あるじさま、おしごとです。

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「ずっと貴方様だけをお慕いしておりました! どうか、おそばに置いてください!」  社の裏手にある紅葉が落ちる微かな音さえ拾える静かな境内に、愛の言葉が響き渡る。  十七歳のショウスケの手を握り、顔を伏せて、その女性は想いを告げた。真っ赤な顔を見せられないと地面ばかりを見ていたようだが、そうしなくてもショウスケから彼女の顔は見えなかったはずだ。  なにせ女性の背丈はショウスケの腹までしかない。  恋する女は名をキョウコという。  流麗な筆使いと、一編の物語を読んでいるような恋文に心惹かれて会いにきてみたものの、ショウスケは期待を裏切られた気分だった。 (まだ、子供じゃないか)  見た感じ、隣のおハルちゃんより大きいくらいだから、六つか七つだろうとショウスケは見積もった。  そんな子供があんなに繊細で趣深い文を寄越したとは思えない。新手の悪戯だろうかと、真っ黒い髪を振り乱して彼は辺りを窺った。しかし、静かだ。  子供相手に真剣に答えるのも滑稽かと、気恥ずかしい思いもあったが、ショウスケは努めて穏やかに言葉を紡いだ。 「申し訳ないのですが……」  子供の将来のために丁重にお断りして、ショウスケはその場を去ろうとした。ところが、目の前で膝を抱えてわっと泣き出され、去り際を逃してしまった。  キョウコという幼子は、先程までの淑やかな様子と打って変わって、泣きわめいた。  やはり子供だ。そう苦笑するショウスケの耳に、とんでもない言葉が飛び込んでくる。 「ひどいわ、ひどい! あんなにわたくしの体を好き放題しておいて、責任は取ってくださらないなんて! ひどいわ!」  ささささ……と血の気が引いて、ショウスケは再び辺りを確認した。事実無根だが、誰かに聞かれたらとんでもない。人生が終わる、そんな予感だけはした。  口を塞ぐのはとてもまずい気がする。だが今のキョウコは何を言っても聞きそうにない。困っていると、彼女の口からは次々にとんでもない言葉が飛び出てくる。 「ご両親が不在だからと、わたくしを閨に連れ込んで組み敷いたこともございましたでしょう! 嫌だと申しましたのに、無理矢理に口にあんなものを突っ込んで……」 「まったく身に覚えがありません!!」 「結婚しようと申したのは、主人様(あるじさま)ではございませんか!」  童女が顔を上げた途端に、大粒の涙が境内に溢れ落ちた。その涙を作り出している瞳は、翡翠色だ。ショウスケが生まれ育った、このヤマノトの国では珍しい色だ。  透けるように淡い瞳の美しさに、ショウスケは記憶を揺さぶられた。この少女の顔に見覚えはない。だがその瞳だけは、はっきりと覚えている。  梅雨の始めに顔を見て以来、探しても探しても行方が知れなくなっていた「オンナ」と同じ目だ。 「まさか……おキョウさん?」  心許なく名を呼ぶと、翡翠の瞳がぱっと輝いた。  そんな馬鹿な、と思う一方で、だとしたら……とショウスケは記憶のキョウコを思い返した。
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