死闘

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死闘

                六  諸葛亮が侵略したのは最初の対決で蜀に寝返った天水郡である。  魏でもはや諸葛亮と五分に戦える将帥は司馬懿しかいない。  荊州に帰還したばかりに司馬懿を召した曹叡は、  「せ、西方に油断ならぬ事態が発生した。  だ、大将軍を措いて任せられる者はおらぬ」  と最大限の信頼を見せた。  司馬懿は表情が豊かな方ではないが、詔勅を受け取ったあと下がるときに、ちらりと秦朗を見て、  「ありがたき仰せにございます。それと万が一私が危機におちいりますれば、驍騎将軍(秦朗)にご加勢いただけますでしょうか」  といった。その表情は軽侮によるものではなく、真剣な表情であったので、秦朗はおや、と感じるものがあった。  「う、うむ。驍騎将軍はどうか」  曹叡の問いに、秦朗は、  「大将軍が国家のために要請されたものです。私ごときでよろしければ、神速で戦場に駆けつけましょう」  と答えた。  「よ、よろしい。そ、それでは頼むぞ、大将軍」  曹叡は司馬懿の意外な要請に軽い驚きを覚えたが、秦朗の毅然とした態度を見て安心した。  「大将軍が、秦朗をいざというときの援軍に要請だと」  「はっ、あの阿蘇に何ができようというのか。ただの佞臣が……」  「大将軍も、陛下への阿りがお上手になられたものよ」  群臣は、司馬懿が曹叡のご機嫌取りに執心だと嘲笑った。  曹叡と秦朗は宮室に戻ると、目を見合わせた。  「だ、大将軍の要請は意外であった……」  「大将軍の家は古くから謹直で、阿りを許すような人格ではないはずです。  おそらく、私と陛下の真の関係に気づいているという表明だったのかと」  「そ、そうか。い、今や魏の中枢を支えているのは、曹家の血筋から離れた者たちだ……大将軍もその覚悟を示した、ということかな」  司馬懿は自宅に帰ると、早速子の司馬師と司馬昭に今回の詔勅について話した。  やはり司馬師と司馬昭が驚いたのは、司馬懿の軍が危機に陥ったときに秦朗を派遣してもらうように要請した点だった。  「父上は、阿蘇を高く買っておられるのですな……」  子どもの頃後宮に出入りして何妟と親しかった司馬師は、秦朗の情報を何妟から聞かされただけなので、やはり戸惑っているようだった。  司馬昭は微笑みをたたえたまま、黙っている。それに気づいた司馬懿は、  「昭よ、汝はわれの思いに気づいておったのか」  と問いかけた。司馬昭は、  「私は秦朗をただの佞臣だと思っておりませんでした。陛下がいくら兵書を読破されておられようと、次々に訪れる兵事にそつなく対応されているのは、何者かにその都度諮問されているのだと考えておりました。  父上のこたびの要請を聞き、腑に落ちた……それだけでございます」  といった。  「うむ。人の噂というものはときに己の目を濁らせる」  司馬懿は司馬師と司馬昭に向けて、  「もはや曹休と曹真が死んだ今となっては、袁煕の子である陛下と秦宜禄の子である秦朗、そしてわれら司馬氏で王朝を運営していかねばならぬ。  陛下と秦朗が善政をしいているからには、こちらも二人の懐に飛び込んで協力するという姿勢を見せた方がよい」  と諭した。  「父上の深慮遠謀、まことに恐れ入りました」  司馬師が納得したように答えると、司馬懿は優しく説いた。  「師よ。汝は韜晦を知り成熟した人柄ではあるが、時には素直に己をさらけだすことも必要ぞ。慎重と大胆、これを使い分けよ。われの後を継ぐのは汝なので、身を慎むのはわかるが、われと昭の前では遠慮はいらぬぞ」  「これは、恐れ入りましてございます」  恐縮する司馬師を司馬昭は変わらず微笑んだまま見つめていた。          ※  司馬懿は司馬師、司馬昭を従えて長安にむかった。主な将校は、  車騎将軍の張郃  後将軍の費曜  征蜀護軍の戴陵  雍州刺史の郭淮  らである。諸葛亮は祁山を雍州攻略の起点としているので、魏平と賈栩という将軍に守備を命じていたが、案の定蜀軍に囲まれてしまった。  長安に到着した司馬懿は、費曜と戴陵に四千の兵を与え、上邽を守らせた。  祁山の東北方面に上邽県と西県があり、そこに諸葛亮が攻撃を仕掛けると読んだのだ。  ちなみに諸葛亮は蜀軍の弱点である兵糧輸送において、「木牛・流馬」という輸送機器を発明した。詳しい全容は現在では明らかになっていないが、一輪車の改良版というものではなかったか。  一輪車は起伏の激しい山岳部でも容易に踏破でき、生きた牛馬より断然輜重の輸送がはかどる。  諸葛亮の妻は客をもてなすとき、饂飩を自動で作る器具を発明したとされており、もしかすると木牛・流馬も賢夫人の助言があったものかもしれない。  司馬懿の元に急報が届いた。  祁山だけでなく、天水郡の守備兵も蜀軍に敗れたという。蜀軍はそのまま東北に進み、上邽に至るということである。  「父上……」  司馬師が不安そうに司馬懿に声をかける。  「なに、上邽には費曜と戴陵を遣っておる。あわてずともよい」  司馬懿は将兵の前で動揺を見せなかったが内心は、  (蜀軍め、あなどりがたし)  と気を引き締めていた。  司馬懿は上邽に向かうべく、軍を進めた。雍を過ぎて、街亭を南下した。あの馬謖を大破した街亭である。  そこで先鋒の張郃から報告が入った。  「費曜と戴陵は蜀軍を迎え撃つべく城外に出て戦い、敗れたとのことです」  司馬懿は舌打ちをした。  (兵力が蜀軍を上回るまで籠城しろといったのに……)  「われはまだ諸将の信頼を勝ち得ておらぬ」  傍らの司馬師と司馬昭に苦々しくいった。  とにかく、緒戦で司馬懿の戦略がつまづいたことは確かであり、勝ちに乗じた蜀軍を迎え撃つことになるのは不利であった。  だが、蜀軍は渭水を越えず軍を停止しているという。  「上邽で麦を刈っているだと?」  続報を聞いた司馬懿は驚いた。蜀軍の最大の不安要素は糧食であり、それを現地調達すると同時に、魏軍の糧食を枯れさせようとしているのであろう。  (孔明……やるようになった)  諸将の動揺をおさえるために、司馬懿は、  「諸葛亮は戦の前に考えすぎ、決断ができぬ将よ。営所を固く作ってから麦を刈りはじめた。わが軍は昼夜兼行で二日間急げば、対決に必ず間に合う」  と断言した。  (とはいえ……)  現実は上邽で動かない蜀軍と戦うには、渭水を越えねばならず、渡河中に蜀軍に襲われるか、うまく渡河できても渭水を背水の陣として魏軍は戦わねばならない。  ともあれ二日間の昼夜兼行を続けた魏軍は、いきなり上邽の東で蜀軍の猛攻を受けた。  諸葛亮は、司馬懿が強行軍を発し、戦場に着いた疲れが取れぬところを強襲したのである。そこには先日司馬懿が「あれこれ考えすぎる」と酷評した優柔不断の影もなかった。  (つまり諸葛亮は、自信をもったということか)  司馬懿は胸騒ぎをおぼえた。  魏軍は疲れもあり、待ち構えていた蜀軍に押され気味となった。  先鋒の張郃はさすがに百戦錬磨の将軍だけあって、容易に崩れそうもなかった。それを見た司馬懿は本陣を前進させた。  諸葛亮は本陣をいつも後方に下げているので、司馬懿の本陣が前進したことに気づかぬまま夜になった。  「よし、いまから後方に長大な営塁を作るぞ」  このまま無策で夜が明けてしまえば、蜀軍の騎兵に本陣の背後に回り込まれ、挟撃されてしまう。  司馬懿は前軍を動いていないように見せかけ、後軍に営塁を築かせることにした。  