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ドンレミ村
百年戦争が続く1412年1月6日ごろ、フランスの北東部、ロレーヌ地方の農家にひとりの女の子が生まれました。
父親の名前はジャック・ダルク。母親はイザベル・ロメ。女の子は「ジャネット」と呼ばれ、とても愛されて育ちました。
ジャネットが生まれたときには、すでに3人の男の子がいました。長兄のジャックマン、次男ジャン、三男ピエール。ジャネットの1年後には妹のカトリーヌが誕生しています。
東側に神聖ローマ帝国領を望む小さなコミューン・ドンレミは、周囲を敵方であるイングランドの支配地域とブルゴーニュ公領に囲まれる場所にありました。王党派に属したドンレミ村は何度か襲撃に遭い、焼き払われたこともありました。
<ドミニック・ジャコブの証言>(トゥール司教管区モンティエ・シュル・ソー教区の司祭。ジャンヌより9歳ほど年下)
*** *** ***
【ドンレミ村の全住民が兵士の襲来が原因で避難し、ヌーフシャトーの町に赴きました。この仲間にジャネットもいて、両親と一緒に避難し、仲間から離れることはありませんでした。ヌーフシャトーから戻ってきたのも父母と一緒でした】
百年戦争については後で詳しく書きますが、当時のフランス国内では、オルレアン派とブルゴーニュ派による内乱が起こり、それに乗じてブルゴーニュ派と共闘する形でイングランドがフランス国内に深く進軍していた時期です。
「ムーズ川沿いのドンレミ村」
父親は租税徴収係と村の自警団団長を兼ねていました。ジャネットは、父の持ち物から貧しい人たちによく施し物をしました。クリスチャンにとっての愛の表われである “施し” に忠実な少女でした。
《世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう》
<ヨハネの第3の手紙 17-18>
<幼友達 マンジェットの証言>
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【彼女はすすんで、たびたび教会に通っていましたし、父親の持ち物の中から施し物もしていました。
彼女は非常に気だてがよく、飾り気がなく、また信心深かったので、私も他の娘たちも、あなたは信心深すぎるわよと言ったくらいです】
< シモナン・ミュニエの証言>
(ジャンヌとほぼ同い年のドンレミ村の農民)
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【私は乙女ジャンヌの父親の家の傍に住んでいましたので、彼女と一緒に育ちました。彼女は気だてが良くて、飾り気がなく、敬虔で、神や聖者たちを畏れていたことを私は知っています。
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彼女はたびたび、すすんで教会や聖なる場所に通い、病人の世話をし、貧しい人たちに施し物を与えていました。
私はそれを見ていましたし、私自身がまだ子どものころ、病気になるとジャンヌはいたわりに来てくれたのです……】
『羊番をするジャンヌ』ルイ・モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル
<オーヴィエットの証言>(ジャンヌとほぼ同年齢の幼友達)
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【ジャンヌは気だてがよく、飾り気のない、優しい娘でした。しばしば、またすすんで教会や聖なる場所に通いました。
彼女はまた、自分が信心深く教会に通うと言われることを恥ずかしがっていました。私は当時この村にいた司祭から、彼女がたびたび告解にきたということを聞いています。
***
ジャンヌは他の若い娘たちと同じように忙しく暮らしていました。家事に精出したり、糸を紡いだり、時には──私が見たことですが──父親の家畜の番もしていました】
【私はいつ彼女が村から出ていったのかは知りません。このことでは、ずいぶん泣きました。彼女は優しかったからとても好きだったですし、仲良しだったからです……】
※後世、この女性はジャンヌの幼友達としてシャルル・ペギー(第一次世界大戦で戦死)の戯曲に描かれて以来、ジャンヌとは切り離せない人物になっています。
【糸紡ぎを手伝い、時には犂を引いたり刈り入れをしたり、自分の順番が来れば家畜の番もしました。裁縫が得意でよく働く少女でした】
※犂=田畑を耕す農具。
後年行われた復権裁判※において、幼いころの彼女を知る人たちの証言はどれも似通っていました。気だてがよく、純潔で飾り気がない、慎ましい娘でしたと。
※復権裁判(異端無効化裁判)は、死後25年経った1455年11月7日から1456年6月にかけて行われました。
「ジャンヌの生家の一部」
ジャネットは神を畏れる篤い信仰心を持っていました。洗礼を受けたサン・レミ教会の夕べの鐘が鳴ると、すぐさま跪きましたし、ミサを知らせる鐘が鳴れば、畑にいるときでも村の教会に帰って参加しました。
特に母親は敬虔なカトリック信者で、毎週日曜日には家族そろって教会に行き、祈りを捧げていました。
(当時のキリスト教はカトリックのみ)
少女は、サン・レミ教会が時を告げる鐘の音が大好きでした。教会の堂守をしていたペラン・ドラピエーは、こんな証言を残しています。
【私が夕べの祈りの鐘を鳴らさないと、ジャンヌは私を呼びとめて叱り、私がしっかりしてなかったのだと言い、私がきちんと夕べの祈りの鐘を鳴らすように、毛糸をくれると約束してくれました】
『アレクサンドリアの聖カタリナ』カラヴァッジョ
(聖カタリナまたはアレクサンドリアのカタリナは、ジャンヌが声を聞いたうちのひとり。キリスト教の聖人で殉教者)
ジャネットが初めて(声)を聞いたのは、13歳のころ。教会の近くに建つ、生家の中庭でのことでした。大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタによる声は、存亡の危機にあるフランスを救うよう彼女に呼びかけたのでした。その後たびたび声を聞くようになります。
『大天使ミカエルがジャンヌ・ダルクに登場 』
モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル
<異端審問(処刑裁判)におけるジャンヌの言葉>
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【13歳くらいの時、私は、私が正しい行いができるよう助けてくださるという神の声を聞きました。最初は非常な恐怖を感じました。その声は夏の正午ごろ、父の家の庭で聞こえました。
***
声は右手の、教会の方から聞こえてきました。声が聞こえる時は、いつも光が見えました。それは威厳に満ちた声でした。ですから私は、それが神から送られてきたものだと確信しています。
その声を3回聞くと、わたしはそれが天使の声だとわかりました。声はいつも私をしっかり守ってくれ、私はその声をよく理解するようになりました】
─To be continued.─
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