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別離
九
楊祚が襄平城の東門の守備を放棄して降伏したので、東門は開け放たれた。
ついに魏の大軍が城内に流れ込み、守備兵との白兵戦が激しく展開された。
「公孫淵から、降伏の使者だと?」
司馬懿は彼にしてはめずらしく目を怒らせた。相国の王建と御史大夫の柳甫がその使者である。
公孫淵は先日の天体の異常を観ていらだちをかくせなくなり、物や人に当たり散らしては鬱々と寝室に籠もるようになった。
その結果が二人の使者に降伏をゆるせと乞わせるものである。
「城の包囲を解けば、自らを縛り降伏するであろう」
この期に及んで公孫淵の降伏文書が傲慢の誹りをまぬがれぬとみた司馬懿は、
「今さら何を乞うか。慇懃無礼とはこのことであろう。この二人の使者を斬れ」
とあえて残酷な回答をした。そして、
「公孫淵はなぜ彼らが斬られたか理解できぬであろう。今やわが魏軍は遼東の降伏を受け入れる側の上位であり、公孫淵は魏の遼東太守に過ぎぬ。なぜ辞を低くして古の儀礼を守らぬ。
おそらく斬った二人の使者は老人であったので公孫淵の真意を伝えそこねたのであろう。
若く賢い使者で礼にのっとって降伏を乞うべし」
と城内に文書を届けさせた。
公孫淵の顔面は蒼白であり、身はわなわなと震え続けている。
若い侍中の衛演を呼びつけ、
「よいか、人質は出す。司馬懿の機嫌を損ねるではないぞ」
と再び使者として送り出した。
しかし公孫淵はまったく司馬懿の降伏条件を理解していなかった。「古の降伏儀礼」とは自らを縄で縛り、棺を用意して命と引き換えに領民の命を守るということである。それができていれば、あるいは公孫淵の命は助けられたかもしれない。しかし、彼は己の身を守ることに汲々として、領民や家臣の扱いを放擲した。
司馬懿は公孫淵の狭量と無教養を冷笑し、衛演に向かって、
「よいか、軍事には五つの要がある。充分な兵がいれば攻撃する。攻撃できなければ守備をする。守備できねば逃走する……残りの二つはわかるか?」
と問うた。
「ぞ、存じませぬ……」
「愚か者!降伏と戦死だ。公孫淵が自らを縛り降伏に出てこないということは、戦死を覚悟したものとみなす。人質なぞいらぬ。
よくつたえるのだぞ」
「潔く戦って死ね」ということである。
「余を愚弄しおって……」
衛演が帰城後、降伏が許されなかった公孫淵は、まだ燕王きどりであった。
彼を見守る百官も、どこか滑稽でうすら寒さを感じていた。
翌日から魏軍の大攻勢が再び始まった。数日が過ぎて襄平城の兵糧はなくなり、兵たちがあちこちで魏軍に投降をはじめた。
公孫淵は息子の公孫脩を連れて、数百騎で包囲を突破し東南に向けて逃走した。
海から孫権のいる呉を頼ろうとしたのかもしれない。
そのことは、すでに投降していた楊祚からきかされていた司馬懿である。すでに待機させていた兵との交戦となり、あっけなく公孫淵と公孫脩は捕縛された。
その地は半月前、大流星群の墜ちた場所であった。
遼東の冬は早く、厳しい寒気の中、司馬懿の前に引きずり出された公孫淵と公孫脩は、
「地面にじかにすわらされると寒く痛い。席を用意してくれぬか」
と懇願した。司馬懿は目を上げると、
「なんじらの首は、胴を離れて何百里も都に旅立つのだ。なぜ席が要る」
と低い声でいった。
公孫淵は全身の血がいっせいにひくのを感じた。そのことばは父の公孫康が袁煕と袁尚を斬ったときに訊いたものとして、数知れず自慢されていたからである。
(因果が我が身におよんだ……)
頼るものを裏切りつづけて繁栄をむさぼってきた遼東王国の断末魔であった。
襄平城を制圧した司馬懿の戦後処理は、容赦ないものとなった。
遼東の高官はすべて殺戮。軍の将士も公孫淵に深く関わったものは死刑。さらに住民で十五歳以上の男子はすべて殺した。
約一万人の屍体は、京観という凱旋門として積み上げてさらされた。
※
公孫淵父子の首級が洛陽に届いたとき、曹叡は上機嫌であった。
「り、遼東平定は、古今稀なる大功績である」
と司馬懿からの使者に繰り返し述べ、褒詞および贈封を約束した。
「古今稀なる」と曹叡はいったが、それはそうであろう。軍事では功績を残せなかった父曹丕はもとより、祖父曹操でさえ従わせることができなかった遼東政権を魏の版図に加えることができたのだ。