夜を徹しての作業が続けられた。  「父上、決戦は避けられるのですか」  司馬師が作業の指揮を執っている司馬懿のもとにやってきた。  「うむ。このままでは川を背に戦わねばならぬわが軍は敗れる。いいたくはないが、蜀軍の強さを図り損ねていた」  「私も掘ります」  司馬昭も兵たちに交じって作業をはじめた。  一夜明けて、期待した以上の営塁が完成した。馬が飛び越えられる高さではないので、ひとまずここに籠れば、蜀軍の鋭鋒を避けられる。  「よし……師と昭はここに残り、塹壕を掘り続けよ。柵を立てられるように準備もしておけ。  われは無事全軍をここへ撤退できるように、まずは蜀軍と一戦を交えてくる」  司馬懿は夜を徹しての作業で疲れてはいたが、気力までは萎えていなかった。  翌日の戦闘も激戦になった。  張郃が巧みな指揮で前線の崩れを防いでいるが、蜀軍の優勢は変わらない。  その間も司馬師と司馬昭が残っている営塁では塹壕と柵の組み立てが着々とおこなわれていた。  諸葛亮は塁営の存在を知らない。また魏軍に新たな援軍が来ないらしいことから、司馬懿が撤退すると考えたであろう。  このまま戦闘を続ければ、蜀軍が初めて戦場で魏軍に大勝することができるからである。  翌日の夜明け、  「営塁まで撤退するぞ!」  と司馬懿は全軍に命令を下した。魏軍に策は尽きたと感じていた蜀軍はためらわず追撃を開始した。  ところが、である。  川の前に至って、蜀軍を大量の矢が空中から襲った。  濛々とした砂塵から突如数千もの矢が降ってきたのだから、蜀軍の追撃は止まった。  目の前に現れたのは、長大な営塁である。  そこに張郃と司馬懿の軍は逃げ込み、守備体制を取った。  果たして戦場は膠着状態に陥った。司馬師と司馬昭の作った塁営は、それだけ短期間の工事でも堅牢であったからだ。  塁営は高地を利用しているとはいえ、まだ万全ではない。  (今日一日蜀軍をしのぎきれば……)  決戦を避け、一ヶ月単位の防御戦に持ち込める。  「攻め寄せてくるぞ!矢を放て!壁が崩れたら補修しつつ戦うぞ」  司馬懿はめずらしく、陣頭に立って指揮した。一方の蜀軍も今日この塁を崩さなければ、夜のうちにさらに堅固な工事を行われることを知っているので、騎兵と歩兵が交互に熾烈な攻撃を続けた。  魏軍にとって幸運だったのは、諸葛亮が陳倉を攻撃したときに用いた攻城兵器を帯同してこなかったことである。平地戦では無用と考えたのであろう。  蜀軍からの矢を盾で守られつつ督戦を行う司馬懿に、魏軍は意気を感じたように奮戦した。やがて、日が陰り夜になって蜀軍は塁営から撤退していった。  (陛下に秦朗を派遣してもらおうか)  司馬懿は蜀軍の猛攻にさらされて、何度か約束のことを思い出した。  (いや……)  秦朗なら数万の兵を連れて増援に来てくれるだろう。塁営を高くし、塹壕を掘り、柵を堅牢にすれば蜀軍を防ぐことはたやすく、その攻め疲れを狙って反撃することもできるだろう。それでもだ。  (まだ、決定的な局面ではない。ここはわれの力量が試されている)  司馬懿は甘い誘惑を断ち切った。 曹家以外での清新な王朝の運営。 魏がそのように変容するのなら、参画し中華の一統を見てみたい。 夜が明けると司馬親子や将軍の張郃たちまでもが工事に加わった塁営はさらに重厚さを増していた。 それでも諸葛亮は、攻撃の手を緩めることはしなかった。この一戦で大勝すれば司馬懿と張郃を捕斬することができる。そうすれば、魏の最高の将はいなくなり、一気に長安まで陥落させることが容易くなるからだ。 「父上、兵糧は三十日を切りました」 司馬師が兵站の状況を報告に来た。 冀県から搬入される予定の兵糧は、三十日分すなわち合計六十日は防御態勢で抗戦できる。