箒の上で踊った君とはもう会えない

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 早朝。  念のため、私と母さんは別々に家を出て、誰もいないロープウェイの駅で落ち合った。父は予想していたとおりぐっすりと寝入っている。  家を出る前に髪を切り、普段と違うテイストの服を着た母さんは、一見しただけでは誰かわからないだろう。二人でゴンドラに乗り込んだ。 「恋音ちゃんちに行ってきたの」 「……うん。ごめん」 「いいのよ。謝らなきゃいけないのは私の方」  ごめんね、と謝る母さんに、何と返していいかわからず、黙った。母さんは悪くないと思う。でも理不尽だとは感じていた。  ポケットの中で手紙を握りつぶす。  恋音の家のポストに入れようとしていたものだ。でも家の前で迷って、やめた。誰かに見られるリスクを冒してまで行ったのに。この手紙のせいで恋音が父に絡まれるようなことがあったら嫌だった。それに、昨晩書いた言葉が何もかも空虚に思えて、入れられなかったのだ。  何を書いても、黙って消えることには変わりない。 『三番島行き、発車いたします』  合成音声が告げ、ゴンドラが出発した。恋音と一緒に乗った、三番島行きのロープウェイだ。そこから別の浮遊島群へ行く連絡艇に乗って、この島を出る。そこから先は連絡艇をいくつか乗り継いで、できるだけ遠くへ離れる。  私は窓から、まだ薄青い眠りに包まれた島を眺めた。それから自分の身体に立て掛けた、箒の黒いバッグを眺めた。  もう恋音には、二度と会えない。  突然、ゴンドラの中にけたたましい警報音が響いた。思わず隣の母さんと顔を見交わす。事故でもあれば、計画が台無しになってしまう。 『警告、警告。これ以上の接近は重力制御装置の相互干渉により事故につながる危険性があります。ただちに離れてください』  私は、はっとして窓の外を見た。  眼下には灰色の雲海が広がっている。雲の海の遥か遠い場所にチカッと光の点が現れて、見る間に大きくなっていった。日の昇る時間だった。  朝陽に照らされて、見慣れた銀色の筐体がきらめいた。 「恋音」  恋音が、箒でロープウェイに並走している。  窓を開けると外の風がわっとゴンドラの中に吹き込んできた。気を遣ったのか、母さんは静かに隣のゴンドラに移動していった。  風の中で恋音が声を張り上げた。 「来ちゃってごめん!」 「危ないことすんなバカ!」  警告音は鳴りつづけている。恋音は、重力制御範囲が重なるか重ならないかスレスレのところを飛んでいた。ゴンドラの速度は個人の箒のスピードよりもずっと速く、恋音が限界までとばしているのがわかった。学校にばれたら即座に停学に違いない。  強風に顔をしかめながら、恋音はふにゃりと笑いくずれた。 「バカって~~」 「バカだよ、危険運転やめろ!」 「あはは」  なんでだかヘラヘラと笑っている恋音に、優勝した日、夕焼けの空を飛んだことが思い出された。  あのときから、きっと気づいていたんだ、恋音は。  だからこうして追いかけてきてくれたんだ。  朝陽はますます眩しくあたりを照らし、私は目を細めた。景色が光に滲んだ。これが本当の最後なのに、言いたいことがたくさんあるはずなのに、私は何も言えなくなってしまった。恋音が笑うしかできなくなっているように。 「危ないことすんな……」  何十回となく恋音を受け止めた腕は、まだ彼女の重さを覚えていて。  あの日の身体の熱も、まだ残っていて。  でも、もうそばで受け止めることはできない。 「探しに行くよ!」  暗い感情の渦を吹き払うように、恋音が叫んだ。 「大人になったら……だから、箒つかった仕事して。曲芸で人気者とかになってて!」  恋音は笑っていた。目元にぎゅっと力を込めて、涙がこぼれないようにして。悲しみも怒りも全部押し込めて。  最後に出かけた日も、こんな顔をしていたな、と思う。  だから私も涙をこらえて、でも恋音みたいに笑顔になることはできなくて。どうにか、声を絞り出すしかできない。 「キャラじゃないんだけど……」 「似合う似合う。がんばって」  無責任に言いきって。  じゃ、って、部活のあとと変わらない軽さで手を上げて、ゴンドラから離れていく。  私は窓から身を乗り出して、方向転換していく恋音の後ろ姿を目で追った。ゴンドラの車体に朝の光が反射した。キラキラと拡散する光の中に、恋音の涙もあるのかもしれないと思った。  黒いバッグを開けて、中に手を入れた。銀色の筐体をぎゅっと握る。  今、交わした約束のことを考える。  この箒が恋音とつながってるんだ、と信じた。二人遠く、離れても。
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