感慨深そうに公孫淵の首級を眺める曹叡に、秦朗が使者から聞いたことばとして、曹叡の実父である袁煕の最期とおなじことばを司馬懿は公孫淵に告げたといった。
「大尉(司馬懿)は、都で征伐に加わることができなかった陛下のご無念を、かわりに晴らしてくださったのでしょう」
そして、当時袁煕と袁尚に従って遼東に逃げた者から袁煕落命の地を比定し、ささやかではあるが寒さに耐えうる鎮魂碑をつくったという。
「その村の住民たちに謝礼を渡し、四季には鎮魂碑の歳事を任せたと書簡にはありました」
「……」
曹叡のまぶたにみるみる涙があふれた。その涙を拭おうしないまま、
「た、大尉は遼東の民だけではなく、ち、朕が患っていた心をも解放してくれた。
ま、まさに国家の大柱としてふさわしい働きであった」
と秦朗の手をとってさけぶようにいった。
「陛下のお慶び、私もまことに嬉しゅうございます」
「そ、そうだ。襄平の戦後処理が済み、人心が安定したら、り、遼東へゆこう。あ、阿蘇と御史中丞も一緒に。
わが国の東端は異国にも接する。豊かな土地にして実父や大尉に報いようぞ」
「巡幸でございますね。平定された遼東の民も喜ぶでしょう。私も御史中丞も、むろんご一緒させていただきます」
そういいながら秦朗は曹叡の目の不自然な潤みを感じていた。
「またお熱が上がっているのではないですか」
曹叡は気にもかけない様子で、
「こ、ここ数日慶賀のしらせが続いた。ち、朕の心も浮き立っているのであろう。し、心配には及ばぬぞ」
と文書の決裁に向かった。
(……杞憂であればよいが)
好事魔多し、という。呉蜀を黙らせたのち遼東を併呑したことは、曹叡が文帝曹丕を超えたことを意味する。だが、魏の盤石はなにより皇帝である曹叡の双肩にかかっているのだ。
「どうか、ご無理だけはなさらぬように」
執務室に向かう曹叡の背中に、秦朗は念を押した。
ちなみに公孫淵の兄で洛陽に住んでいる公孫晃の処遇は連座制が適用され、自殺させられた。曹叡は公孫晃が魏に背かず、弟の暴走を止めるよう働きかけていたので、連座の罪を不問に付そうとしたのだが、司法の判断に従ったということだろう。
※
襄平を落とした司馬懿は、まだ帰還できていない。遼東郡の北部にある玄莵郡が公孫淵の支配下にあったので、
「古より他国を征伐するときは、首領を誅するだけでよく、公孫淵に従って悔恨するものはすべて赦す。中原の出身者で帰郷を望むものはそうしてもかまわない」
と告示をした。
そして彼らが告示に従うのを見届けて、六十歳以上の高齢兵士を帰京させ、戦死した兵士の棺も洛陽に送り埋葬を依頼した。
なお毌丘倹は幽州に還り、司馬懿の戦後処理には行政にも明るい胡遵が補助している。
「倭国という異民族から使者が到着しています」
「ほう。きいたことのない国であるな」
司馬懿が記憶を呼び起こそうとすると、
「帯方郡や楽浪郡よりはるか南の島国です。
これまで遼東に貢ぎ物を詐取されていたようです」
と胡遵がこたえた。
「そういえば孫権が人狩りを派遣した、というあれか」
「そのとおりです」
孫権は自国の人口減少、すなわち董卓の乱等で避難していた人々が江南から中原に帰ってゆくことに由来する兵力不足に悩まされていた。
そこで倭国に人狩りの部隊を派遣し、失敗した履歴がある。倭国はこの災難からやはり中華の実質的王権が魏にあると確信したのであろう。
司馬懿が倭国の使者に面会すると、大夫という地位の使者・難升米が控えていた。
頭に冠はかぶらず、木綿で頭髪を縛って髷をつくっている。顔には入墨があるが、清潔で礼儀正しい。通訳もしっかり携えており、船は帯方郡で作ってもらって、それを買っているという。
(風俗が乱れた国ではないようだな)
司馬懿は倭国の使者に好感をもった。
「洛陽の天子に朝見し、貢ぎ物を奉りたいと存じます」
難升米は通訳をつうじて、倭国は卑弥呼という女王が国を統治しており、国は富み、礼儀を重んじるといった。
それにしてもこれまで遼東に貢ぎ物を送ってきた倭国が、公孫淵が滅亡するやいなや魏に朝貢するという情報伝達の速さは当時としてはかなりのものである。
「よろしい。帯方郡の太守である劉夏に案内させ、天子に面会させるであろう」
司馬懿は約束を守り、洛陽に着いた難升米は貢ぎ物を捧げ、曹叡から「親魏倭王」の金印を賜るのであるが、これは日本史でもよく知られた事蹟である。
煩雑な戦後処理を、遼東の首都である襄平城で行っている司馬懿は多忙である。しぜん就寝も深夜になることが多かった。