地の利を活かせば兵糧の心配はいらないが、心配すべきは兵糧の搬入時を蜀軍に襲われることである。 「冀県からの輜重はもうすぐわが陣に到達するぞ。これから蜀軍に攻撃をしかける」 司馬懿のもと一丸となっている魏軍は、塁営の柵から出た。蜀軍は少々面食らったものの、間をおかず激しい戦闘が始まった。 輜重が無事塁営に運び込まれたとの情報が入ると、魏軍は撤退し再び籠城の態勢をとった。 (これで、六十日……) 司馬懿は兵を飢えさせる心配を排除できた。しかし諸葛亮は木牛・流馬という糧食の輸送兵器で難なく長期戦に応じる姿勢であろう。 (さすがは、孔明) 司馬懿の戦歴でこれほどの強敵に対したことはないだけに、心はまだ重かった。 戦いは長期戦になりつつあった。 一ヶ月も両陣営はにらみ合いを続けている。 「だ、大将軍(司馬懿)は苦戦しておるようだな」 洛陽の曹叡にも司馬懿の戦いぶりは、情報として届いている。 「諸葛亮は自ら兵を訓練して、強兵に育てているようです。大将軍は兵を育てるという思想はないようですので、総大将から兵卒までの連動の差が出ているのでしょう」 秦朗は私情を交えず、そう評価した。 「そ、それで蜀兵はあのように強いのか」 「はい」 曹叡はしばし考え込んでいたが、それを察した秦朗が、 「私が援軍として上邽に参りましょうか」 と提案した。曹叡は首を振って、 「い、いや……だ、大将軍は阿蘇を援軍に呼ぶときは自ら要請するといった。ま、まだ要請がないかぎりは、こちらも動くまい」 と力なくいった。 「しかし、大将軍は自ら兵を鍛えずとも、諸葛亮という強敵と戦ううちに、兵を鍛え、自らも軍を手足のごとく使えるように成長するでしょう。苦難は人を変えます」 秦朗の明るい発言に、 「はは、あ、阿蘇はいつも朕を助けてくれる。そ、そうだな、諸葛亮と五分にわたりあっている大将軍も強くなっておるか」 と曹叡は少し心もちを軽くした。 司馬懿と諸葛亮の戦闘は膠着状態を続け、さらに半月が経過した。 「蜀軍が撤退しはじめました!」 疲労困憊の司馬懿のもとに、物見からの報告がはいった。 「なんだと……」 司馬懿は望楼に登って、蜀軍が撤退してゆくさまを視認した。 「父上、なにゆえ戦況有利な蜀軍が撤退を……」 司馬師が望楼から降りてきた司馬懿に訊く。 「まさか、わが軍をおびきだす策では」 司馬昭も蜀軍の動きに疑心暗鬼である。 「それよ。その可能性があるかぎりは、こちらとて軽々しくは動けぬ」 司馬懿はそういいながら、あらゆる可能性を想定していた。 「撤退の状況は?」 「はい、ゆるやかな撤退であります」 (ふうむ……) 司馬懿を誘い出すにしては、慎重な軍事行軍である。もしかすると蜀の首都・成都で、何か起こったのかもしれない。 「翌朝から蜀軍を追撃するぞ」 夜、眠りながら司馬懿は今回の戦いが、自分の想定するようにいかなかったことを悔いていた。 上邽で費曜と郭淮が諸葛亮に戦いを挑んで負け、塁営を築いて防戦一方だった二カ月である。 翌朝から魏軍は蜀軍と距離を取りながらそろそろと後を追った。 張郃が、 「蜀軍は遠征してわが軍と戦っているため、短期決戦を望みましたが、わが軍がそれに応じなかったので祁山に籠っている兵を合わせて長期戦に応じようとしています。 ここで戦況を有利にするには、私が兵を率い蜀軍の後ろに回り込むという策はどうでしょう」 司馬懿はその策に乗ってみたい自分がいたが、万が一ここで負けるとここまでの奮戦が無駄になる。 張郃の策は丁寧に退けた。あくまで負けない戦いに徹したのである。 諸葛亮はそれを見抜いたように、軍を止めてすばやく布陣し、魏軍に攻撃を加えた。 司馬懿はまたも営塁を築き、塹壕を掘り、柵を立てて防御の態勢を取った。 ふたたび場所を変えて膠着状態が続いた。 「公が諸葛亮をおそれること、虎のごとし。