エピローグ 〜回帰しなかった聖女はお兄様に恋をする?〜

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エピローグ 〜回帰しなかった聖女はお兄様に恋をする?〜

 新生リンカ・サーカス船の進水式がガルシア港で行われたのは、災厄の晩秋から冬を越え、暖かな日差しが降り注ぎ始めた早春のことだ。改修を終えたサーカス船はこれを機に『ナリース号』と命名された。  ナリース号の名前の由来となったのは言うまでもなく聖女ナリッサ。聖女が船の安全を願って船体にシャンパンボトルを叩きつけて割ると、港だけでなくその周辺の街からも聖女コールがわき起こった。  進水式と合わせて皇太子とガルシア公爵令嬢の婚約祝賀会が行われることもあり、あまりの熱狂ぶりに当のナリッサは苦笑している。隣のユーリックは見てるこっちが恥ずかしくなるくらい幸せそうだ。 「これでサラさんの読んだ本は完結ですね」  シャンパンボトルの割れ具合まで見える最前列で、ノードがコソッと囁いた。  たしかに小説『回帰した悪女はお兄様に恋をする』はナリッサとユーリックが結ばれてハッピーエンド。でも、いち読者としては二人のラブラブ度が物足りない。特にナリッサは「恋より世界樹」状態で、ゾエとイブナリア談義をしてる方が楽しそうだ。それでも皇太子妃となることを決断したのには事情があった。  発端は皇宮でのお茶会。  帰還パレードから一週間ほどで皇籍から外れたナリッサは、皇太子の婚約者としてではなく皇家の客人として石榴宮に留まっていた。それを耳にしたカルラ皇妃がナリッサをお茶会に招待し、ルガース家縁の三十路男と偶然を装って引き合わせようとしたのだ。  護衛騎士マリアンナとお茶会に同席していたエルゼが協力し合って男の不名誉な噂を流し社交界から抹殺したのだが(悪女の名はエルゼに進呈してもよさそうだ)、ナリッサはそれを逆さ樹の獅子獣人リューから後で聞かされたらしい。姉のように慕う二人の女性をこれ以上煩わせてはいけないと、婚約することを決めたそうだ。  ――これでエルゼ様と姉妹になれるのなら光栄ですわ。  ユーリックが指輪を渡した時にそんな言葉を口にしたとかしないとか。義父が同じなのだから姉妹だという理屈らしい。十四歳のナリッサはまだまだ思春期、素直になれないお年頃。  シャンパンで濡れたナリッサの手を、ユーリックがハンカチで拭いていた。恥ずかしそうに顔をそらすナリッサはまだ十四だから。 「ノード、小説で二人が結ばれたのはナリッサが成人した後だし、これから何があるか、まだまだ目が離せませんよ」 「主、何かあるのを望んでいるのか?」  腕の中で大人しくしていたジゼルが呆れ顔であたしを見上げていた。 「何があるかわからないのはいつでもどこでも同じです。サラさんとわたしもこの後どうなるかわからないでしょう?」 「魔塔主、今ここでぼくが主好みの人間に変身してやろうか?」 「おや、やはり上級に到達していましたか。ですが、ジゼル殿とサラさんはただの契約関係。主と従魔です」 「魔塔主、余裕かましてられるのも今のうちだ。主、好みを言ってみろ。ぼくが理想そのものになって惚れさせてやる」  ジゼルが変身するところは見たいけど、この場でやったら進水式はめちゃくちゃだ。 「じゃあ、黒くて長いサラサラの髪に青い目」 「……おい、主」  ノードがクスクス笑っている。 「ノードに似た五歳くらいの男の子がいいな」 「いくら主の望みでもそれは却下だ」  ご機嫌を損ねた白猫はあたしの胸をドスッと蹴って飛び立った。行き先はどうやら婚約したばかりの二人のところ。 「聖獣様だ」「ジゼル様だ」  見物人から声があがり、単純な仔猫は調子に乗って七色の花火を打ちあげた。魔術の花火は青天にも映える。  港が今日一番の盛り上がりを見せる中、ナリッサの胸に着地したジゼルはドヤ顔でこっちを振り返った。ユーリックが「この猫を連れてけ」と目で訴え、ナリッサも「どうしよう」と言いたげにあたしを見て首をかしげる。 「ジゼル殿ばかり目立ってますが、いいんですか?」  歓声に負けないよう顔を近づけてきたノードに、あたしはチュッと口づけた。ドヤ顔で振り返ると、うんざりしたジゼルと真っ赤になった今日の主役二人。挑発には乗らないか――と諦めかけたところでユーリックがナリッサの肩を抱き寄せて頬にキスをした。 「やった! 作戦成功」  喜ぶあたしにノードは端正な冷笑。利用されたのがご不満らしい。 「祝福のキスが皇太子殿下から聖女様に贈られたところで、ご臨席のみなさまに新生サーカス船、その名もナリーサ号について――」  進行役を務めるゼンは白塗り赤鼻の道化師姿で白虎を連れている。彼の声をかき消さんばかりに拍手をしている観客の中にはサーカス団員のラビ、ニールから来たサシャとリオ、ゾエの姿もある。ゾエの隣にはイアンが陣取り、護衛騎士オクレール卿もその背後に見えた。  知ってる顔がたくさんあるけど、ランドもスクルースも、エリもイヌエンジュも南部辺境に行ったきりだ。  ノードは闇属性魔力が使えなくなり、魔獣生息域のマナの流出は減少傾向。石榴の世界樹を中心としたマナ循環はできつつあるけど、まだ不安定で魔獣生息域が今後どう移動するのかは予測がつかないようだった。ルケーツク作戦はもうじき終了予定だけど、山積みになった闇属性魔力石の処理はこれから。ノードが浄化したら精霊力が大量に失われてマナ循環に影響が出るかもしれないということで、有効活用する方向で検討が進められている。  物語は終わったようでもこの世界はまだ続いていた。あたしはこの先もこの世界で生きて(?)いくんだろうし、元の世界に戻るなんてできない。だって、もう死んでるから。 「サラさん、そろそろイヌエンジュとの約束の時間です」 「バルヒェット支部ですか?」 「はい。なので抜け出しましょう」  ノードがあたしの手を取り風を起こした。あっという間にサーカス船の上空に到達すると、手をかざしてゲートを開く。青空を背景にした青と黒の光の渦は何度見てもCGみたいだ。 「主、ぼくを置いていくつもりか!」  白猫が羽を広げて追いかけてきた。港を埋め尽くす観客たちが口を半開きにしてこっちを見上げ、ナリッサが「いってらっしゃい」とでも言うように手を振っている。 「注目を集めてしまったようですね。せっかくですからジゼル殿を待つ間に祝砲でも上げましょう」  ノードは右手を頭上にかざして金色と銀色の花火を交互に打ち上げた。 「先に行ってるぞ」  ジゼルが開きっぱなしのゲートに飛び込むと、ノードは詠唱をやめてあたしを濃紺のローブに招き入れる。抱き寄せられて光に飲まれる直前、「聖女様!」と耳に届いた。  ――聖女ナリッサ様、万歳!  ――ナリース号、万歳!  ふと、小説のタイトルが脳裏を過った。 『回帰した悪女はお兄様に恋をする』  でも、この世界の物語はちょっと違う。これから始まるのは執着系皇太子の溺愛物語『回帰しなかった聖女はお兄様に恋をする?』になりそうだ。   【亡国イブナリアの因縁 後編~二百年の闇と光~】―― 完 ――  『巻き添えで召喚された直後に死亡したので幽霊として生きて(?)いきます』はこれで完結です。  最後までお読みいただきありがとうございました。
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