まさか……

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

まさか……

「今川さん。何見てるんですか」 「何も見てない。ここにいるだけだ」 介護職員の問いかけに、私はそう答える。 「部屋に戻りますか」 「戻りたくなったら自分で戻る。あっちにいけ」 私に問いかける職員が鬱陶しくて仕方なかった。 私は職員から離れたくて、自身で車椅子を動かす。 その時、笹川友香の居室ドアが開いた。 「すいません」 居室から男性が出てきて、私と職員に問いかける。 「この施設に今川亮平さんという方がいると思うのですが」 驚きのあまり、言葉が出なかった。 介護職員も唖然としている。 「おられませんか?」 「いいえ、この方ですが」 介護職員が私を指差し、そう答える。 男性は、私を見て頭を下げた。 「初めまして。笹川公平と申します。母の事を覚えていますでしょうか」 私は何も答えず、目を逸らした。 「覚えていなければ申し訳ありません。ですが、母からあなたの事をよく聞かされてました」 「聞かされてた。どう言うことだ」 私は思わず反応してしまう。 「しまった」と心の中で思うけど、手遅れだった。 「私、あっちに行ってます」 介護職員はそう言って、その場から離れていった。 「母が新任教師としてクラスを持った時、今川さんは明るくて、よく話をしに来てくれたと聞いてます」 「随分と昔の話だ」 私はそう話す。彼と目を合わせなかった。 「その当時、母は父と付き合ってたみたいですけど、父はちょっと嫉妬深いところがあったようです。現に結婚してから、父の母に対する束縛がすごかったそうです」 そこまでは知らなかった。彼の話を聞いて、私はそう思った。 彼の話は続く。 「僕も父があまり好きではありませんでした。機嫌が悪い時は八つ当たりされましたから」 「公平君という子供が出来たのに幸せじゃなかったのか」 「はい。僕が生まれる前に、父と母は離婚寸前までいったそうです。子供が授からないのが理由だったそうです」 その話を聞き、私は、あの時の事を思い出していた。 「けれど、母が33歳の時、僕が産まれました。やっと授かって出来た子供だったのですが、父は喜ばなかったようです。理由は父の浮気だと母から聞かされました」 彼の話しを私はうなずきながら聞いていた。 「けれど母は父と別れようとしませんでした」 「どうしてだ。浮気してたんだろ」 私はそう言った。この話の経緯を知りたくて仕方なかった。 「僕も分かりませんでした。最初は経済的なところかなと思ってました。だけど、父が突然病気を患い、危篤状態になった時、母は父に向かってこう言ったんです」 彼は一旦話しを止めて、深呼吸をする。 「公平は、あなたの子供じゃありません。この間、あなたに内緒で離婚届を提出しました。もうあなたとは赤の他人です。孤独に死んで下さい。母はそう言いました」 私は驚きを隠せなかった。この言葉をどう受け止めて良いのかも分からなかった。 彼は話を続ける。 「びっくりしました。その時僕は、母の隣にいたんですよ。父は興奮してました。そして、そのまま息を引き取りました」 私は何も言えなかった。ただ、彼の話を聞くことしか出来なかった。 「父に対する母なりの復讐だと思います。だけど母に笑顔はなかったです。その後、母も体調を崩していきました」 そう言った後、しばらく沈黙が続いた。 「あなたに家族はいるのですか」 意を決して、私は彼に声をかけた。 「いません。母が亡くなれば、僕は一人ぼっちになると思ってました」 「思ってたってどういうことだ」 私は疑問を投げかける。 「僕の本当のお父さんは誰なのか、母に問い詰めました」 「問い詰めて何か分かったのか」 「分かりました。だからあなたを探して、ここまで辿り着いたんです」 彼はそう言いながら、涙を流していた。 「まさか」 私がそう思った時、先生の息子は私にこう言った。 「やっと会えました。お父さん」 息子は泣いていた。 私は、その姿を見つめる事しか出来なかった。 【終】
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!