天下の笑いものになります」 麾下の魏平と賈栩などは、慎重な戦に耐えられず、戦わせてほしいと志願した。 「父上……」 司馬師と司馬昭が心配そうに司馬懿の決断を見守っている。 (今、戦えば負ける) 司馬懿は蜀軍の脅威を実感しているだけに、結果を予見できている。 「父上、兵をお出しになられますか?」 司馬師と司馬昭が訊くと、 「張郃が、うしろで諸将を焚きつけておる」 と司馬懿は苦々しげにいった。 「車騎将軍が……」 「奴は武帝(曹操)の時代から前線で戦っておる。ゆえに陛下と秦朗、われのような曹家以外のものが権力を握るのを是としておらぬ」 「……」 「戦場では視野が広い男と思うておったが、所詮武人でしかなかったということよ。で、今回はあえて彼らに戦わせてやろうと思う」 司馬師が反対する。 「それは……今の蜀軍に勝つのは至難の業かと」 「だから負けさせるのだ。張郃の敗北は陛下のもとにも届く。われらの戦が最善だということを、き奴らに証明してもらう」 祁山を包囲しているのは、街亭の戦いで馬謖の副将だった王平である。張郃にこれを攻めさせ、司馬懿直属の魏平と賈栩には諸葛亮の本営を攻めさせる。 蜀軍が前に出してきたのは、魏延・高翔・呉班である。いずれも猛将で、とくに魏延は関羽や曹仁、張遼亡きあとは天下一の将軍といっていい。 魏延はかねてから諸葛亮の慎重すぎる戦い方を批判しており、立場としては魏の張郃に近い。さらにいえば、諸葛亮と司馬懿の戦い方は相似しているがゆえに互角なのだといっていい。 自らの戦いがやっとできると意気込んだ魏延の猛攻は凄まじかった。魏延は自ら兵を訓練し有機的な連動ができるようにまで練度をあげているので、魏延の軍はまさに魏軍を鎧袖一擲の態で打ち負かしてゆく。 呉班も劉備が陸遜に敗れた夷陵の戦いの序盤では水軍で快進撃を続けていたほどの将なので、その勢いは魏延の軍に引けを取らない。 魏軍の本隊はあっというまに崩れに崩れた。 (このへんでよかろう) 司馬懿は撤退の命令を下した。張郃は祁山の王平を攻撃していたのだが、本隊があっという間に敗北したことに驚き、撤退した。 司馬懿が援軍を出してくれぬことには大いに不満であったが、今回の出撃を使嗾したのは自分である。 (司馬懿め、見抜いたか) と恨みごとをいいたくなったが、同調した諸将があまりに弱いのでそれを飲み込んだ。 魏平と賈栩が慙愧にまみれた顔で本営に顔を出すと、 「日頃の大言壮語はどうした。これからは気を引き締めて事に当たれ」 と司馬懿は無用な批判を避けた。問題は張郃である。 「ただいま帰陣いたしました」 張郃が目に怒りをともした表情で、暗に援軍を送らぬ司馬懿を批判したが、 「ご苦労」 と司馬懿は一瞥したのみで奥に下がっていった。 「この度の合戦で、諸葛亮と直接対決すれば負けることがわかった」 と奥に控えている司馬師と司馬昭にいった。 「無念です」 と頭を垂れた司馬師と対照的に、司馬昭は、 「車騎将軍はどのようにいたしましょう。刺客をつかいましょうか」 と平然と訊いてきた。司馬師はぎょっとしたが、司馬懿は驚かず、 「昭よ、おぬしも腹芸を身につけよ。張郃の始末は考えてある」 と答えた。司馬師は跡取りであるから王道を学ばせ、その弟の司馬昭には謀略で司馬師を補佐するように教育している。 魏軍が失った兵は約三千、鎧は約五千、弩は約三千だった。 司馬懿は再び営塁に籠り、長期戦の様相を呈してきた。春から上邽ではじまった対決は、秋になり、雨が降り始めた。 洛陽では、曹叡が司馬懿からの敗報を受け取っていた。 「だ、大将軍は苦戦しておるようだな」 書状を秦朗に渡して閲覧させると、秦朗は、 「大将軍は負け続けていますが、陣は前進させています。