慣れない土地の寒気にさらされ、疲労で眠りについた司馬懿は、ある日の払暁に夢をみた。
曹叡が、司馬懿の膝を枕にして横たわっている。司馬懿は曹叡の身体をさすりながら、健康をいたわっているようである。すると、
「ち、朕の顔を見てみよ」
と曹叡がいう。司馬懿はうつむき、曹叡の顔をのぞき込むと、
(あっ……)
とことばを失った。曹叡の顔面は蒼白で目が充血し熱をもっているように潤んでいる。
あわてて顔を上げ、まわりを見渡すと側に秦朗と徐庶が喪服を着て、無表情でたたずんでいる。
(この夢はなんぞや)
目覚めた司馬懿は胸騒ぎをおぼえた。
「いかがなさいましたか。お顔がすぐれぬようにお見受けしますが」
司馬師が朝に牀から起きてきた司馬懿を心配し、声をかけてきた。
「うむ……すこしよくない夢を見た」
「いけませんね。洛陽に凱旋して陛下のご尊顔を拝する前に。お疲れなのでしょう」
司馬昭のことばにあった「陛下のご尊顔」というところに、司馬懿は不吉なものを感じた。
(たしかに洛陽を出てから合戦と後処理で多忙をきわめていた。夢を占わせるまでもあるまい)
ようやく司馬懿が凱旋の途についたのは、十月であった。
薊県で曹叡の使者に迎えられた司馬懿は見た夢のことが気がかりで、
「陛下には、何かお変わりはありませんか」
と問うた。使者は朗らかな声で、
「変わったといえば、おおいにお変わりになりました」
とこたえた。
「それは……」
「はい。ふだん物静かな陛下がかつてないご様子で遼東平定をお喜びになられました。
宮中も大尉(司馬懿)を讃えぬものはなく、慶賀一色でございます」
司馬懿は使者のことばに胸をなでおろした。
不吉な夢をいつも雑務の傍らでひきずっている自分がいたからだ。
しかし、都の洛陽まで四百里あまりというところまできて、
「関中にはむかわず、いそぎ洛陽までまかり越されたい」
という曹叡の詔勅が届けられた。
(陛下も、われとはやく喜びをわかちあわれたいのか)
司馬懿は微笑んで、詔勅を受けた。
しかし、洛陽にむかうにしたがって、五回もの同じ詔勅が届けられるに至り、
「陛下に何事かあったのか」
と使者を問いただした。使者は青ざめた表情を変えることなく口を閉ざしている。
その異常事態を告げるかのように、曹叡自筆の詔勅が、洛陽目前に近づいた司馬懿に届けられた。それには、
「大尉の到着をいまかいまかとまっている。
到着次第、閤より入り朕の顔を見よ」
閤とは宮殿にある小さな門で、直接宮室に来い、ということである。
(朕の顔を見よ……)
司馬懿は、あの夢を思い出して戦慄した。
「兵と進んでいる余裕はないぞ。速い馬車を用意してもらいたい」
司馬懿はその馬車に乗り、昼夜兼行で洛陽へ急いだ。
そのころ、曹叡は篤い病の床にあった。
日頃から身体のだるさとときおり出る微熱に秦朗らを心配させていたが、病にたおれたのは十二月に入ってからのことであった。
「た、大尉は……まだか」
かすれた声で問う曹叡の面貌はやつれており、もう粥以外の食事を受けつけていない。
「兵とは別に、特急の馬車を仕立ててそれに乗って洛陽に向かっておられます」
秦朗は曹叡の額の汗を濡れた布でぬぐい、耳元で伝えた。
秦朗を牀から手招きした徐庶が隣の室で、
「いずれこのままでは、陛下の死は免れぬ。
立皇太子と立皇后をしていただかなければ」
と低い声でいった。
「それは、わかっていますが……」
現実を受け入れられない自分がいる。
なんといっても曹叡はまだ三十四歳ではないか。あと四十年は魏の皇帝として君臨し、そのすぐれた統治能力で呉と蜀を併呑し、中華を統一してもらわなければならない。
(それなのに……)
侍医団は何をしていたのか。魏の医療は間違いなく三国一の技術を擁している。
にもかかわらず、疲れを見せていた曹叡の病状を見逃し、死に至るまで手をこまねいているとは。
「あ、阿蘇……ぎ、御史中丞……」
かぼそい声が曹叡の病臥する牀のある室から聞こえてきた。
秦朗と徐庶が早歩きで曹叡の側に侍すると、
「き、君たちの心配は理解している……こ、皇太子は芳にするであろう」
と曹叡は苦しげにいった。
「斉王を……」
秦朗と徐庶は顔を見合わせた。斉王とは曹芳であり、実子のない曹叡は養子として曹芳と秦王の曹詢という二人の幼子を養っていた。
ちなみに曹芳も曹詢も両親が正史に記されておらず、年齢は曹芳七歳、曹詢八歳である。
皇后には、郭夫人が立てられた。
