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一幕 エリアスが日常に
手の甲にキスを受けるなんて、愛読している恋愛小説に登場するヒロインのようだ。うっとりしてしまった私だが、自分の柄じゃないとすぐに恥ずかしくなり、エリアスに預けていた手を引っ込めた。
「感謝の気持ちは充分に頂戴しました。お身体が回復されたようでなによりです」
そしてわざと事務的な口調でエリアスとの間に一線を引いた。
「レディ……」
彼の顔から笑みが消えた。怒らせてしまったかな?
でも簡単に女性の肌に口付けできるって、女慣れしているってことだよね? カッコイイけど私向きの男性ではないな。凄く凄く勿体ないけれど。
「では我々は仕事が有りますので」
背後霊と化したルパートが、私の腕を引っ張りカウンターの方へ連れて行こうとした。が、逆の手を再度エリアスに掴まれた。
「待て。私はまだロックウィーナ嬢に話が有る」
「コイツに話ですか? 内容は?」
「彼女の好みや空き時間を知りたい」
「そんなことを知ってどうするんで?」
「デートに誘う」
ほわっ!? で、デート!? 私がエリアスの発言を頭で整理している間に、ルパートがフッと小馬鹿にしたように笑って勝手に断った。
「無理です。コイツ未だにギルド職員として半人前なんで。昼間は仕事、夜は訓練と決まってるんです。しばらくは休日返上で鍛えないと」
えっ、私しばらくお休み無いの!? そんなこと聞いてない。
「休み無しで働かせることは労働基準法に違反している」
「あ、冒険者ギルドにそんなもの無いです。超ブラック企業です」
私を挟んでルパートとエリアスがやり合っている。話題の中心であるはずの私そっちのけで。両腕を左右から掴まれている私はまるで連行される犯罪者だ。
引く姿勢が見えないエリアスに、ルパートが厳しい表情で質問をした。
「……モルガナンなんて珍しい姓をお持ちの人はそうそう居ない。エリアスさん、あなた辺境伯の親族でしょう?」
んっ? 辺境伯?
私は目を見開きエリアスをまじまじと見つめてしまった。そんな不躾な私の視線をエリアスは笑顔で受け止めた。
「私自身は爵位を持たない。私はディーザ辺境伯、クラウス・モルガナンの三番目の息子なんだ」
えええ? エリアスさんたらお貴族様でしたか!
ちなみに辺境伯とは、国境や危険地帯に隣接している土地を国から任された貴族のことで、国土防衛の指揮官でもある。それ故に地方長官でしかない普通の伯爵よりも地位がだいぶ高い。
そんな大物の息子さんが何で冒険者やって行き倒れていたんだろ?
「辺境伯ってお忙しいんでしょ? お父様のお手伝いをしなくてもいいんですか?」
「優秀な兄が二人も居る。末っ子の私は自由にさせてもらっている」
ルパートが私の抱いた疑問を口にした。ただし意地悪い聞き方だった。
「それで冒険者になったんですか? 希望すれば男爵位くらい簡単に受勲できる身の上のお方が、日銭を稼ぐ為に汚れて命懸けで?」
「……私には貴族社会よりも、気楽な冒険者の方が合っているんだ」
そういう人も居るんだな。貴族って家の名前を笠に着てふんぞり返っているイメージだったのに。
あ、エリアスが女性に優しいのは社交の教育を受けたからかな? 別にたらしという訳ではないのかな?
