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やっちゃった
「こちらが本日のメイン、佐賀牛フィレ肉を使ったトゥルヌド・ロッシーニになります」
六本木にあるミシュラン3つ星のフランス料理店『グランメゾン・プロフィテ』。
プロフィテは日本語で『楽しんで』という意味だとオーナーのおじいちゃんは言っていた。
グランメゾンはフランス料理でも一番格式が高いお店に付く名前らしい。
専門用語が多すぎて、まったく覚えられない。
ここでセルヴーズと呼ばれるウエイトレスのバイトをするようになって3ヶ月、急遽ベテランの大先輩が体調不良で休み、私はVIPルームを担当することになった。
私は覚えた料理の説明を頭の中で反復しながら、ソースがたっぷりかけられた、おいしそうなレアの肉料理が乗ったお皿をテーブルへ置こうとした。
「ああっ」
叫ぶ私。料理の説明を忘れないよう集中するあまり、つまずいて投げるようにお皿を落とした。よりによってお客様の肩に、しかも派手に……
「申し訳ございません。申し訳ございませんっ」
平謝りしながら、お客様のスーツを拭く。
6人がけのテーブルには料理がかかった男性以外の5人が真っ青な顔をしてフリーズしている。
駆けつけたのはメートルと呼ばれるホールの責任者。
50代後半で髪型はジェルをたっぷりつけたオールバック、つり目にメガネでやせ形、初めて見たときはキツネ顔と思った。
責任者は「大変申し訳ございません。おケガはございませんか?すぐに代わりのスーツをお持ち致します」早口で目を白黒させながら頭を下げつつ、スーツを丁寧に脱がせた。
……やっちゃった。
頭が真っ白になり、どう動いていいかわからず、私は立ち尽くした。
物の価値に鈍感な私でも、そのスーツが高価なことぐらいはわかる。
何十万のレベルじゃない。
他の席のザ・ジェントルマン風の中年男性5人が私以上にあたふたして「社長、大丈夫ですか?大丈夫ですか?」壊れた音声機械のように連呼する。
社長??
男性たちのリアクションからして、たぶん料理をかけた人は一番偉いようだった。
私は恐る恐る、社長と呼ばれる人の顔を見た。
うっわ、超イケメンさん……
不謹慎にも、私は目を見開いて見つめた。
視線が合う。
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