(弟君を後継にされないということは……)
曹叡の弟には東海王の曹霖がいるが、粗暴な性格で後宮の妾らを殺害したり、悪評が絶えなかった。
(陛下の意識はまだしっかりされている)
秦朗と徐庶は、胸をなでおろした。
しかし後継の皇帝となるはずの曹芳は、幼帝である。
曹叡は悪逆で不肖の弟を皇帝にするよりも、幼帝を摂政が守り抜く政治を選択したということだ。
「し、蜀の諸葛亮が、り、劉禅を守り抜いたという例もある……」
曹叡はあえぎながらも、ことばを選んではっきりといった。
「では、皇太子を守り抜く摂政とは……」
秦朗が曹叡の顔にちかづいて訊くと、
「そ、それは大尉(司馬懿)だ。な、なので、いまかいまかと到着をまっている」
曹叡は、微笑んだようであった。
秦朗と徐庶は、いつか曹叡と誓った約束を思い出していた。
曹氏の血が流れていなくても、有徳のものが善政を施し、中華に静謐をもたらす。
先帝曹丕が短い治世の中で、後継者に袁煕の子である曹叡を選んだときから、魏が清新で強固な政治基盤を誇ってきた方針だ。
新帝となる曹芳も、どういういきさつで曹叡が養子に選んだかは不明だが、彼の中に皇帝たるにふさわしい何かを見いだしたからこそ、出自がはっきりしないにもかかわらず後継にしたのだ。
「しかし、燕王を摂政に、という声も多くあがっています」
徐庶が、いいにくそうに告げた。
「え、燕王か……」
燕王・曹宇。彼は曹叡の祖父である曹操と環夫人の子である。
善良で欲がなく、曹叡より年上だが皇室では親しいので、王朝を運営するのにふさわしいと思われている。
「え、燕王はよい人だが、ま、まだ世が定まっていないときにわが国を運営するには心もとない……さ、豺狼のような孫権や、し、諸葛亮の後継者たちとわたりあえぬ」
曹叡は、目を閉じた。
死後を憂いている、と感じた秦朗は、
「私に考えがあります。必ずや大尉を新帝の補弼の席についていただくよう、微力を尽くします」
といった。
「それでは……領軍将軍、武衛将軍、屯騎校尉らにも補弼の席をあけてもらうことになりますが」
徐庶が半信半疑のようすで秦朗に訊く。
領軍将軍は夏侯献、武衛将軍は曹爽、屯騎校尉は曹肇である。夏侯献の出自は正史でも明らかではなく、曹爽は曹真の子、曹肇は曹休の子である。
「さらに驍騎将軍のお名前も、四人目に入っているという噂ですが」
徐庶が皮肉な目を秦朗に向けると、
「忖度ですよ。ふだんは佞臣佞臣とあざけっていても、いざ非常時には宮中で陛下と親しかった経験がほしいのでしょう」
秦朗は乾いた声でこたえた。
「あ、阿蘇を補弼の臣に、ど、どうしても加えてほしいと頼んだのは、ち、朕だ……」
秦朗と徐庶は、驚いて病牀の曹叡を見た。
「陛下……私の忠義は陛下一代のものです。他の補弼の臣も、私がいればいい顔をしないでしょう」
「あ、阿蘇、そ、それから御史中丞……た、大尉との誓いを忘れたか。
そ、そなたら三人だけが、わが子を真に補弼できる。ぎ、御史中丞にもそれなりの席を与える。ど、どうか受けてくれ」
「陛下……」
平伏した秦朗と徐庶を、横目でみた曹叡は安堵の表情を見せたが、疲れが出たのか咳がはげしくなってきた。
病室に侍医たちが、薬湯をもって入ってきた。病室を退こうとする秦朗と徐庶に、
「ど、どうか、忘れてくれるなよ……」
と、曹叡のかぼそい声が背中から届いた。
「どういたします?」
徐庶が秦朗に、今後のことを訊く。
「私は陛下の陰です。補弼の臣という光をあびるわけにはいきません」
秦朗のことばにうなづいた徐庶も、
「二重間諜をしていた私とて同様です。陰ながら大尉のお手助けくらいならできるでしょうが……」
と表情を暗くした。
「さきほど、驍騎将軍にはお考えがあるとおっしゃられておりましたがまことですか」
「はい。劉放と孫資を利用しようと思っています」
「あの老人らを……」
劉放は中書監、孫資は中書令という職にある。文書を作成する天才ともいうべき劉放と孫資を、同じく文の天才であった先帝曹丕が抜擢した。
曹丕と次代の曹叡が発する詔はすべてこの二人が作成しているので、しぜん政権の中枢の秘密を知るようになり、彼らの態度は傲慢になっていった。
「われらがおらねば、王朝は成り立たぬ」
そうではないか。曹叡の意向は劉放と孫資が書いて文書となり、臣下にくだされる。
二人は老人であるので、その自己顕示欲はすさまじく、まさに天子きどりのふるまいであった。