いいかえれば、負けない戦いを続けているということです」 と意外な分析をした。 「な、なるほど。そ、そのような見方もできるな」 と感心してみせ、もう一通の密書も手渡した。 「車騎将軍が大将軍にとってかわろうという野心をもっているとは意外でした」 「し、車騎将軍は武帝の頃からの臣よ。だ、大将軍の慎重な戦い方に不満なのであろう。そ、それと……」 「やはり陛下と私、大将軍が曹家の血筋ではないのが不満だと」 曹叡は無表情でうなずいた。 「大将軍は何と?」 「し、車騎将軍はうまく始末する、と書いてある。な、なるべく波風を立てないようにしてもらいたいが……」 張郃は創業の功臣である。その粛清はどの時代でも起こっているが、曹叡はその点、皇帝として優しすぎるということであろう。 一方司馬懿は、悲壮な覚悟の中にいた。 雨は相変わらず降り止まない。しかも蜀軍の士気は旺盛であり、味方の中に副将の張郃という不平分子までいる。 いたずらに日々は過ぎてゆく。 ある日、運命の転換点は突然に訪れた。 「蜀軍が撤退してゆくとは本当か!」 司馬懿は思わず声をあげた。 おそらく長雨で、険阻な蜀軍の糧道が崩れふさがれたか、糧食が尽きたのである。 (元候が我らをお守りくださったのか) 元候すなわち曹真は四道から蜀本土への討伐を実行したことがあったが、長雨で結局撤退せざるを得なかった。 曹真はその雨にあたり命を失ったが、今度は魏軍の窮地をその長雨が救ったのである。 「こたびの蜀軍の撤退に策などない。これから営内を出て追撃するぞ」 諸将の表情にも明るさと活気がもどった。 ただ一人張郃を除いては。 「兵法では窮鼠猫を噛むので退路は開けておいた方がよく、撤退する軍を追うのは危険です」 水をうったようにその場が静かになった。 「どういうことだ、車騎将軍」 司馬懿は冷たい目を向けて、張郃に訊いた。 「ですから、わが軍の目的は天水郡の騒擾を鎮め、祁山の包囲を解くことにありました。もう目的は達したということです」 張郃は悪びれず答えた。 「張将軍、おことばですが、去る者を追うのも兵法の常道かと思われます。 負けたままで帰ったのでは武士の名折れ。私とともに諸葛亮を追いましょう」 意気込んで張郃に奮起を促したのは、郭淮であった。彼は漢中攻防戦で夏侯淵が戦死したとき以来張郃の信奉者である。 (ふむ……郭淮がいうのならやってみるか) たしかに負けたまま帰朝すれば大将軍の司馬懿だけでなく、次席の張郃の株も下がる。 「やってくれるかな、車騎将軍」 司馬懿が改めて張郃に追撃を依頼し、張郃と郭淮はそれを了承した。 蜀軍を追撃するのは先陣が張郃、続いて郭淮である。一斉に退却する蜀軍に、 (伏兵があるのではないか?) と訝しんだ張郃であったが、勇気を出して蜀軍を追った。戦場の空気に触れ続けた張郃は老将とはいえ獅子奮迅の働きをし、木門というところで蜀兵の伏兵に遭ってもそれを撃破した。 「伏兵はここまでかっ!」 張郃がさらに進んだところで谷にさしかかり、瞬時で視界が矢で遮られた。 諸葛亮の狙いは木門の谷間に追撃軍を誘導することだったのだ。 「いかん、引くぞ!」 張郃は声を上げたが、後軍の郭淮が戦陣に混じり張郃の軍を引き返させない。 「おのれ、郭淮……図ったか!」 乱れ飛ぶ矢が張郃の膝に当たった。激痛で馬から転げ落ちた張郃の視界が急に暗くなってゆく。 (くそ、毒矢か……) 「車騎将軍が倒れたぞ!軍を返せ」 郭淮は息絶えた張郃を戸板に載せて撤退の合図を下した。 「張郃が死んだそうです」 司馬昭は前線からの通報を受け取って、司馬懿に知らせた。 「郭淮な……よくやってくれた」 司馬懿は満足そうに面を上げた。年老いた張郃に代わって、西部戦線の前線指令官になってほしいと曹叡は望んでいると告げると、郭淮は喜色満面で張郃への裏切りに同意した。 