のまわりには浮華の徒があつまってきています。  彼らは一身の栄華をむさぼりたいがゆえに、どのような政略を私にしかけてくるか、ようすをみているところなのです」  浮華の徒、ときいて眉をしかめたのは秦朗である。  曹叡の時代、浮ついた風潮を断つことをねらいにして禁固を実施したことがある。  「もしや、大将軍に群がる浮華の徒とは何晏や鄧飄らでは……」  「それだけではありません。丁謐、李勝、畢軌。みな札付きの浮華の徒です」  秦朗は天を仰いだ。  「そこまでの連中を、大将軍はよくも取り巻きにあつめたものですな」  徐庶も顔をしかめた。  何晏は先述したとおり後漢の大将軍だった何進の孫であるが、秦朗と後宮で育った。  つつしみ深い秦朗に比べ、何進の家系を誇る何晏は傲慢であたりをはばからず、なんと曹丕と同じ服装をしていた。  何晏は公主を娶ったにもかかわらず、他の女の家を遊び歩いたので、曹丕には「仮子(継子)」と公言されて嫌い抜かれた。  鄧飄は、いちどは尚書郎に任命されて洛陽の令になったが、ある事件に連座して罷免された。ふたたび宮中の中書郎の職に就くも、李勝らとつるんで軽薄な行動が問題視され、罷免。曹叡死後まで一切登用されなかった、  丁謐や李勝も、何晏と鄧飄と同じ輩ではあるが多少の知恵はある。  彼らには過去の名声があるので、実力と実績のない曹爽に近づき、まんまと栄誉という相伴をあずかることができたのだ。  「今日、ここをお訪ねしたのは他でもありません。私はこのたび大尉から太傅へと昇進させられたのです」  司馬懿が本題を切り出した。秦朗と徐庶は驚きを隠せず、  「それは……太傅など名誉職ではありませんか」  とうめいた。  「おおよそ、丁謐あたりが大将軍に吹きこんだ策でしょう。  私がいない方が、大将軍は独断専行ができるし、彼ら浮華の徒も思い通り大将軍と幼帝をあやつれますから」          ※  司馬懿の想像どおり、司馬懿を太傅にまつりあげて政権からとおざける献策をしたのは丁謐であった。  丁謐は「沈毅」とされて、ものごとに動じない落ち着きをもっている。しかし、曹爽にはやばやとちかづいて尚書に抜擢されたということは、栄達の野心を隠しもっていたということだ。  曹爽がことあるごとに辞を低くして司馬懿にものごとを相談している姿を見て、  (大尉は大将軍にとってはじゃまだな)  と考えるようになった。ある日、  「いまの王朝では宰相が二人いるように見えます」  と曹爽に直言した。曹爽は、ぼそぼそと、  「仕方がないではないか。先帝のご遺言だ」  と目を逸らせた。  「ご遺言を守ることよりも、国体を強固にすることが大事なのではありませんか」  丁謐はなおも追い打ちをかける。  「ど、どういうことだ」  曹爽は、丁謐の直言にうろたえている。  「つまりこういうことです。大将軍はいつも大尉にへりくだって政治を諮問しておられます。このようにいつまでも責任の所在を明らかにしなければ、魏は危ういということです」  「それは……」  「蜀はいつ雍州に攻め込むかわからないですし、呉も突然兵を北に向け荊州を侵すかわかりません。  戦時に即断をくだせないようでは、臨機応変の対応ができないではありませんか。  年長の大尉に謙譲の美徳をお示しになるのはけっこうです。しかしこのような状勢下では謙譲は無責任になります」  ここまできけば丁謐の目的は、曹爽にも理解できる。  「……大尉を政権から追い落とせ、ということか」  「お声がおおきゅうございます」  丁謐はにやりと笑って、  「大尉には太傅に昇っていただき、政権は大将軍が司る……上奏があった場合は尚書の私を通して太傅にお伝えします。  司馬一族に力をもたせてはなりません。それは文帝(曹丕)のご遺言、すなわち曹氏以外に政治を任せてはならないという大義名分にもなります」  とささやいた。  「司馬懿がそのような野望をもっているとは思えぬが……」  曹爽は、司馬懿に悪感情をもっていない。  「大将軍は、お人がよすぎます」  丁謐はぴしりと釘を刺す。  「いまは大尉も明帝のご遺言を守りおとなしくしていますが、大将軍と政権を二分しているうちに群臣に派閥がうまれ、己の派閥をつくり大将軍を駆逐しようとするでしょう」  「……」  曹爽は考えた。司馬懿と自分ではどちらが群臣と国民の人気を得るだろうか。  