一幕  エリアスが日常に

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「では肝心のミッションを決めようか」  エリアスは冒険者ギルドの壁に掛けられた大きな掲示板へ向かった。重い大剣を担いでいるのに足運びは軽やかだ。相当な筋力の持ち主だな。私とルパートも後に続いた。  掲示板には難易度別に、様々な依頼を記した紙がピンで留められている。留めたのは私だ。出動しない間はギルド内で雑務をこなしている。今週はトイレ掃除の当番だったりする。 「今日は難易度Eの中から選ぼう」  依頼は難しい順からA~Fに振り分けられている。Fは逃げてしまったペットの捜索やゴミ屋敷の掃除といった、体力さえ有れば誰でも受注可能な街の中での仕事だ。Eからモンスターと遭遇するフィールドへ出向かなければならなくなる。 「レディ、今の季節は野草さえも美しい花を咲かせる。草原のミッションに挑もうか」  エリアスの提案にルパートが顔を(しか)めた。 「デートに行く訳じゃないんで、そういうのはいいです。内容と報酬が釣り合った依頼を受けてもらえませんかね? 欲を言えばサクッと終わらせられるヤツ」 「討伐系なら対象のモンスターをサクッと狩れば終わるぞ。しかしレディに血を見せることになる」 「あーコイツ回収人やってるから、血どころか死体も散々見てきてるんで余裕ですよ」 「そうだったな。では討伐ミッションを受けよう。レディには後ろで、戦う私の雄姿を見てもらおうか」 「邪念を持たずに依頼に集中して下さい。このトロール討伐はどうですか? 力は強いけど動きが鈍いんで、逃がしてしまう失敗がまず無いですよ。サクッと決めてしまいましょう」 「そうだな、それにするか。サクッと行こう」  二人共サクサクうるさいな。  エリアスは留めピンを抜いて専用の箱に入れ、トロール討伐の依頼書を手に取った。 「えええ? お姉様も討伐ミッションに参加するんですかぁ!?」  カウンターに戻った私達を出迎えたのはリリアナの高い声だった。 「無理ですよぉ、危ないですよぉ、お姉様はモンスターと戦った経験が無いでしょう?」  受付嬢の彼女は両手で顔の前に拳を造り、イスに座りながらプリプリとお尻を振った。やることなすことオーバーリアクションなのだが、何故かリリアナがやるとしっくりくるんだよね。 「狼とは何度か戦ったこと有るよ? 鞭で脅して追い払っただけだけど」 「狼を? レディも狼に囲まれた経験が有るのか?」 「コイツはギルドに来る前は羊飼いだったんですよ」 「なんと」 「あはは……。故郷では牧羊犬と一緒に羊を追ってました」  毎日走り込んでいたおかげで健脚の持ち主だ。人口よりも羊の方が多いド田舎出身。そんな私だから貴族と知り合いになるなんて夢にも思わなかった。 「納得だ。レディの健康美はそれで培われたものだったんだな」  健康美とは言いようだな。無理して褒めようとしてくれなくてもいいのに。私には本当、健康な肉体しか誇れるものが無い。 「お姉様が行かなくても、エリアスさんとルパートお兄様の二人だけで充分なんじゃないですかぁ?」 「まぁな。俺様は強いからEランク程度の依頼は余裕だよな」 「自慢ウザイですぅ。自信が有るならお姉様を置いて、野郎二人でとっとと行きやがれですぅ」  リリアナは実は口が悪い。動作が可愛いので許されているが。 「……。そういう訳にはいかねぇんだよ。マスターの命令なんだ」 「あの禿げちゃびんたら。禿げ頭に筆で切れ目を描いて、ちんこの先にしてやるのですぅ」 「ぶごほっ」  ルパートとリリアナのやり取りを聞いてエリアスがむせた。慣れない人にとっては驚きの会話だよね、冒険者ギルドではこれが日常なんです。  愛らしい、ただその一点のみで、えげつない下ネタを口にするリリアナを受付嬢にしたマスターは本気で頭がおかしい。決して受付嬢をさせてもらえなかった嫉妬から出た意見ではない。 「レディ……。貴女も普段ああいった会話を?」 「いえ、聞き流しています」 「良かった……」  エリアスは文字通り胸を撫で下ろした。 「お姉様は純情ですから、えっちなこと言ったりしませんよぉ」 「おまえ自分がエロいこと言ってる自覚有ったんかい。もういい、早く手続きしろや」  ルパートにせっつかれてリリアナは頬を膨らませた。悔しいがそんな仕草も可愛い。 「すっごく嫌ですけどぉ、このトロール討伐は皆さんにお任せしますぅ」  リリアナはすぐに該当するフィールドの地図を出した。ただの地図ではない。避難に適した場所や出現するモンスターの種類などが記載された優れものだ。