のちに郭淮は雍州刺史として異民族から「神明のごとし」と称えられる手腕を発揮することになる。 司馬懿は全軍を停止させ、帰還の途についた。張郃を失ったものの、ともかくは勝ちのかたちで凱旋できたので、まさに粘り強い司馬懿の戦い方は秀逸であった。 曹叡は司馬懿の復命を受け、諸将に褒詞をさずけた。張郃には、過去の戦歴を嘉して「壮候」と追号した。 改めて司馬懿は曹叡に宮室に呼ばれ、くわしい戦況を話した。もちろんその側には秦朗もいる。 「と、ともかく、あの蜀軍をよく退けてくれた」 「もったいなきおことばでございます」 ひととおりの挨拶が終わったところで、秦朗が口を開いた。 「ところで大将軍は、いつから陛下と私のつながりに気づいておられたのでしょう?」 「そう……」 司馬懿は大きくため息をつくような声をした。 「孫権を撃退し、諸葛亮と最初の戦いをしたころには確信しておりました。驍騎将軍はただの佞臣ではなく、陽に影に陛下の政をお助けしていると。 政治には多面性が要るものと心得ますが、陛下お一人の善政とは思えず、誰かがそれに厚みを加えていると感じたのです」 曹叡は少し身を乗り出して、 「で、ではそれを知ったうえで、だ、大将軍の望みはあるのかな?」 と司馬懿に訊いた。 「私にも野心はあります。軍事の権をお任せいただくことで、陛下と驍騎将軍の治世に貢献したいと存じます」 曹叡は、笑った。 「は、はは。ぐ、軍事の権を任せるも何も、だ、大将軍以外に誰をその地位に就かせることができようか。ち、朕は公平に見て大将軍は、国家の柱石であると認めておる」 司馬懿は、思わずその場に平伏した。 「私めがおりますれば、誓って陛下と驍騎将軍に武具をお着せすることはございません」 秦朗が駆け寄り、 「どうか、お顔をお上げください」 と司馬懿を助け起こし、席に着かせた。 「今日は、もう一人お会いしてほしい方がおりまして。どうぞ」 秦朗の合図で、痩せた隙のない男が部屋に一礼して入ってきた。年頃は司馬懿と同世代と見える。 「御史中丞……」 御史中丞は名を徐庶、字を元直といい諸葛亮とは若い頃からの親友である。 「大将軍、このような場所でお目にかかれるとは思いませんでした。陛下のお志に同調してくだされて、嬉しく思います」 きびきびと一礼する姿は心地よい。聞けば官途に就く前は檄剣の名手であったという。 「か、郭淮に話をつけてくれたのは、ぎ、御史中丞なのだ」 曹叡は意外なことをいった。 「さようでございましたか……」 「雍州刺史(郭淮)は西方で実績を積み重ねたお方……それを政争の具に使おうとする壮候(張郃)に嫌気がさしていたのです。 また壮候は孔明(諸葛亮)にとって馬謖の仇、双方の利害が一致したのです」 司馬懿は驚いて、 「御史中丞は諸葛亮とも話ができるのですか?」 と訊いた。秦朗が徐庶に代わって答える。 「御史中丞は蜀の間諜もつとめておられました。しかし、雍州刺史が壮候を嫌悪したように、彼も諸葛亮が恐ろしくなったのです」 「それは……」 「はい。もともと私は蜀の劉備に仕えており、武帝との戦の最中母が捕らえられたので、それをご縁と感じ、魏に仕えるようになりました。孔明とは荊州で書生をしていた頃から気が合い、家族付き合いをしてきました。 仕える君主が変わっても手紙のやり取りは続き……気が付けば孔明に利用されている自分がそこにいたのです」 「……」 「天下三分の計、丞相としての専制政治。友人のためと思って流していた情報や意見は、孔明の復讐の具になっていました。徐州での武帝の虐殺に対する復讐です。幼い頃、孔明は徐州に住んでおりましたから。 今私が望むのは中華の静謐です。個人の復讐ではありません。