しかし新しい皇帝になれば、自分たちはどうなるか。ただでさえ恣意が見え隠れするようになった劉放と孫資の文章を嫌う文官は多いし、後継の補弼とされる夏侯献と曹肇は、二人を嫌いぬいている。
「このままでは、われらの地位は危ない」
「驍騎将軍(秦朗)に取り入るか」
新政権の顔ぶれが予想される中で、秦朗のみは劉放と孫資に悪感情をもっていない、と二人はみた。
宮中の雞棲樹という古木がある。
それを眺めている秦朗を見つけた劉放と孫資は、そそくさと近づいてゆき、
「驍騎将軍におかれましては、ご機嫌いかがでしょうかな」
「陛下のご容態が、心配されますな」
と声をかけた。
「うむ。陛下のご容態がかようなときに、機嫌などよいはずはなかろう」
秦朗の冷えたことばに、二人は戦慄した。
「それよりも、ほれ」
雞棲樹を指さした秦朗は、
「この木は古いな。はたしていつまでもつだろうかな」
と笑みをうかべて劉放と孫資を見やった。
「ひっ……」
「驍騎将軍、それはいかなる意味で……」
劉放と孫資は、文章の達人である。雞棲樹が枯死することと、ふたりの未来を重ねた皮肉を理解できないわけはない。
「なに、新体制には新しい人材を。補弼の方々はそのように考えておられる」
「……」
「陛下も、なんじらには世話になった、とおっしゃっていた。身のひきどころ、ということばをご存じかな……ああ、なんじらの文才を軽んじてすまなかった」
「驍騎将軍!」
劉放と孫資はその場で、身を投げ出すようにひれ伏した。
「なにかご用かな?」
「はい……領軍将軍(夏侯献)と屯騎校尉(曹肇)は、なぜかわれらのことを蛇蝎のごとく嫌われております。
驍騎将軍が、われらを窮地より救ってくださりませぬか」
「ふむ……」
秦朗は少し首をかしげて考えていたが、
「われは、なんじらのことを好かぬ」
と抑揚のない声でいった。
「そんな……」
「お慈悲でございます」
人事においては恣意がない曹叡なので、劉放と孫資に陥れられた臣下はいないが、彼らの傲慢さに目をそむけない王朝の臣はいないといっていい。
「身から出た錆、とはよくいったものだ。
ただ、われも鬼ではない。
大尉(司馬懿)は戦陣で都を離れる機会が多く、なんじらの文才をかっているときいた。
どうだ、大尉に泣きついてみては。いかにしても免職はまぬがれぬが、命くらいは救ってもらえるかもしれぬぞ」
そういいのこして、秦朗は裾をひるがえして去っていった。
「うぬ……阿蘇め。妾の子の分際でこのような辱めをうけるとは」
孫資が歯ぎしりして恨みごとをいうと、
「まあ、待て。阿蘇は大尉がわれらのことをかってくださっていると申したな」
と、劉放はにやりと醜く顔をゆがめた。
「たしかに、そういってはいたが……」
「ならば、大尉を補弼の臣に加えればよい。それができるのは……」
孫資は手をうって、
「われらしかいない」
と喜色をあらわにした。曹叡の詔を偽造してしまえばいい、ということだ。
さらに劉放が孫資に耳打ちした。
「三人にはきらわれたわれらだが、残りの武衛将軍(曹爽)がいる。率直にいって愚人だ。取り入って補弼の臣の筆頭にまつりあげれば、われらに頭が上がるまい」
孫資はなんどもうなずいて、
「おおそうじゃ。大尉と武衛将軍、この二人がおれば、われらは安泰ぞ」
小躍りするように歩いてゆく劉放と孫資を、柱の陰から秦朗はじっと見ていた。
※
十二月下旬には、曹叡は重態に陥った。
この月の初めにはじめて病臥したことを思うと、急速な容態の悪化である。
曹叡と親しい燕王の曹宇は、憂い顔で曹叡の枕頭に侍っていたが、
(そろそろご臨終か……)
と曹肇や夏侯献に報せるため、いったん病牀の室を出て行った。
室には曹爽と曹叡が残された。
曹爽はまわりをおどおどと見わたすと、
「今だ。入れ」
と小声でいった。
その声に機敏に反応したのは、劉放と孫資である。
二人は難なく曹爽を籠絡し、曹叡死後の補弼筆頭にすべく工作を開始していた。
病室に入り、曹叡の姿をみた二人は涙が止まらなくなった。
曹操・曹丕・曹叡三代に仕えたなかでも、曹叡は最も文章に関しては彼らを信頼してくれた。
過ぎし日々の思い出が走馬灯のように、劉放と孫資の胸中に去来した。
曹叡が人の気配を感じて目を覚ますと、劉放と孫資が目の前にいる。
「な、なんじらか……ど、どうかしたのか」
二人はここぞとばかりに互いの目を見合わせ、曹叡に問うた。
