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「誤字も……ないじゃない」
誤りがないことはいいはずなのに、彼は薄化粧をした細面を、心底つまらなそうにひん曲げる。
「ふんっ。誤字脱字はなくて当たり前。もしアタシが目を通す書類に不備があったら、とっ捕まえてやるから覚悟なさい。じゃあね、ユキちゃん。スカーフよろしくね」
日傘をくるりと回して、彼は去っていった。
呼吸も忘れて敬礼していたセイタロウは、直れとともに甘い空気を胸いっぱいに取り入れた。
「緊張した……」
「僕もだ……。なんであのお方はいつも、僕に突っかかってくるんだろう」
すると、それまで黙っていたユキヘイが笑い含みに口を開いた。
「誤字脱字があった方がいいのさ。あれも若く見えるが、わたしと同じ四十半。説教は年長者の楽しみなんだよ」
はぁ、と気のない相槌を打ってショウスケは記録の控えを見返した。何度も確認したから、間違いない。刑番所でコイミズがじっくり目を通しても、後日呼び出されて説教される心配はなさそうだ。
控えの書束は、一連の事件を纏めて綴じてあるため、父が担当した日のものも一緒に見ることができた。
この色街では、七日ほど前から不審火が相次いでいる。決まって、日のあるうちに、街を覆う天幕の一部が燃やされた。
不可思議なのは、いずれも天幕ばかりが燃やされているということだ。通りや店が狙われたことはない。とは言え、街を覆う天幕が燃えれば、炎の外套に街ごと抱かれるのと同じだ。
幸い、今のところはボヤ程度で消し止められているため、大きな被害は出ていない。
連続不審火事件として、近隣の注目を集めているにも関わらず、いまだ怪しい人物は目撃されておらず、解決の糸口はまだ見えていなかった。
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