これからもよろしく

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 美女が牛丼を差し出すその腕は、血管がひどく浮いていた。  俺は細くもたくましさのあるその腕と、かわいらしい顔つきを交互に見る。「彼女」のパッチリとした黒目がちな目が笑い、キラキラを塗った目の下がぷっくりと膨れる。彼女の顔の半分を覆う白いマスクは、口元のあたりにうっすらとピンク色が透けていた。 「お客様?」  彼女が首を傾げる。その声はうわずっていて、声変わりをした喉で無理に可愛い声を出そうとした出る、そんな感じだ。唖然とする俺に、彼女が困ったように目をパチパチさせた。まばたきに、くるっと上を向いたまつ毛がばさばさ羽ばたく。俺はもう一度彼女の顔をしっかりと見た。明るい色の髪は長く、長いもみあげはくるくると巻いて女の子らしい。が、そのもみあげに包まれる骨格は、明らかに男のものだ。 「あ、あの、もしかして」  俺はレジ袋に入った牛丼の発泡スチロール容器を受け取らず、疑問を確かめようとする。 「気づいちゃった?」  俺が質問を口にする前に、彼女は口を開いた。牛丼をカウンターに置き、ポケットから何かを出すと、財布を握ったままだった俺の手をそっと取った。 「内緒ね。これ、あげる。口止め料。うちの牛丼をこれからもよろしくね」  彼女が悪戯っぽく笑い、俺の手に何かを握らせる。  固い男の手の手のひらに包まれ、俺の心臓は早鐘を打った。皮膚の触れるところが暖かい。体がどうであろうと、関係はなかった。ここ数年、母親以外の「女性」という生き物と触れたことのない俺には、その温もりは生々しすぎる。  顔が熱くなった。長年の引きこもり生活のせいで洒落た言葉などは出てこない。俺は冷め始めた牛丼をひったくって、逃げるように店を出る。店から見えないところまで走って、一息つき、手に握らされたものを見ると、その店の社員割引のチケットだった。
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