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諸葛亮
三
蜀軍は解散したなどと楽観論に染まっていた魏の朝廷は、蜀軍の挑戦に騒然となった。
中原から北部にかけて十二州を有している大国・魏に益州ひとつしか有していない蜀が戦を挑んできたのである。
当然情報は錯綜し、その整理に秦朗は追われた。
総合すると蜀軍は斜谷を出て、郿を攻略しようとしている情報は一致していた。
曹叡は大将軍の曹真を討伐軍の大将に任じた。適切な人事だといっていい。
「ま、まだ確定した情報がない中ではあるが、だ、大将軍は郿にあらわれた蜀軍に冷静に対応してもらいたい」
曹真はかしこまって出陣していった。
それから八日。
「郿からは何の報告もありません……」
秦朗が西方の情報を分析した結果を曹叡にもってきた。
曹叡は軍事に関してはさほど迷いなく指示を出す人ではあるものの、この不気味な沈黙には熟考を重ねているようであった。
やがて、蜀軍は郿を攻めるそぶりをしながら、まだ漢中郡を出ていないという書状が曹真から届いた。
「ま、まさかとは思うが」
曹叡はめずらしく蒼白になった顔を秦朗に向けた。
「び、郿に向かった蜀軍は陽動隊だったのではないか」
秦朗も、思わず「あ」と小さな驚きの声を上げた。
「だ、大将軍が危ない。ち、朕が自ら長安に親征する。あ、阿蘇もついて来てくれるな」
「もちろんでございます」
曹真が漢中に誘い込まれ、不案内な地理の中で激殺されては国家の一大事である。
曹叡の判断は迅速であった。
しかし、皇帝親征を待たずして凶報が王朝に届いた。
「諸葛亮は祁山を攻撃中。天水、南安、安定の三郡は蜀軍に寝返ったもよう」
群臣はその知らせに大いに動揺し、震撼した。秦朗は唇を噛んだ。
(してやられたか……)
曹叡と秦朗の想定以上の策を諸葛亮はもっていたということだ。蜀軍は郿より西から主力が現れ、おそらく三郡に誘いをかけており寝返らせたのである。
曹叡はさすがで、群臣に向けてこういった。
「し、諸君、よくききたまえ。し、諸葛亮はこれまで山岳地帯を頼りにひきこもっていたのに、今自ら出陣してきたということは、へ、兵法にいう『人をまねく術』をしかけてきたということだ。
し、諸葛亮は三郡を貪り、す、進むことは知っていても退くことは知らない。こ、この機会を利用できれば、彼をたやすく撃破できる」
自然の要害に拠って立てこもる相手を攻略するのは難しいが、要害から出てきてこちらを誘う相手なら、たしかに大勝する好機である。
群臣も、曹叡の戦術眼に改めて感心し落ち着きを見せ始めた。
「そ、そこで親征を行う。ほ、歩兵と騎兵あわせて五万を動員して長安に向かう。そ、総大将は征西車騎将軍(張郃)を任じる」
張郃は、曹操の代から魏に仕えてきた名将である。これも的確な人事といえた。
各将の任命が行われ、その中で、
「驍騎将軍に秦朗を任命する」
と近臣の発表があったとき、秦朗は驚いた。
長安についてきてほしい、と曹叡に頼まれ了解したものの、まさか自分が将軍とは。
「秦朗が将軍だと……」
「また陛下に取り入りおったな」
こそこそ陰口が聞こえたが、秦朗は胸を張って任命を拝受した。
(それでこそ佞臣だ)
陰に曹叡の助力者であっても、秦朗に将軍となるべき実績はまったくない。かつて曹叡は「王候になれば阿蘇に報いたい」と言ってくれた過去があり、それを実践するのが今だと決断したのであろう。
(この戦、負けられぬ)
気負うなと思いつつ、秦朗は身が引き締まる思いであった。
長安に到着した。長安はかつて都が置かれていただけあり、人口も多く魏の西方拠点となっている。
「し、諸葛亮は軍師や政治家としては稀有の才能をもっているが、こ、こと大きな兵を動かすのは初めてではないか」
宮室にひとまず落ち着いた曹叡は、秦朗に訊いた。
「さようです。おそらくですが、先年行った南中討伐が、魏を攻める演習も兼ねていたのかと」
なりほど、と曹叡はお茶を飲み干して、思案している様子だったが、再度秦朗に訊く。
「し、諸葛亮は兵法を誰かに学んだのかな」
「夷陵の戦いで戦死した馬良と諸葛亮は、義兄弟の契りを結んでいたようです。馬良から兵法を学んでいたのでしょう。
