不安定なこの世界

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「私ね、また神様が出て来る夢を見たの」  私はできるだけ細かく丁寧に、岩見鈴音に関する夢を話して聞かせた。  アルクナイトは眉間に(しわ)を寄せながらも、途中で邪魔することなく最後まで、私の荒唐無稽(こうとうむけい)とも思われる夢の話を静かに聞いてくれた。こういった所が彼の賢者としての資質なのだろうか。  あの夢を独りで抱え込むには荷が重過ぎる。かといって誰かに話しても、岩見鈴音が住む世界を理解できる人はそう居ないだろう。  でも賢者と呼ばれた彼ならあるいは……。それがアルクナイトに声を掛けた理由だった。 「…………私が見た光景はそこまでよ。私にはアレがただの夢とは思えないんだ」  話終えた私はアルクナイトの反応を待った。アルクナイトは二~三度大きく頭を横へ振った。 「ただの夢ではないのだろうな。これまでもおまえは神と夢の中で何度も邂逅(かいこう)している。神にとっては必然の出会いだろうが」 「うん。今までの夢では私へメッセージを送ってきていたよね」  『思い出さないで』、『エリアスと幸せになって』、そして『気をつけて』。少女はその都度、何らかの感情を私へぶつけて訴えていた。 「でもね、昨日見た夢はいつもと雰囲気が違っていたの。ただ神様の記憶を見ている……そんな感じだった」 「………………」  アルクナイトは難しい顔つきで黙ってしまった。心なしか顔色が悪く見えた。 「アル?」  私の呼び掛けに、彼はもう一度頭を左右に振った。 「……おまえが見た夢が神の記憶なのだとしたら、この世界は奴が書いた小説の中だということになる」 「うん……」  自分達が小説の登場人物だった。驚きの展開だ。 「ショックだよね。自分の人生が誰かに用意されたものだったなんて。でも神の御業(みわざ)は人間達には計り知れないと言うし、そういうものだと思って納得するしかないのかな?」  しかしアルクナイトは吐き捨てるように言った。 「納得などできるか」  彼は忌々しそうに顔を歪めた。 「覚えているか? 前回見た神の夢を」 「前回?」  私はアルクナイトの迫力に押されながら、以前見た夢について必死に思い返してみた。 「前回の夢は……、確か時間のループを破ったすぐ後に見たんだよね?」  何てことをしたの!と、神である少女に酷く怒られた記憶が蘇った。 「そうだ。おまえだけではなく俺達全員が神の言葉を聞いた」 「ええと、ループと一緒に神の防御障壁からも抜けてしまったから、これからは危険だとかそんな感じの内容だったような」 「ああ。重要なのはそれより前の部分だ」  前? 何だっけ。思い出す前にアルクナイトが解答を示した。 「神は言っていた。だったと。十日間だけが防御障壁に護られていたとも」 「ああ、そんなことを言っていたね。その十日間がループしていたんだったよね」  神が造り出し護っていた十日間。その期間中は私の身の安全が保証されていた。 「……………………」 「アル?」 「気づかないのか?」  (しか)め面のアルクナイトは私が見落としていた、恐ろしい真実を告げた。 「俺達は神が創作した、十日間の物語の登場人物なんだ。つまり、それより前には存在していない」 「!?」  私は目を(またた)いた。 「え? 存在していない……?」  そんなはずはない。だって彼は……。 「あなた482歳じゃない。ずっと存在していたでしょう? 私達が生まれる前から長くこの世界に」 「どうだかな」 「だって私は、あなたが起こした三百年前の戦争を学校で習ったよ?」 「知識としてなら……存在しているのだろうな」  私はアルクナイトの言っている意味が解らなかった。目の前の魔王のことは私だけではなく、国中の者が子供の頃に大人から聞かされて育つ。 「設定だよ」  アルクナイトは、怒りとも哀しみとも判断がつかない表情で私に言った。 「おまえの好きな恋愛小説にも、登場人物の紹介欄に細かい設定が書かれているだろう? アレと一緒だ」 「えっ……。設定ってヒロイン18歳、下町の少女で歌が得意とか、そういうヤツ?」 「そうだ。俺達もそうなんだ。魔王アルクナイト、過去に人類と戦った天才魔術師。そういった設定を俺達に刷り込んだ上で、神はあの十日間の物語を展開させたんだ」 「は…………?」 「俺達は物語を彩る為に用意された(こま)なんだよ」  私は無理に笑った。 「いやいやいや。流石にそれは無い。駒だなんてそんな。神様の干渉を受ける世界だとしても、私達を産んでくれたのは人間のお母さんでしょう? あなただって」 「……………………」  見開いた目が凄いスピードで乾いていく。