箒の上で踊った君とはもう会えない

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 夕暮れどきに伸びる濃い影を踏みつけるように、恋音(れね)の手首を握って坂を駆け下った。背後から部活仲間の声が追いかけてきた。 「おーい、主役がどっか行くなよー、お前らの打ち上げじゃん」  恋音は耳を澄ますように顔を傾けた。 「いいの、怒られてるけど」  ぎゅっと手首を握る力を強くして、私はそのまま走った。恋音もついてきた。恋音、凌子(りょうこ)、と呼び合うまでもなく、私たちの足は二人三脚みたいにぴったりで、一人で走るのと同じくらい速いスピードを保っていた。制服のスカートが強い風にひるがえった。  このくらい息が合っていなくちゃ、箒乗りの大会で優勝なんてできない。  下り坂の行き止まりに、島のはしにあたる展望台が見えてきた。私たちは言葉で確認することもなく、自分らの身長くらいある黒い細長いバッグから、箒を取り出した。  乗りなれた銀色の筐体(きょうたい)はいつもどおり手のひらで握り込める程度の太さ、身体の一部みたいにしっくり馴染んで、身長の四分の三の長さがあってもどこにぶつけることなく取り廻せる。扱いはじめた頃は、後方のまさに「箒」めいた形状の推進装置の重さ大きさを間違えて、足の甲をぶつけて痛がったりもしたけれど、もう昔のことだ。  展望台のフェンスの前で荷物と箒のバッグを投げ捨てて、恋音もそうしているのを気配と物音で察知しながら、箒をまたぎ、握り込んだ。重力制御装置と推進装置のスイッチに指をかける。  二人でフェンスを蹴って、空へ飛び出した。 「あはははははははは!」  恋音は大声で笑っていた。大会のときは掛け声厳禁だけど、今は関係ない。私も笑い出したいほど高揚する一方で声は出さなかった。口を開いたら、泣き出してしまいそうな気がしていた。  夕暮れの空は鉄が溶けたようなオレンジで、夜を先取りした灰青色の雲が頭上に浮かんでいる。  私たちは左右に分かれて斜めに空を駆け上がり、急旋回して引き返す。二人で交差を繰り返しながら高度を上げる演技は美しいらせんを描き、今日どの組より高い得点をもらうことに成功していた。恋音はまだ笑っていて、陽気な声が近づいては遠ざかっていった。  その声が止んだのは、恋音が私の頭上、真上に到達したときだった。  恋音の箒の先端が、天を指す。  垂直に突き立った箒から、恋音が手を離した。  力の抜けた身体は箒から発生する重力制御範囲の中で何秒か滞空し、それからゆっくりと下降をはじめる。目を閉じて、あおむいた顔が見える。髪が宙にゆらめく。  そしてもう何秒か後、重力制御範囲を逸脱した身体は、真っ逆さまに落ちてくる。──私に向かって。  本当なら、人が必要だ。  大会のときは何人もの補助がついて、箒から落下する選手がいても絶対に受け止められる体制がとられていた。顧問にも口酸っぱく言われる、他の部員がいないとき箒に乗るな、そもそもお前たちは校外で乗る許可はとっていないのだからと。  事故が起きたら誰も責任はとれないのだからと。  それだというのに、恋音のあまりのためらいのなさに、息が苦しくなる。  誘ったのは私の方なのに。  私が恋音の手を引いて打ち上げを抜けた。私が、やりたがった。恋音は、息の合う最高のパートナーは、読み取って、応えてくれた、だけ。  でもいざ恋音の信頼のかたちを見せられると、その重さ厚さに慄いてしまう。  夕空を背景に、恋音の身体は黒いシルエットになって私に向かってくる。目を閉じてすらいるのが見えて、私は限りなく重いものを抱きとめなければいけないのだ、と思った。  夕陽が溶け落ちてくるような思いで待ち受ける──今。  私の重力制御範囲に入って、恋音の身体はふっと勢いを弱める。それでも、その身体は重くて、夕陽の熱を吸い込んだみたいに熱かった。人ひとり分増えた重さに耐えるため推進装置をふかす。練習どおり、大会で披露したとおり、姿勢は安定している。それでも、今までになく鼓動が早かった。  抱きとめた恋音が、私の腕の中で身体をよじった。 「くっふふ、ふ、ふ」 「……なんで笑ってるの」 「ええ? だって、凌子がさ……」  言葉はくつくつという笑い声にまぎれる。答えはないまま、起き上がって自動で近づいてきた箒に飛び移った。二人乗りは長くできないけれど、ごまかされたようで不満が残った。  互いの重力制御が干渉しあわない距離をとってホバリングする。恋音は箒に立ち乗りして、身体を伸ばした。 「だって、普段は危ないことしたがんないのに! さすがにテンション上がってるんだなって、おかしくなったんだよ」 「そういうわけじゃ」 「次はもっと難しい技、しようね」 「これ以上、危ないのはしたくない」  今しがた二人で飛び立った島は、夕焼け色に染まる雲海の上に浮かんでいる。  島は、地上にあった山を大きな手のひらで掬い上げたような姿だと言われていた。山に喩えられる上部には緑の木々の他に家や学校が傾斜に沿って並び、下の方はお椀型の岩壁に覆われている。展望台のフェンス下の岩壁には「第十四浮遊島群」の看板が打ってある。  私たちの住む一番島、その背後には牽引された小島が二つ、見え隠れしていた。  温暖化による海面上昇で地上からあぶれた人間を住まわせるため、重力制御装置を使って空に浮かべられた人口の島。それが私たちの住んでいる島だった。  そして、私が三日後、後にする島だ。  私はもうすぐ恋音の前から姿を消す。
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