馬良の死後は彼の弟の馬謖に兵法を教わっていたのだと推測されます」
曹叡は首をかしげて、
「ば、馬良は『白眉』で有名な賢人であるが、や、やはり弟も賢いのかな」
馬良は若いにもかかわらず眉毛だけが白かった。馬氏の兄弟は皆賢かったが、なかでも長男の馬良が最も才能があったため「白眉」という「できる人たちの中でも最もできる人」という故事にもなった。
「馬謖の戦歴はありません。しかし諸葛亮の寵臣であることは間違いないので、一廉の人物であるとは思われます」
「そ、そうか……ますます油断はならぬな」
曹叡は湯呑を置くと表情を硬くしたように見えた。それを見た秦朗は、
「とはいえ」
とことばをつなぐ。
「孟達のとき、陛下は『諸葛亮は人を見る目がない』という弱点があるかもしれぬ、と仰せになりました。
馬謖も諸葛亮が孟達のように才を買いかぶっているのなら、わかりません」
わずかに目を上げた曹叡は、何かをいい出そうとしてやめるそぶりをしたが、意を決するようにしていった。
「し、諸葛亮は関候を殺したのではないか、と、ち、朕は考えている」
「それは……」
曹叡の推測はこうだ。かつて蜀軍で上庸を守っていた孟達を魏に寝返らせたのは、後日自らが権力を掌握し、魏を攻めるときの先鋒にしようと考えたからではなかったか。
当時蜀軍における劉備に次ぐ権力者は、前将軍で荊州北部を統括していた関羽である。
彼は仮節を与えられていたので軍勢を独断専行で動かすことができ、事実魏の七軍を破り当時の首都・許昌にまで迫る勢いを見せた。
関羽は諸葛亮とむかしからそりが合わず、その人事に不満をもっていたので、荊州軍が中原を占領してしまえば、劉備から独立する危険があった。
関羽が勝ってしまえば、諸葛亮の地位は軽んじられ危ない。そこで諸葛亮に心酔していた孟達を寝返らせ、益州への退路を断ったうえで、兄の諸葛謹を通じて呂蒙に関羽の背後を襲わせ、関羽の逃げ場をなくす策略を実行した。
関羽は戦死し、張飛は呉の刺客に始末させた。劉備はその仇討ちで呉を攻め、その敗北が心因となって病死した。
すべては諸葛亮の計画のもとに進んだ。諸葛亮は丞相として蜀の政治軍事を専制し、「漢の復興」を大義名分に魏を攻めることができるようになった。
「そのお考えは初めて聞かせていただきました。しかし、諸葛亮が関候と張飛を殺してまで自らの手で魏を攻めなくてはならない理由は漢の復興、なのでしょうか。
漢は政治が腐敗し、黄巾の乱で自ら瓦解したのです。そのようなことを知らぬ諸葛亮でもあるまいと思うのですが……」
秦朗は胸の動悸を感じつつ、曹叡に訊いた。
「し、諸葛亮が自らの手で魏を討つ理由は、ふ、復讐よ」
「諸葛亮が、復讐……」
曹叡が内偵させたところ、初平四年(一九三)に曹操が陶謙の部下に父を殺された復讐で徐州を攻めたが、その際怒りから住民の大虐殺を行った。草を刈るがごとく人を殺す曹操軍の兵を、息を殺して見ていたのが当時十二の諸葛亮であった。諸葛亮は徐州の出身なのである。
「し、諸葛亮は、武帝の招きにも応じず、り、劉備に仕えた。劉備が漢の復興を公にとなえはじめたのは、諸葛亮を軍師にしてからだ。お、おそらく諸葛亮に教えられた大義名分が、有効だと知ったのであろう」
諸葛亮の怨念は消えなかった。天下三分の計を実現せしめ、麻のように乱れた中国を暫定的とはいえ安定させた大政治家でも、少年の日の恨みを忘れてなかった。
「では、関候や張飛を殺したという陛下のご推測は……」
「う、うむ。か、関候は『春秋左氏伝』を暗唱されるほど正義にはひたむきな方であった。た、大義を個人的な復讐に優先させることなど、およびもつかぬ人であったのを諸葛亮が知らぬはずはない。
ち、張飛は関羽と義弟の契りを結んでおり、同様であったろう。ふ、二人は劉備のいうことしか聞かぬ。となると、し、諸葛亮が専制できるようになるには、この三人に死んでもらわねばならぬ」
秦朗は青ざめた。たしかに黄初元年(二二〇)前後に蜀の主要武将が次々と死んでいる。
劉備、関羽、張飛、黄忠、馬超、法正、馬良……蜀の王朝は一度に名君臣を主だっただけでも七人も失っているのだ。
「しかし、諸葛亮一人でこのようなことが……」
「こ、こたびの戦で諸葛亮の先鋒に任じられているのは誰だと思う?」