司馬懿は諸葛亮をしりぞけ、遼東を平定した英雄である。それにくらべて自分はどうか。  (明帝が亡くなるどさくさで、劉放と孫資にかつがれただけの運のいい男だ)  「ようやく、おわかりあそばしたごようすですね」  丁謐は血のめぐりが抜群である。曹爽が司馬懿と彼我の実力をみきわめ、ようやく現実のあやうさを自覚した瞬間を見逃さなかった。  「わかった。曹氏一門のためにも、大尉には政権からしりぞいていただこう」  曹爽ははじめて独断で王朝の人事を断行した。  司馬懿は知らされぬまま、太傅に昇進した。  だけではなく、宮中で小走りしなくてよい、履をはいたまま昇殿してもよい等の曹爽と同じ特権をあたえられた。  辞令を受けた司馬懿は、あまりのできごとにしばし呆然としたものの、  「ありがたくお受けいたします」  と逍遙とした態度は崩さなかった。  (浮華が馬鹿息子をそそのかしたな)  と感じた。  司馬懿の長男である司馬師は散騎常侍に任じられた。子弟の三人を列侯とし、四人を騎都尉としたが、司馬懿は列侯に関しては辞退した。  一方で曹爽は、自らの弟たちを抜擢し、政権をうごかしやすくした。  曹羲を中領軍に。  曹訓を武衛将軍に。  曹彦を散騎常侍・侍講に。  さらに自らにむらがる浮華の徒たちを、要職に就任させた。  何晏を尚書に。  鄧飄を尚書に。  李勝を河南尹に。  丁謐を尚書に。  畢軌を司隷校尉に。  彼らは曹叡の時代、いずれも閑職におかれていたものばかりだが、曹爽にしてみれば才知をひけらかし、万事華やかにものごとをうごかす彼らを股肱の臣として、己を飾りたかったのだろう。          ※  一連の魏国における政治形態の変更を、秦朗と徐庶は黙して司馬懿から聞いていた。  「このままでは、せっかくわれらが築いてきた国が……」  「一朝のうちに衰え、滅びるかもしれぬ」  曹叡の死の余韻が消えぬうちに、新しい佞臣が何人もあらわれたのだ。  「大尉……いや太傅、あなただけがわれらの、そして亡き明帝の希望です」  秦朗がいった。司馬懿は目を落として、  「私も六十をこえました。大将軍が執政を行い、浮華の徒たちがやりたい放題の現実を是正できるかどうか、自信は正直ありません」  とつぶやいた。  「これは秘中の秘ですが」  徐庶が切り出した。  「明帝は幼帝に皇帝たる資質なきときは、太傅にとってかわれといわれました」  「……」  つぎは秦朗がそれを補足した。  「幼帝は賢愚が定かではありませんが、大将軍はあきらかに政治を放恣しており、彼と浮華の徒を排除して太傅が政権を奪い返すのです」  徐庶がうなずく。司馬懿は二人の目をみた。  「今の私、そして私の一族は大将軍から狐疑されています。私兵は取り上げられ、すぐにそれを実行するのは……」  「時を待ちましょう」  秦朗が司馬懿をはげます。  「天が、太傅に明帝の遺命を実行させようとするのであれば、太傅に寿命を与えられるでしょう。  私と徐庶どのも同様です。時を待たず大将軍たちの政治は腐敗し、民心は離れるとぞんじます。  雌伏の時を過ごし、大将軍の一派を一網打尽にするのです」  司馬懿は、諦観の情がにわかにうすれ、秦朗と徐庶のことばを信じてみようという気になってきた。  「わかりました。お二人がついていてくれて、そういってくださるのであれば、私も天命を信じてみます。  私の命が尽きたとしても、師や昭たちがそれを受け継いでくれるでしょう」  師と昭、とは司馬懿の長男の司馬師と司馬昭のことである。  司馬懿が帰宅し、徐庶が敷地内の自宅に帰った後、秦朗は曹叡のことを思っていた。  「私は陛下の一代限りの佞臣であると申し上げましたが、もう少し働かせてください。  太傅が浮華の徒たちを一掃し、曹氏という血筋に関係なく清廉な政治を行い、中華に安寧をもたらすことができるまで、まだ時が必要なようです」  佞臣が、あらたな佞臣を駆逐する。  それは天が望む正義なのか。  司馬懿とその息子たちならば、それができるはずである。  秦朗は昏くなってきた部屋に灯された蝋燭の火をそっと消し、そこから出てゆくのであった。                   終
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