大きなうねり

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 ユーリは自分の境遇を冷静に受け止めているように見えた。  それはつまり公民館で戦った時、ユーリは死を覚悟していたということだ。そして毒殺されかけた件に関しても彼は動揺していない。  組織とボスに尽くしたというのにあんまりな仕打ち。怒りや悔しさが湧き上がらないのか? 「それでいいの?」  思わず口をついて出てしまった言葉。ユーリは発した私を一瞥(いちべつ)したが答えなかった。 「でもあなたは毒を吐き出したよね? 生きようとしたんだよね?」 「……………………」  まただんまりを決め込んだ兄の代わりに、エンが複雑な表情で私に説明した。 「俺達忍びはどんな状況でも生き延びるよう訓練されている。そして生きている限りは雇い主の為に動くようにと」 「その雇い主にユーリさんは毒を盛られたんじゃない! もう彼は()らないって態度で示されたんだよ!?」  本人の前で酷いことを言っている自覚は有る。私はユーリに気づいて欲しかった。くだらない相手の為に命を張る必要は無いと。  ここでユーリが(ようや)く私へ口をきいた。 「俺の雇い主は首領レスター・アークだ。水に毒を仕込んだのはボスの指示ではなく、内通者の独断だろう」 「だから!?」  私は反射的に言い返した。 「首領は毒殺を命じていないからまだ彼に従うの? 生きている限り? 理不尽な任務に就かされても!?」 「そうだ。契約が有効である限り。それが忍びのあるべき姿だ」 「そんなの、人間の生き方じゃないよ……」  優しいマキアが端の席で嘆いた。私も同感だ。  ユーリの目が据わった。 「その通りだ。忍びとは人間ではない。兵器だ」  言い切ったユーリ。マキアは数秒間圧倒されていたが、キッと瞳に強い意志を宿した。 「違う! エンは忍びだけど人間だ! 俺の大切な相棒なんだ!!」  マキア~。よく言ってくれた! 私は心の中で彼に拍手を贈りながら追随した。 「そうだよ。エンは言葉が少なくて誤解されることも有るけど、仲間想いの優しい人だ。優秀な戦士であっても兵器なんかじゃない!」  しかしユーリは冷たく言い放った。 「だからソイツは忍びの落ちこぼれだったんだ。戦闘技術だけ上がっても心を殺すことができなかった。肝心な所で情に左右されて何度も任務遂行に支障をきたした。いつも俺が尻拭いをしてやったんだよな?」 「……………………」  エンは唇を嚙んで目線を下に落としてしまった。 「もうおまえのお守り役は御免なんだよ。俺の前から消えてくれ、エン」  それは残酷な拒絶だった。国を捨ててはるばるこのラグゼリア王国まで、ユーリに会いたい一心で長い旅をしてきたエン。だのにユーリはエンの想いを一刀両断に斬り捨てた。エンが膝の上で握りしめている拳が微かに震えていた。  マシューが自分の隣のユーリを(さげす)む目で見た。 「あ~もう、胸糞悪いな。キミがそんな態度を取るなら、こちらとしても優しくしてやれないよ?」 「好きにしたらいい」 「尋問……ハッキリ言って拷問だけどさ、毒を飲んでおけば良かったと思える程にキツイよ?」 「死ぬまで責めればいい。俺は何も話さない」  マシューはヤレヤレと肩を揺らし、ルービックは大きな溜め息を吐いた。 「……残念だがこういう結果となった。冒険者ギルドの諸君は馬車を降りてくれ」  師団長は結論を出してしまった。そんな。ここで降りたら聖騎士によるユーリの尋問が始まる。マシューのあのおっかない影の手で、ユーリは身体中を締め上げられるのだろう。窒息死する寸前まで、何度も何度も。 「ユーリ頼む、俺達に協力してくれ!」  義兄弟を苦しませたくないエンが懇願した。素直に聞くユーリではなかったが。 「さっさと消えろ。目障りだ」  最後まで憎まれ口でエンと話し合おうとしない彼に、私の我慢は限界点を突破してしまった。 「アンタって馬鹿じゃないの!?」 「!?」  私は興奮のあまり身を乗り出した。止めようとする対面の席のマシューを逆に押し戻して、私は覆面を外されているユーリの素顔を睨みつけた。 「解ってんの? アンタこれからマシューさんの黒いナニかに縛り上げられるのよ? 嫌がっても強引に! あっちこっちをね!」 「何かその言い方だと俺、変態みたい……」  マシューが視界の隅で落ち込んでいた。ユーリも想像してしまったのか一瞬戸惑ったが、すぐに平静を保った。 「苦痛に耐える訓練も受けてきた。拷問など俺には無意味だ」 「耐えてんじゃん! カッコつけてるけどホントは痛いんじゃん!」 「!…………」  感情が高まってどんどん言葉使いが乱暴になっていく。所々巻き舌になっている気もする。でももう止められない。この分からず屋には丁寧な対応なんてしていられない。 「なんでそこまで首領を庇うのよ!」 「雇い主だからだ」 「戦うあなたを盾にして首領はさっさと逃げたじゃない! 毒を仕込んだどっかの阿保を止めることもできてないじゃない!」 