私達回収人が出動した際に気付いたことや、冒険者から寄せられた情報を基に作られた、ギルドでのみ支給される非売品である。 「この谷で最近、頻繫にトロールの目撃情報が出ていますぅ。依頼主は近くの村の村長さんですねぇ」 「了解。サクッと退治して来るわ。んじゃ、用意して来ますんでちょっと待ってて下さい」  エリアスをホールに残して、私とルパートは出動準備に取り掛かった。 ☆☆☆  巨体の人型モンスター、トロールは谷の洞窟に巣くっていた。  一~三体の相手をすればいいと思っていたら、なんとビックリ七体の大所帯だった。身体が大きいので洞窟にミチミチ詰まっている感じ。鞭だと狭い空間は不利だなと私は心配したのだが、 「ふんっ!」  エリアスが大剣で最初の一体を真っ二つに斬り伏せ瞬殺した。 「はっ!」  その後も大剣をブンブン振り回して、 「ほっ!」  トロールの手とか脚とか首とかが飛んで、 「せやぁっ!!」  洞窟壁面が血飛沫で真っ赤に染まる頃には、エリアスによるトロール大虐殺の図が完成されていた。  時間にして三分かかってないと思う。エリアス強い。悪魔じゃないかってくらいに強い。 「済んだよ、レディ」  振り返ったエリアスは爽やかに笑って白い歯を私に見せた。頬には返り血が怪しく光っていた。うん、完全にデート気分が彼方(かなた)まで吹っ飛んだわ。  女性に優しく腕っぷしが強くお顔も綺麗なエリアスは、完全無欠のヒーローになれると思う。実際、彼に恋焦がれる女性は多いのだろう。ただし深窓の令嬢にエリアスとのお付き合いは無理だ。彼と関わりを持とうとすると、この血生臭さと足下に転がる肉片がもれなく付いてくる。 「とっとと出ようや」  私以上に死体慣れしているはずのルパートが足早く洞窟を後にした。死後数日間経過した(むくろ)を発見するのと、目の前で死体の山を築かれるのは似て非なるものだと知った。主に鮮度が違う。 「ぷはーっ」  洞窟から出て真っ先にしたのは深呼吸だった。外の空気の美味しいことと言ったら!  遅れて陽の下へ出てきたエリアスは、丁寧に汚れた大剣を布で拭いていた。刃に血糊を付着させたまま鞘にしまうと抜けなくなるそうな。  ルパートが不思議そうに尋ねた。 「エリアスさんは、めっぽう強いじゃないですか。それでどうして狼ごときにやられたんです? 相当数の群れに囲まれたんですか?」 「エンカウントしたのは三匹だったが、道に迷って丸二日間休憩無しで森を彷徨っていたんだ。水も食糧も尽きていて、まともに戦える体力が残っていなかった」 「……遭難してたんですか。地図を紛失してしまったので?」 「いや。地図の通りに歩いたつもりだったのだが、どんどん森の奥へ入ってしまった。言っただろう? 方向音痴だって」 「聞きましたね、方向音痴だと。でもあれは俺達を巻き込む為の方便だと思っていました。マジだったんですか?」 「マジだ」 「………………」  これは確かに独りで冒険はさせられないな。 「パーティを組んで数年間は、誰かが地図を見てくれて移動がスムーズだったもので、自分が方向音痴だということを忘れていたんだ。うっかりしていた」 「うっかりで死にかけないで下さい」 「肝に銘じよう」 「昨日俺達が発見した時は疲労困憊(ひろうこんぱい)だった訳ですね。よくその状態で街まで歩いて戻れましたね」 「正直に明かすと、何度か天に召されそうな嫌な感覚に襲われた」  おい。 「だったらウィーに大人しく背負われていれば良かったのに」 「それは……できない。女性は護り慈しむ存在だと教えられた」  ……エリアスは名誉を重んじる立派な貴族なんだな。領地を離れて冒険者になった今でも、その心根は変わっていないようだ。  少しズレた所は有るけれどね。まぁそうじゃなかったら私なんかに興味を抱かないか。 「さぁ街へ帰ろう。レディ、私にエスコートさせてくれ。迷わないように先導はルパートに頼むが」  エリアスは汚れた手袋を外して生身の手を私に差し出した。 「…………はい」  戸惑ったものの、善意の塊みたいな笑顔を向けられた私はエリアスの手を取った。  エリアスは私に恩を感じているだけだ。こんな関係は今だけだろう。約束の一週間が終わる頃には彼は冷静になり、私の元からきっと離れる。  貴族と庶民……、住む世界からして違うんだから。 (だよね)  だから……私も彼を好きになっちゃいけない。期待してはいけない。私は心の中で密かにそう誓ったのだった。
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