ガクッと膝から力が抜けそうになった。駄目だ踏ん張れ。昨日みたいに倒れている場合じゃない。でも心臓がばくばく鳴っている。 「嘘だよね?」  否定してよ。設定なんて、そんな馬鹿げたこと。 「私……今年で25歳になったんだよ?」 「……………………」 「でも本当は、生まれてまだ一ヶ月も経ってないの?」  彼の言うことが正しいのならそういうことになる。年上のエリアスやルービック師団長ですら誕生したばかりだ。みんな同じ時期に神によって造り出されたキャラクターなんだ。  右側頭部に偏頭痛が起きた。チクチクした痛みが思考の邪魔をした。  アルクナイトは溜め息交じりに述べた。 「少なくとも十日間を十七周はしている。体感時間では何ヶ月か経っている」  「だけどあの十日間を繰り返しただけなんだよね? もう成人している状態の私達で」 「……………………」 「私が持っている故郷で過ごした子供の頃の記憶は……。家族のことも、全部が全部設定だったの? 私には本当は家族が居ないの!?」 「小娘」 「ルパート先輩は親友と恋人の裏切りに遭って……、キース先輩は魅了の瞳のせいで長く苦しんで……。あれもそれも、全部神様が定めた設定だったの!? マキアとエンが毎回死んじゃうことも!!」  小説は重い設定の物語の方が読みごたえが有ったりする。登場人物が苦労した分だけハッピーエンドが盛り上がるから、作者は前半部分をハードな内容にしがちだ。でもそれはあくまでも暇つぶしの物語。実在する人間の歴史じゃない。 「ロウィー」  アルクナイトは興奮した私をそっと抱きしめた。秘密の愛称と共に。 「落ち着け、大丈夫だ」  そして私の背中を軽くトントンと叩いた。赤ん坊を寝かしつける親のように。 「でも……。今まで信じてきたものがただの設定だとしたら……私」  今すぐ故郷のエザリの村に帰ったとして、はたして私は両親や姉に会えるのだろうか? 「心配するな。おまえには元賢者の魔王がついているんだ。大抵の物事は力技で何とかなる」  私を安心させようとアルクナイトは軽口を叩く。だけどいつもの精彩さが足りていなかった。  ……当然だ。アルクナイトは五百年近く生きてきた記憶を持っているんだ。たかが二十五年の私とは桁が違う。  人類と敵対した魔王でありながら、子供だったエリアスとうっかり情を交わして親友になってしまったお人好し。人の世の平和な未来を築く為に、たった独りでかつての配下である魔物の軍勢を抑えようとしてくれた。  それら行動の原理となった彼の心の葛藤が、全て神によって刷り込まれた情報だったなんて。簡単に受け入れられる訳がない。  アルクナイトがそうしてくれているように、私も彼を抱きしめた。  大木の陰で私達はしばらく寄り添っていた。お互いの気持ちが落ち着くことを祈って。  そうして幾分か冷静さを取り戻した私は、気になっていたことを彼に尋ねた。 「ねぇアル、あなたはどんな夢を見たの? 私とは違う夢だったんでしょう?」  彼の背中がピクッと動いた。 「……くだらない夢だ」 「あまり良い内容じゃなかったんだね? だからみんなにも見たかどうか聞いて確認したんでしょ? 神様からのメッセージかどうなのか」 「他に見た者は居なかった。俺個人が見ただけのよく有る悪夢だよ」 「なら言って」 「……………………」  私は一旦身体を離してアルクナイトの瞳を見た。 「アル。独りでソルさん達と戦った時に、みんなに心配されて散々怒られたのを忘れた? 独りで抱え込まないで」  アルクナイトはふうっと息を吐いた。 「……世界が崩壊する夢を見た」  小さな声での発言だったが、私の身体の震えを復活させるには充分な響きだった。 「崩……壊……?」 「大地も空も人も、バラバラになって散っていった。エリーも、おまえも、この俺も」 「ど、どうしてそんなことに!?」 「崩壊は突如始まった。夢の中の俺は事態を掴めずに右往左往するだけだった。だが目覚めた今なら原因に心当たりが有る」 「それは……?」  私は生唾を呑み込んで先を促した。 「俺達が十日間の先へ到達したせいだ」 「え…………」  アルクナイトの口調は真剣そのものだった。 「神が創作した物語は十日間だけだった。それで俺達は終わった瞬間にスタート地点に戻されてループを繰り返していたんだ。その先の物語が用意されていなかったから」 「うん……」 「だが俺達は先へ行ってしまった。今居るここは神の守護と創造から外れた世界。つまりとても不安定な空間なんだ」  私は足を付けている土を見下ろした。どっしりとした大地が急に崩れたらと恐怖に襲われ、再びアルクナイトにしがみ付いた。
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