「どっかの阿保……」 「どうせ契約を結ぶなら知性・体力・技能・美しさ・漢気(おとこぎ)の揃った至高の存在とにしなさいよ! 仲間を見捨てて我先に逃げるような奴にね、命を張るのは馬鹿のやることだよ!!」 「……………………」  これまで淡々としていたユーリが珍しく怒りの表情を浮かべた。自分が命懸けでやってきたことを否定されたのだ。そりゃ不機嫌になるよね。  だが彼は私に向き合わず、正面のエンに視線を戻した。 「その小うるさい女を黙らせろ」  余計に腹が立った。 「私に直接言いなさいよ! 今あなたと話しているのは私でしょう!?」 「…………黙れ!」 「首領がいくらアンタに払ったかなんて知らないよ? でもそれ、アンタのたった一つの命に見合う報酬なの?」 「………………」 「命はね、一つしかないのよ。死んだらそれっきり」  前の周で切り刻まれて殺されたエン。高熱で燃え尽きて何も残らなかったマキア。もう嫌だ。二度と繰り返したくない胸の痛み。  苦痛と死を間際にしても達観しているユーリを張り倒したい。馬車がもう少し広ければ、確実に四発目の蹴りを叩き込んでいた。 「アンタは忍びとしての自分に誇りが有るんでしょう? でも死んだ途端に全部が無くなるから。ずっと鍛錬を積んで身に付けた技も思い出も何もかも。命を無くしたらその人の歴史がそこで終了するのよ」  赤ん坊としてこの世に生まれて、歩けるようになるまでたっぷり一年。意思の疎通が可能なレベルまで喋れるようになるには更に一年。  長い長い時間をかけて人間は少しずつ必要なことを習得していく。でも死んだらそれで終わりだ。 「……………………」  ユーリは押し黙っていた。何を考えている? 私の言葉は少しでも彼の心に届いたのだろうか? 「言ってくれ、ユーリ」  沈黙を破ったのはエンだった。 「まだ首領に遠慮しているのなら彼の情報は要らない。独断で毒殺を企んだ内通者の名前を教えてくれ」 「!…………」  ユーリと、彼の左右に座る聖騎士達の顔が険しくなった。エンは続けた。 「おまえの言う通りだユーリ。俺は忍びとしては甘過ぎる。落ちこぼれだ。今も心が乱れている」  自身を卑下する言葉を使ったが、エンは背筋を伸ばして前を向いていた。 「おまえに毒を盛って殺そうと企んだ者、俺はソイツを絶対に許さない」  エンは力強く宣言した。 「おまえは俺の、たった独りの家族なんだ」  拒絶されてもエンはユーリを支えると意志表示したのだ。気迫勝負に負け、今度はユーリが視線を下へ落とす番だった。 「……………………」  ユーリは短い息を何度も吐いた。  きっと迷っている。私達は彼の気持ちが決まるのを待った。  そして。  苦しそうに歪めた彼の唇から、ついに(かす)れた声で本音が漏れた。 「…………おまえは…………」  みんな静かに見守った。 「おまえは……エン、ずっと変わらない……。初めて人を斬った晩に熱を出して寝込んだおまえ……。命を奪ってもまるで動じなかった俺……」  これは昔語り? おそらく故郷での話だろう。 「俺達は何から何まで一緒だと思っていた……。でもあの時に感じたんだ、おまえは俺とは違う。このまま忍びでいてはいけないって…………」 「ユーリ……?」 「優れた忍びになるということは、人間らしさを捨てるということだ……」  え? え? これは、もしかして……。 「殿(との)が失脚したのは良い機会だった……。解散命令を出されてみんなバラバラになって……、もうおまえが忍びの掟に縛られずに済むんだと思った」  エンが茫然とユーリを見つめた。 「……ユーリ、おまえは俺を戦場から遠ざけようとしたのか……?」  たぶんそうなのだろう。この不器用忍者が。ちゃんと去る前に言葉にして伝えておきなさいな。もっとも、それでもエンは兄を追い掛けただろうけどね。 「だからユーリ、俺を置いていったのか?」  ユーリは苦笑した。 「……それと、嫉妬心だ。エン、俺はずっとおまえに嫉妬していた」 「嫉妬……?」 「その気になれば人間らしい幸せを掴めるであろうおまえを、傍で見ていたくなかった……」  ああ。前の周でエンを殺害した理由はそれか。  幸せを祈って遠ざけたというのに追ってきたエン。犯罪組織の用心棒である兄。犯罪撲滅の為に働く弟。真逆の立場となり再会した兄弟。愛情が憎悪へと変わってしまったのだ。 「ユーリ、おまえを死なせたくない。頼むから内通者の名前を言ってくれ」 「……言えない。俺はおまえのように生きられない。せめて任務に生きる忍びの矜持(きょうじ)を持ったまま死にたい」 「あのさぁユーリさん」  無粋だろうが私は兄弟の間に割って入った。 「エンを忍びの掟から解放したかったとか嫉妬してしまったとか……、それって何だと思う?」 「…………?」  私は彼の目を見て言った。 「人間の感情だよ。ユーリさんあなただって充分、人間臭い人間なんだよ」  ユーリは目を丸くした。まるで初めて、自分の中に流れる人の血に気づいたかのように。
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