「郿の陽動隊は趙雲、主力は馬謖でございます……」
「こ、この二人よ。し、諸葛亮が蜀の大粛清を行うとき両腕になったのは。ば、馬良は諸葛亮と義兄弟の契りを結んでいたとはいえ、この粛清には反対であったのだろうな。だ、だから消された」
秦朗は諸葛亮の怨念を見た思いがした。たしかに曹操は、徐州で過ちを犯した。それはその土地に住むものにとっては何十年経とうと許すことができないものなのだと気づき、改めて政治の難しさを知った。
逆にいえば曹叡はそういう民草の機微を理解できる君主なので、魏の明るい未来を見た思いもした。
とはいえ、今は祁山を目指して進軍中の諸葛亮の先鋒・馬謖を止めることである。
「そ、そろそろ征西将軍(張郃)が、蜀軍の先鋒と接触するあたりか」
「そのように存じます」
「ば、馬謖が馬良に劣らぬ天才であろうが、征西将軍は百戦錬磨のつわものである。
わ、われらは彼からの捷報を待つだけでよい」
曹叡は秦朗を安心させるようにいった。
※
張郃は曹叡から預かった五万の騎兵と歩兵で西に向かった。
諸葛亮は祁山にとどまったまま兵を動かさず、先方の馬謖が渭水をわたって街亭という土地に陣を張っているという情報が届いた。
(先鋒と主力の距離が離れすぎているな)
張郃は何らかの意図をくみ取ろうとしたが、とくに付近に伏兵の気配もなく、そのまま先鋒の馬謖と対峙した。
「山上に陣を張っているとは本当か?」
物見の報告を受けた張郃は思わず叫んだ。
多くの戦陣を踏んでいる張郃からしても、このような奇形の陣を見たのは初めてである。
しかも兵を分けて山上に布陣しているのではなく、全軍を山上に上げているのである。
(このままであれば、五万の兵で山を包囲し、水源を断てばおのずから勝てる)
張郃はまず、そう思った。しかしである。
(あの諸葛亮が先鋒に抜擢するほどの将だ。何か策があるのかもしれん)
との懸念もあった。
「慎重に塁を築け。守りつつ敵軍が山から突撃してくれば防ぐのだ」
ところが、張郃の心配は杞憂に終わった。
蜀軍は山を下りて攻撃して来ず、山上は静まったままであった。
(馬謖は実戦経験がないと聞いていたが、つまりはこけおどしか)
張郃は自らに訪れた僥倖に感謝する思いであった。
おそらく馬謖は孫子の兵法の「水辺で敵を迎え撃ってはならない」という条項を順守しているのだろう。
翌日には塁が築かれて、守備は万全となった。そして数日のうちに、張郃は山上への水源をすべておさえることに成功した。
(これで、勝った)
とは思った張郃であったが、山上の兵が動かないことに不気味さを感じてはいた。
しかし、水を絶たれた蜀軍はにわかに慌てたような様相を呈し、散発的な攻撃を無秩序に繰り返すようになった。
「よし、敵に策がないのはわかった。全軍で包囲殲滅するぞ!」
もはや老将といっていい張郃だが、存外若々しい声で命令を下した。
東西南北山の全包囲からの攻撃を受け、蜀軍は慌てたが、さすがは諸葛亮が鍛えに鍛えた兵である。山岳戦では粘り強さを見せた。
だが、それにも限界があった。水を絶たれ身体に渇きをおぼえている蜀兵たちは、やがて各方面で崩れた。
日没までに張郃は包囲戦で大いに勝ち、
(このまま馬謖を捕捉できる)
との確信をもった。
ところが、である。
暗闇から「ドン、ドン」と規則正しい太鼓の音が聞こえ、整然とした部隊が近づいてくる気配を濃厚にした。
「山の麓に別動隊の存在を確認。副将の王平だと思われます」
夜中の戦闘で慎重になっていた魏軍を、的確な攻撃で各個撃破してくる。逆に慌てた魏兵を、不気味に響き渡る太鼓の音に合わせた冷静な進退で押し返しつつ、馬謖が率いてきた敗残兵を収容しているので、かなりの規模になっているようだ。
(これが、本来の蜀軍の戦い方か……)
張郃は背筋に寒さを感じた。
「すでに目的は達した。王平の軍は深追いするな」
落ち着き、腰を据えた軍は退却の際にも隙を見せることは少ない。戦場経験豊富な張郃はそのことをよく知っていた。
諸葛亮の主力は、朝になって馬謖を救援しようとしたようであったが、陽動隊の趙雲が寡兵のため曹真に敗れたので、張郃と曹真の挟撃に遭うことを恐れて撤退をはじめた、との報せが張郃に入った。
(勝った……)