「陛下、陛下に万一のことがあれば、天子をだれにお任せになるかお決めになりましたか」
「そ、そのようなことは、まだ決めておらぬ……え、燕王を推す声は多いが……」
「陛下は先帝のご遺言をお忘れです。曹氏の王に政治の補佐をさせてはならぬ、と詔勅にあったではございませぬか」
むろんその詔勅を制作したのは劉放と孫資である。
「そ、そうであったか……」
「そうです。しかも曹肇と秦朗は、陛下がご病気にもかかわらず看護のものどもと戯れ言をいって笑っておりまするぞ」
「……」
あることないことこれまでの意趣返しに、劉放と孫資はたたみかける。
「燕王はすでに兵を擁し、われらが宮室に入るのを妨げています。王朝を私有化し、天子をほしいままにしようと隠そうともいたしません。
陛下がむかしのよしみにこだわっておられますと、外にいる呉蜀の賊と、内なる疲弊した民をすべることはできませぬ」
(むかしのよしみ、か……)
曹叡は秦朗のことを思い出していた。
病んだ身とはいえ、劉放と孫資の讒言などとうに見抜いている。
幼い頃後宮で秦朗と読書をしていた頃を思い出し、頬には涙がつたった。
(おかわいそうに……)
劉放と孫資のうしろでやりとりをきいていた曹爽は、目頭をおさえた。
曹爽は無能ではあるが、善人である。
その無能を自覚してさえいた。
曹宇や夏侯献、曹肇が自分をないがしろにしているのも感じていたし、秦朗のような曹叡からの信頼を得ていないことも知っていた。
だから、四人を劉放と孫資に売ったのである。愚者の哀しき復讐であった。
「わ、わかった……では、だれにまかせればよいか」
曹叡はあえぎながら、劉放と孫資に問うた。
「燕王はいけません。かわりに武衛将軍と大尉になされませ」
「た、大尉か……」
ともに大計をはかった仲である。補弼を辞退している秦朗と徐庶も、司馬懿が曹爽と政権をになえば、協力してくれるかもしれない、と曹叡はおもった。
「よ、よし……それでよい」
詔を作成せよ、と命じた。
劉放と孫資は用意していた紙に、詔をすばやく書き上げた。
(これで、次代の魏もわれらのものよ)
二人はほくそえみ、そそくさと病室を退出していった。
「おい、なんじらはなにをしている」
廊下ですれ違ったのは、曹肇である。近侍が劉放と孫資が病室に入ったと報告してきたので、不穏に思い曹宇との話を終えるや病室にむかったのだ。
「と、屯騎校尉」
「私どもはただ陛下のご容態が心配で……」
つかまえられた劉放と孫資はとっさのうそをついた。
「いまは国家の大事であるぞ。なんじらが入り込む余地はない。とくと去れ」
そういいつけたあと病室に入ると、曹爽がひとりで病牀のそばにたたずんでいる。
「武衛将軍、劉放と孫資をここにいれないでいただきたい」
曹肇がとがめると、曹爽は、
「陛下が正式に詔を下された。あとは看護のものたちにまかせればよい」
と目を落としたままぼそぼそといい、室から出ていった。
「正式な詔だと?」
曹肇は自分たちがいない密室で詔が下されたことに驚愕した。
あわてて曹叡の枕元にいき、
「陛下、陛下!詔を下されたとはまことですか」
と昏睡状態の曹叡をゆさぶり起こした。
「……」
聞き取れぬほど小さな声に、耳を寄せた曹肇はあおざめた。
「大尉を補弼の臣に……とはまことですか!」
曹叡は意識が朦朧としているので、小さくうなずいた。
「なりませぬ、それはなりませぬぞ」
そうではないか。魏国内で、戦において司馬懿にかなうものはいない。
そのような権臣が幼帝を補助すれば、文武百官は司馬懿を敬仰し、曹芳を軽んじる。いわば曹操と献帝のような関係になるではないか。
しかも中書監の劉放と中書令の孫資が司馬懿に拠っている以上、幼帝の意向として司馬懿の思いのままの詔が下される可能性すらある。
「燕王に後を託されますよう」
涙ながらに訴える曹肇にたいして、曹叡は意識を失い、こくりこくりと眠りはじめた。
そのうごきを己の意志が承諾されたものとした曹肇は、
「ありがとうございます。先ほど出された詔を止めさせます」
と専断をおこなった。
病室から出て、曹肇は劉放と孫資を追った。
二人に追いつくと、
「なんじらがなにを陛下に吹き込んだかは知らぬが、詔は停止してもらった。
大尉を補弼に招くことは断じてゆるさぬぞ」
と怒鳴りつけた。
劉放と孫資は、驚いて平身低頭した。
それを眺めた曹肇は念をおせたと信じたのか、曹宇らのもとに歩き去っていった。
「まだ、間に合うぞ」