「へぇーそうなんですかー。でもたった独りでの冒険は無謀じゃないですかね? 独りになりたい理由でもお有りで?」
「ちょっと先輩……」
ルパートのあまりな無礼な物言いについ口を挟んでしまった。貴族とか庶民とか関係無い。冒険者の手助けが我々ギルド職員の仕事だろうに。
「人それぞれ事情が有るんですから、あまり込み入ったことを尋ねるべきではありませんよ」
「レディ……」
エリアスは熱を帯びた瞳で私を見た。うーん、やっぱりドキドキしてしまう。
「いいんだ。私も最初は年上の戦士達とパーティを組んでいたんだが、みんな30歳を過ぎたら冒険者を辞めてしまったんだ。もっと堅実に生きる道を探すと言って」
特に深い事情もドラマも無かった。隊の皆さんが現実に目覚めただけだった。
一攫千金を狙って冒険者になる若者は多いが、財を成せる程に稼げる者はほんの一握りだ。大抵はカツカツな経済状態で日々生活している。しかもミッションによっては命懸け。30歳までに成功が目処だ。できなかったら冒険者をやめるという人間はけっこう多い。
「あーそりゃお気の毒にー。大変ッスねー」
ルパートが全く心のこもっていないなぐさめを言った。エリアスはさらりと受け流した。
「ああ。独りでミッションに挑むことがあれほど大変だとは思わなかった」
「死にかけてましたからねー」
「だから初心に帰ろうと思う。パーティを組んで簡単なミッションからコツコツやっていきたい」
「いいと思いますよー。行方不明者が減れば俺達の仕事も楽になるんで」
「そういう訳で、今日から一週間宜しく頼む」
「は?」
キョトンとしたルパートと私に、エリアスがもの凄くイイ笑顔で宣った。
「キミ達が私のパーティーメンバーになるんだよ」
「えっ!?」
「はあ!?」
突然の申し出に面食らったのは私も一緒だが、ルパートは額に青筋を浮き上がらせて怒りを露わにした。
「何勝手に決めてるんですか! 俺達はそんなのごめんですから! こう見えて忙しいんで!!」
「これは正式な依頼だ。私はギルドにパーティーメンバー補充の依頼を出して受理された。キミ達二人がパーティに加わることは決定事項だ」
そう言ってエリアスは、一枚の紙を腰の道具入れから出して私達に見せた。そこにはエリアスが話した通りの内容が記されていて、ギルドマスターの署名と捺印がされていた。
「あ、あのオッサン! 人に断りも無く決めやがって!!」
ルパートはギルドマスターに憤慨した。まぁ、貴族からの依頼だからなぁ……。エリアスは難易度が高いミッションはしばらく避けるそうだし、マスターとしても断る理由が無かったのだろう。
「おいウィー、おまえも怒れよ! 何で平然としてるんだよ!?」
「ギルド職員である以上、マスターの命令は絶対です。これも仕事の内です」
「ちょ……マジかよ。モンスターとも積極的に戦っていくことになるんだぞ?」
エリアスが強い口調で言った。
「強いモンスターが居るフィールドへは向かわない。戦闘になっても私が主体で戦う。それは約束する」
「だったら俺達要らないじゃないですか。独りでやれるでしょう?」
「道案内を頼む。私は驚く程の方向音痴だ。キミ達回収人はそういう方面が大得意なんだろう?」
「ええ……?」
「いいじゃないですか先輩」
降って湧いた話だったが、エリアスのお供をする方が回収人の仕事よりも魅力的に思えた。どちらにしてもモンスターが居そうな場所へ出向くんだもの。危険なのは変わらない。
それならばすぐに楽をしようとするルパートと二人きりになるより、私を気遣ってくれるエリアスを含めた三人で行動した方が絶対いい。
「これから一週間、宜しくお願いしますエリアスさん」
「こちらこそ、レディ」
「おい、回復役が居ねぇぞ」
ルパートは往生際が悪かった。
「俺は剣、ウィーは鞭、エリアスさんは大剣だろ?」
「ほぅレディ、貴女は鞭使いだったのか」
「はい。鞭は軽くて持ち運びしやすいので。あ、でも先っちょに鋼が付いているのでそこそこ攻撃力は有りますよ?」
「先っちょ言うな」
「良いと思うぞ。女性は手足の長さで不利になりやすい。リーチの長い武器を選んだ貴女の判断は賢明だ」
はは。エリアスはいちいち私を褒めてくれるな。ルパートにはダメ出しばかりされていたから嬉しい。少しくすぐったいけど。
これから一週間、自分を女性扱いしてくれる美形剣士様と一緒……。もちろん貴族相手にどうこうなるつもりはない。それでも少し気持ちが浮ついてしまった。
「ウィー、鼻の穴が膨らんでるぞ」
わぁ恥ずかしい! 期待が顔に出ていた!?
ルパートの指摘を受けて私は手で顔を隠した。しかし噓だったようでルパートはニヤニヤしていた。ウンコめ。どうして他の人が居る前でそんな意地悪を言うかな?
本当コイツ性格悪い。顔の造りだけならエリアスといい勝負なのにね。
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