敵失による勝利といえる。しかし新皇帝のもとではじめて大きな危機にみまわれた西部戦線で大勝できたのは、魏にとって意義ある戦であった。
※
長安にいる曹叡と秦朗のもとに、張郃が敵先鋒の馬謖に大勝し、諸葛亮率いる主力を撤退せしめたとの急使が到達した。
曹叡は思わず椅子から立ち上がったが、すぐにほっとした表情で腰かけた。
「あ、阿蘇のいうとおりであった。征西将軍を信頼してよかった」
秦朗も笑顔を見せ、
「おめでとうございます」
と戦勝を祝った。
「せ、征西将軍のいうには、馬謖のまずい戦い方で勝てたといっている」
「陛下が『諸葛亮は人を見る目がない』とおっしゃられたとおりになりましたね」
「と、とはいえ……」
曹叡は美しい表情をやや曇らせて、
「し、諸葛亮が二度も失敗するとはおもえぬ。お、王平のような良将が抜擢されるであろうから、次からはこのようにあわてず、迎撃の作戦を整えたい」
といった。一方秦朗には、思うところがあった。
「諸葛亮は緒戦で馬謖の失敗の他に、大きな過ちを犯しています。
それは、子午道を通って長安を急襲しなかったことです。わが方ではまったく備えができていませんでしたから、長安は陥落していたはずなのです。
ところが諸葛亮は、祁山を通って三郡を寝返らせ領土的野心を見せびらかせただけで、肝心の漢の王朝を復興するという大義を掲げられずに終わりました。
これでは、地方に巣食う一勢力の誹りを免れないでしょう」
曹叡はやや愁眉を明るくしたものの、小さな声でいった。
「あ、阿蘇よ。し、諸葛亮が復讐のために馬謖と趙雲を使ったと、以前申したな」
「はい……」
「こ、この敗戦で諸葛亮は二人を必ず消す」
秦朗は、仰天した。
馬謖は敗れたとはいえ俊才で間違いなく諸葛亮の後継者となって蜀の丞相となる逸材である。一度の敗戦で殺すとは、曹操ならばありえない処置だ。
趙雲に至っては陽動作戦の殿軍を自ら完璧にこなし、被害をほとんど出さなかったと曹真から聞いている。
「し、諸葛亮は冷徹な男よ。お、己の失敗を隠蔽するには、過去の陰謀ごと闇に葬ることを考えるはずだ。そ、それにより、彼の専制独裁が完璧なものになる」
曹叡と秦朗が首都の洛陽に帰ったのち、果たして諸葛亮が馬謖を敗戦の罪で処刑したという報せが内偵から届いた。
「なんと馬謖を一度の失敗で処刑とは……」
「諸葛亮の法を遵守することの峻厳さよ」
群臣は、馬謖が諸葛亮の義兄弟の契りを結んでいた馬良の弟であることを知ったあとだったので、
「古今の名宰相でも、このようなことはできぬ……」
と衝撃を受けたようであった。のちに、
「泣いて馬謖を斬る」
という故事になったように、どのような親しいものでも失敗には断固として処断するという諸葛亮は生きながらに神格化された。
そして、ひっそりと蜀の名将・趙雲が死去したという報せも遅れて入ってきた。
(おそるべし、諸葛亮)
秦朗はその行為に、心胆を寒からしめた。
曹叡がいったように、諸葛亮は自らの独裁を確立するために、その手足として働いてくれた馬謖と趙雲を殺した。もっとも、趙雲に関しては年齢が七十前後であったと考えられるので、たまたま病死したのかもしれない。
宮室を訪れると、曹叡は書類の決裁を行っていた手を止めて、
「し、諸葛亮が、やったな」
と悲しげな眼を秦朗に向けた。
「はい……」
「き、き奴の凄まじさよ。こ、これで諸葛亮の過去の謀略を知るものはいなくなった」
「……」
「こ、これからは、諸葛亮の手足となる若き俊英のみが、か、彼の漢中にある幕府を支える。し、蜀はもう一枚岩ぞ」
魏延、王平、馬忠、張翼、張嶷、廖化といった新世代の武将たちである。
西部戦線にそれだけの若き俊英は、魏にはいない。
「だ、大将軍(司馬懿)と、せ、征西車騎将軍(張郃)の二人で、戦ってもらわねばならぬ」
的確な人事であろう。そしていざというときには、曹叡と秦朗も戦線にはせ参じねばならない事態も想定される。
(厳しい戦いになる)
東に割拠する呉の孫権も諸葛亮と連携をとって魏を攻めることも考えられる。
秦朗はまだ見ぬ戦場を想像し、暗澹たる心になったが、
(陛下を心底理解し、守ることができるのは私だけなのだ)
と決意を新たにするのであった。
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