曹肇がいなくなったのを確認して、劉放と孫資はふたたび曹叡の病室に駆け込んだ。
「陛下、陛下!なぜ大尉を補弼から外されたのですか」
二人は曹叡をゆさぶり、ふたたび意識を回復させた。
「そ、そうなのか……」
もはや曹叡は曹肇のことばを記憶していない。
「陛下が重態にありながら、戯れ言をいいあう方々ですぞ。まじめに幼帝を補佐するはずもございません。どうか、さきほどの詔を復活させてください」
劉放が訴えると、孫資が追い打ちをかける。
「詔がふたたび曲げられぬよう、陛下御自らのお手でお書きください」
いいぞ、と劉放が目で孫資にうなずく。
「ち、朕は苦しい……書けない……」
「それでは、失礼つかまつります」
なんと劉放は曹叡の手を自ら添え、筆を握らせた。その筆の震えを押さえつつ、「皇帝自筆の詔」を完成させた。
おそるべきは二人の執念である。
(これでわれらは安泰だ)
安堵の表情をみせた劉放と孫資に曹叡が、
「へ、辟邪を……」
といった。辟邪は曹叡の身の回りの世話をしている者である。
参上した辟邪に、
「こ、これを大尉に……」
と苦しげに詔をわたした。
※
司馬懿の急行馬車は河内郡の汲県で、馬に乗った辟邪と遭遇した。
「燕王からの詔と辟邪の詔……どちらが陛下の本心なのか」
道中何通もの詔を受け取っている司馬懿は、困惑した。しかし宮中で何事か紛糾している気配を感じ取った。
燕王曹宇からの詔には補弼の臣に自分の名はないが、秦朗の名が入っている。
しかし今辟邪から届けられた詔には、自分の名がある。
(驍騎将軍は自ら幼帝の補佐に就くことはしないとかつて断言していた)
そして辟邪は曹叡の小間使いであり、詔の筆跡は曹叡のそれのようである。
(辟邪のもってきた詔が本物か)
それなら洛陽まで三百里、曹叡は自分の到着を待っている。
「馬を替えてくれ。とびきり生きのいい馬だ。洛陽まで一気駆けするぞ」
司馬懿は辟邪の詔を懐に入れ、馬車に乗り込んだ。
一方、曹肇は疲れ切った表情で自宅に戻った。弟である大将軍司馬の曹簒が青ざめた表情で、
「お一人でのお帰りですか?」
と尋ねた。
「うむ。今日は疲れた……」
「いけません、兄上。補弼の皆様と宮室を退出しなければ何が起こるかわかりませんぞ」
曹簒の戒めに、曹肇は瞬時劉放と孫資のことを思い出したが、
「まさか、な」
といいのこして部屋に消えた。
これが一連の政争の決着点となった。
翌朝、宮門で門衛に入宮を止められた曹肇は、
「われは屯騎校尉だ。なぜ止める」
といぶかしげに門衛に問うた。
「存じておりますが、あなたさまは陛下によって罷免されました。よってここをお通しすることは相成りませぬ」
「な、なに……」
曹肇は目の前が暗くなった。心臓が冷え、立っているのかさえわからなくなった。
「あやつらめか……」
劉放と孫資の顔を思い出したが、後の祭りである。
そこに夏侯献も、ぬけがらのような態で宮中から退出してきた。
「われも罷免された。詔は間違いなく陛下のお手で書かれたものだった」
「まことか……」
「燕王と阿蘇も罷免され、補弼の臣は武衛将軍と大尉が任命されるそうだ」
嗚呼!とその場に崩れ落ちた曹肇は、
「曹爽のこわっぱに出し抜かれたか……阿蘇はどうしている?」
と枯れた声で夏侯献に訊いた。
「阿蘇は罷免されたとはいえ、私人として陛下のご看病にあたっている」
「官位をなくしてもか?」
少なからず感動をおぼえた曹肇は、
「なあ、佞臣とはなんだろうな」
「阿蘇のことか?」
「ああ。われらは権力と官位を奪われ、諸事終わったと嘆いているが、阿蘇は世上の権威や官位など歯牙にもかけぬ。
どちらが忠臣で、どちらが佞臣であろうかな」
といって涙を流した。夏侯献もいうべきことばがなく、ただ涙を流すのみであった。
一方、司馬懿が洛陽に到着したのは景初三年(二三九)の正月であった。
宮殿に入った司馬懿は蒼白の面持ちで、
「陛下のご寝所は嘉福殿か」
と辟邪に確認し、息を切らせて走った。
「陛下、大尉が帰洛なされました」
看護しやすい平服に着替えた秦朗が、病牀の曹叡に声をかける。
同じく平服の徐庶も安堵の表情をみせた。
曹叡は、苦しげに身体を起こした。
「た、大尉……ようやく会うことができた。
あ、阿蘇、斉王と秦王を呼んでくれ」
曹叡は双眸に涙をあふれさせた。それを見た司馬懿も胸が熱くなり、涙を流した。
「り、遼東平定は、さすがである……こ、これで朕も、せ、先帝によい報告ができるぞ」