それで驍騎将軍にお声がけさせてもらい、微力ながら蜀の情報も陛下に直接お伝えしているというわけです」 (二重間諜というわけか) 司馬懿は曹叡の情報源が意外と多いことに驚いていた。 「と、ところで蜀軍が急に撤兵した理由を、だ、大将軍は知っておるか?」 曹叡は司馬懿を信用したらしく、極秘情報を伝達するらしい。 「いえ……糧食が長雨で運搬が不可能になったのかと」 「どうやら、漢中の李厳が謀反を起こしたようです」 徐庶が書簡を眺めながらいった。 「なんと。李厳といえば標騎将軍で、諸葛亮の片腕ではないですか」 「しかも、謀反というのは諸葛亮にではなく、劉禅に対してということで」 「くわしく聞かせていただけるか」 先帝の劉備が亡くなる際、後事を託す病室に呼ばれたのは諸葛亮と李厳であった。 劉備は諸葛亮に、 「もし皇太子(劉禅)にその才なくば、卿が取って代われ」 と遺言した。諸葛亮がうなずいたのを李厳は見逃さなかった。 李厳はことあるごとに、諸葛亮に王位に登り劉備の遺言を実践するようにすすめていた。劉禅は暗愚ではないものの、平凡な皇帝であった。 李厳は諸葛亮の才能に傾倒していたからである。なかなか首をたてにふらない諸葛亮に焦った李厳は、諸葛亮と司馬懿が対陣中、漢中で兵を挙げた。 既成事実を作ってしまえば、あとは諸葛亮を迎えて帝位に就かせるだけである。しかし諸葛亮はその行動に激怒し、急いで軍を漢中に返し李厳を問い詰め、挙句の果てには辺境の梓潼郡に流刑にしたという。 「なぜ諸葛亮は李厳の謀反に乗らなかったのでしょう」 秦朗が疑問を呈すると、徐庶が、 「孔明はむかしから、自らを管仲と楽毅になぞらえておりました。彼らは自ら王位に登らず、王佐の才を発揮し伝説になった偉人です。 考えてもごらんなさい。孔明は現状で皇帝に匹敵する独裁権を有しております。いたずらに簒奪の汚名を着せられることに、彼の美学が穢されたと思ったのでしょう」 と説明した。 「私利私欲がないとなると、我々はとんでもない怪物と戦わねばならぬ、ということですな」 司馬懿のことばに一同は戦慄せざるをえなかった。相手の諸葛亮は理想と復讐に凝り固まった観念の獣である。 「蜀を内側から崩す策は、ありませんか?」 秦朗の問いに徐庶は、 「難しいでしょう。魏延が孔明の戦術を批判しているようですが、まわりに同調者がおらず、劉備に取り立ててもらった恩もあり、裏切りには踏み切らないでしょう」 と目を落としたままいった。 「ぎ、魏延も壮候(張郃)と同じ運命よ」 曹叡が確信をもった声でいった。 政権の不平分子は、何かのきっかけで消される。いわんや諸葛亮は敗戦の罪を馬謖になすりつけることも厭わない人なので、魏延の始末も想定済みなのであろう。 「孔明は次戦うときは、決戦を挑んできます。こたびの戦役で勝利の確信をもったようです。大将軍におかれましては、対処の策はお持ちですか」 徐庶の質問に、司馬懿は苦々しげに、 「ありません。私には私兵がおりませんので、兵を訓練し成長させる術がないのです。 これからも強くなる諸葛亮の兵と戦って打ち負かすことは不可ということです」 といった。すると曹叡は立ち上がって、 「だ、大将軍は、蜀軍を防御することで勝たせなければよい。ぎ、驍騎将軍も必要とあらば、戦線に投入する」 と励ました。秦朗も、 「もちろんでございます」 と立ち上がった。司馬懿と徐庶も立ち上がる。 「て、天下静謐のために。し、諸葛亮とて人間だ。神ではあるまい。い、一丸となってはじき返してくれようぞ」 「応!」 司馬懿は孤独な戦を続けていると感じていた戦場からかけ離れた場所で、同志に励まされ心強さをおぼえた。 (負けぬぞ、諸葛亮) きたるべき決戦に向けて、司馬懿は闘志をあらたにするのであった。
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