「陛下……」
曹叡は司馬懿に手をさしのべ、司馬懿はその手をにぎった。一年ぶりの再会であるが、出征のときと何もかもが変わってしまっている。
やがて秦朗にともなわれた斉王の曹芳と秦王の曹詢が、病室に入ってきた。
曹叡は司馬懿の手をにぎったまま、
「し、死さえ耐えれば、このようにひきのばすことができる……ち、朕は耐えて大尉の帰りを待っていた。
ど、どうか武衛将軍(曹爽)とともに、この子を補弼してくれ」
そういって曹芳にここへくるよう手招きした。曹芳は秦朗の顔をみた。秦朗が微笑んでうなずいたので、司馬懿の側に歩いてきた。
新年になったので、曹芳は八歳、曹詢は九歳である。
「た、大尉の首を抱いてみなさい……」
司馬懿が頭を下げると、曹芳はおそるおそる司馬懿の首に小さな両手をまわした。
「せ、斉王はまだ幼い……ど、どうか大尉はよく導いてやってくれ」
「陛下……先帝が陛下をわたしにお託しになったことを覚えておられますな」
ふふ、と笑った曹叡は、
「そ、そうであった……と、遠いむかしのようだな」
といった。司馬懿は曹丕の託弧に応え、曹叡を守りぬいてみせた。
「ではな」と曹叡にうながされた曹芳と曹詢は、病室を退出していった。
「み、みなで国を運営でき、ぞ、賊を退けたり平定できた……う、うれしくおもうぞ」
司馬懿と秦朗、徐庶の三人は曹叡の病牀にちかづいた。
「陛下……もったいないおことばでございます」
「間諜でしかなかったわが身をひきたてていただき、お礼の申しようもございません」
秦朗と徐庶は、目に涙をうかべて礼を述べた。
「さ、さて……ここで誰にも聞かせてはならぬことを、み、みなに託す」
曹叡は上半身を苦しげに起こす。三人は曹叡をささえた。
「せ、斉王が皇帝に足る人格と能力をそなえているならば……み、みなでこれをささえてほしい」
「もちろんでございます」
司馬懿が三人を代表してこたえた。
「だ、だが……斉王が無能で悪逆の皇帝であれば……た、大尉、君がとってかわれ……」
「……」
司馬懿と徐庶は、絶句した。
これは蜀帝劉備が諸葛亮にいった遺言とそっくりではないか。
「はい。かならずやそのようにいたします」
秦朗が驚いた二人をよそに、曹叡に明言した。すべてを察した司馬懿と徐庶も、
「はい……うけたまわりました」
と誓った。
「こ、これで心残りはない……た、大尉、ぎ、御史中丞……阿蘇とふたりきりにしてはもらえぬかな」
司馬懿と徐庶は互いに目くばせし、一礼して病室から退室していった。
「あ、阿蘇……こ、これでむかしのふたりにもどったな」
「そうですね、陛下」
後宮の狭い書庫で、兵書や法令をたがいに読み合わせたなつかしい日々がよみがえった。
「ゆ、夢をみていた……」
「どのような夢でございますか?」
曹叡は天井を見つめたまま、
「ら、洛陽で宴をひらいていて……り、劉禅や孫権もそこにいる」
といった。
「か、かれらも楽しげにわらっていた。も、もちろん朕も……あ、阿蘇や大尉、御史中丞もほほえんでいた」
秦朗は涙をぬぐった。曹叡が長命していれば、きっとこのような風景も夢では終わらなかったであろう。
「み、みなで庭園を歩いてな……こ、これからは洛陽で心置きなく楽しんでくだされ、と……そこで目が覚めた」
「大尉なら、きっと斉王を導いてその風景を実現させてくれましょう」
「う、うむ……そ、それから、あ、阿蘇、これまでの十余年、みごとな佞臣であった」
「ありがたきしあわせにございます」
秦朗にとって佞臣とは、なによりの褒めことばであった。
「は、はは……ち、朕にとって、あ、阿蘇は誰よりも……だ、大忠臣であったぞ」
「陛下……」
二人の目に涙があふれた。曹叡の御代は、まちがいなく秦朗とわかちあったものだった。
「こ、これからはわれらの時代ぞ」
践祚するとき若々しい曹叡が秦朗にいったことばが、秦朗の胸に去来していた。
「す、少し、疲れた……」
曹叡はそういってまぶたを閉じた。秦朗はいつまでも、その横顔を見守っていた。
いつになく安らかな寝顔であった。
少年の日、後宮で夜遅くまで書を読みふけって眠ってしまった横顔だと秦朗はおもった。
その日、景初三年正月二十七日に、曹叡は嘉福殿において崩御した。
享年三十四歳であった。
同時に佞臣としての秦朗の大役も、それを終えたのである。
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